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編集者が明かす、ダムに沈んだ徳山村の本を出した理由 ―そこから見え隠れする近現代―

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『ホハレ峠――ダムに沈んだ徳山村 100年の軌跡』(4月20日ごろ発売予定)

 もうすぐ大西暢夫さんによるルポ『ホハレ峠――ダムに沈んだ徳山村 100年の軌跡』が発売になる。発売前の、一部未確定原稿を公開しながらご紹介したい。

 私は若い頃に、大西さんの『山里にダムがくる』(山と渓谷社、共著)を読んでいて、良い本だなあ、こんな本を企画できる編集担当の人はうらやましいなあ、と思っていたのだ。2年前に生協の雑誌で大西さんの記事を見つけ、担当者に問い合わせてこのたびの企画につながった。20年(?)もたって、いつか自分もと思っていた夢が実現するというのは、ぜいたくな話だと思う。
 全国でダム開発は現在進行形であり、苦辛している方たちがたくさんおられる。我が身に降りかかっていない人たちからは見えづらいだけなのだ。

*村の血を守るための壮大な計画
 日本で一番大きなダム、徳山ダム(岐阜県)に沈んだ最奥の村に最後の一人になっても暮らし続けた女性(ババと読む!)・廣瀬ゆきえさんが、この本の「主人公」だ。カバー写真の人である。ゆきえさんは、大正7(1918)年の生まれだ。
 この人のことはすでに本や映画(大西さん監督の『水になった村』)にもなっているので知っている人もいるだろうが、今回の本では、今まで知られていなかった、この村の百年の軌跡とともに、旧徳山村にあった、<村の血>を守るための壮大な計画のことが初めて明かされるのだ。
 それがどんなものだったのかは、お楽しみということで…。
 
 さて、大西さんの写真を一枚ご紹介してみる。

ホハレ峠-346-14

 廣瀬ゆきえさんの夫・司さんの死後、二人が暮らした家が壊される。それを目の前にして、ゆきえさんがくちをぎゅっと結んでみつめている。この写真で、長い歴史の村を水没させるとはどういうことなのか、そのほとんどすべてを物語っている、と思えてしまう。

*長いダム湖
 ところでこの本の地図を作りながら、私ははたと、ダムについて実は何も分かっていなかったのだということを自覚させられ、衝撃を受けた(自分に)。この、自分の無知さ、浅はかさを鍛え直すため(?)、現場を訪れることにした。
 まず、ダムというのは丸い(かそれに近い形の)大きなダム湖に、この場合なら徳山村がすっぽりそのまま沈むのだと思っていた。が、地図を眺めると、どうもそのようにはなっていない。もちろん、大西さんの文章にもそんなことは書いていない。

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 地図だけでは、「ただの川」に見えてしまう揖斐(いび)川が、ダムができたことでもやは「川」とは言えないほどの太さになっている。
 現在、この地図の「上開田」の「田」の字あたりに「徳山会館」があり、そこから見える風景はこんな感じだ(写真=大西暢夫氏)。

ホハレ峠-420-23

 つまり、太くて長~いダム湖が出来たといってもいいだろう。

 廣瀬ゆきえさんが暮らした門入(かどにゅう)のあたりは川が細くなっていて、水没はしていないが危険区域ということで強制退去させられた。現時点では地権者だけが利用できるフェリーを使ってしか、アクセスできない。

*子どもが夜中に歩いたホハレ峠
 さて、タイトルになっているホハレ峠とは、どんなところか。
 これについても、今回の訪問で私がなんとしても実感したいと思っていた重要なポイントだ。
 車が通れる一番奥まで行くと、山の急斜面に道が始まっているのが見える。木々や草むらに溶け込んだような、けもの道みたいなもので、なんとか人が一人通れるぐらいの細さである。しかも、繰り返すが急斜面である。上のダム湖の写真に見えるような山々にあるのだから。
 本には、「道はなだらかなところもあるが、細くて沢に滑り落ちてしまいそうな険しい箇所もあった」とある。
 この峠道を、14歳の頃、ゆきえさんは夜中に(!)村を出発し、大人たちに混ざって一晩じゅう何キロも歩いたのだ。なぜか――。
 当時、14歳ともなれば、経済的にも体力的にも家庭を支える存在として、立派な大人と同等に扱われた。つまり、働き手としてこの峠を越えたのだ。14の時は繭を隣の滋賀県まで運んだ。

 「門入にとってホハレ峠とは、物資の流通だった大切な道だが、人と人が交差しあい、出会いや希望があり、多くの人たちの想いが詰まった峠道だったに違いない。
 春から秋にかけて、田畑の仕事をこなし、その合間をぬってボッカの仕事で現金を手に入れ、冬前になると街に出稼ぎに行った。そして芽吹く春に再び門入に帰ってくる。まだあどけない少女がそうして家族を支えてきた」(本文より)

 親元を離れ、妹たちを連れて出稼ぎに何ヶ月も出かけたのだ。
 
 このことだけをとっても、まったく、いまの私たちには信じられない。
 今だと、子どもが走れば「転ぶんじゃありませんよ」、工作の時は「指を切らないようにね」、と親は言うだろう。
 100年で、私たちはこんなにヒヨワになってしまった。
 
*日本の近現代とは何だったのか
 テレビ・冷蔵庫・洗濯機が家電の三種の神器と言われた高度経済成長期。
 これらが各家庭に普及するためには、当たり前なのだが、安定的な電気の供給が保証されなければならなかった。
 そして、一つの村が急激にその波にのまれ、沈んでいった。
 この本は、その軌跡をつむいだ記録である。
 ぜひ、お読みいただきたい。(出口綾子・彩流社)

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ホハレ峠 ダムに沈んだ徳山村 100年の軌跡』
大西 暢夫 著
定価:1,900円 + 税
2020年4月20日ごろ発売予定
(前後する可能性があります)


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出版社 彩流社の公式アカウントです。 「本棚に知の彩りを」をキャッチコピーに、海外文学、人文社会関連を中心に様々なジャンルを刊行する出版社です。 彩流社のコンテンツを不定期ですが、お届けします。 HPはhttp://www.sairyusha.co.jp/
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