「願い」が「条件」になると苦しくなる。
「〇〇したい」「こんな風になりたい」
人間なら誰しもがそんな願いや望みを持つだろう。
でも、心の底からの願いだったはずなのに
進んで行くうちにいつの間にか苦しくなっていることはないだろうか?
苦しくなるってことは、本当の願いじゃなかったの?
じゃあ、どうしたら楽になるの?
そんな風にグルグルと思考が絡まって、プスプスと頭から煙が上がってくるのが見えてきそう。
「今でも十分幸せなのだから、これ以上を望むなんて贅沢だ」
そんな声も聞こえる。
確かに今ある幸せをしっかり受け取ることは大切なこと。
それじゃあ「願い」を持つことは贅沢で、間違ったことなのだろうか?
昨日書いた移住計画アイタタ事件で掘り下げられた!
「願い」が「条件」になると苦しくなる。
- 心がほどける場所で暮らしたい
わたしの最初の願いは、本当はこれくらいシンプルな感覚だった。
だけど計画を進めるうちに
「〇〇の条件で探した方が補助が大きいから」とそもそもの選択範囲を狭めたり
「できれば〇〇に近くて」「できれば〇〇があって欲しい」みたいな小さな望みが、いつの間にか「〇〇でなければ」と条件であるかのように錯覚したり
「願い」は根源的なもの。
願うことがないと何も始まらないし成長も変化もない。
だけど「条件」で固められた願いは、それ自身が自分を締め付ける鎖となって身動きが取れにくくなる。
「願い」は広くて自由なもの
「条件」は狭くて不自由なもの
奥底の願いを見失い、条件を重視していると
そこから外れた時に「じゃあ、どうしたら良いの?」と絶望してしまうけれど
シンプルな願いを見失わずに見つめられていると
想定外のことが起きても「じゃあ、どうしよっか♪」と楽しむこともできる。
あなたの持つ今の望みは
「願い」だろうか? 「条件」だろうか?
最初の望みが「条件」だったと思っても、きっとその条件を選んだ理由は、例えば「安心したい」などの、もっともっとシンプルな感覚「願い」だったはず。
身体の中の、奥の奥から真っ直ぐに光るシンプルな願いを
どうか見失わないでね。
読んでいただきありがとうございます^^
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感覚を言葉に乗せてつむいでいくことを大切にしています。
くろかわさいこ
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