ドスケベマン(9)

前回のあらすじ

村へ突如現れたアーマード倫理観。
横浜へ駆けるユウキ。
疲れ果て倒れかけたその背から男が声をかけた。

―――

「お前が、ユウキだな?」
強張った顔で振り返るとそこにはユウキより少し年上に見える少年が立っていた。
「俺はコウタロウ。ドスケベ解放同盟のメンバーだ」
一瞬言われた言葉の意味が分からずユウキは思考を咀嚼する。
ドスケベ解放同盟、それは母の言っていたレジスタンスではないか。
つまり。
「ここは…横浜?」
「ああ、間に合ってよかった」
少年の返答に安堵したのか、それとも疲労と貧血からくるものか、ユウキの意識は途切れた。

「アーマード倫理観様!お許しください!」
村長の悲痛な声が響き渡った。
地面に倒れたユウキの母は髪の毛をつかまれて、ぐいと頭を上げさせられる。
「生理用品もなくなっています」
アーマード倫理観は表情一つ変えずドスケベアーミーの報告を聞き、そのままユウキの母の頭を力任せに振り、投げた。
ぶちぶちと髪の毛の千切れる音とともに、麻袋が放り投げられるようにユウキの母は叩きつけられた。
その体にはもはや立ち上がる力も支える力もない。
じゃり、とその傍らにアーマード倫理観は歩み寄ると低い声で言った。
「もう一度聞こう。娘はどこにいった?」
ユウキの母は辛うじて顔だけを起こし、そして。
「月へ、行かせました」
一言だけつぶやくとにへら、と笑う。
アーマード倫理観はまるで小石のようにユウキの母の腹部を蹴った。
ぐ、というくぐもった声とともに、ユウキの母の唇の端から血がこぼれる。
「もういい、やれ」
アーマード倫理観のその言葉に、傍にいたドスケベアーミーが銃を構えた。
ぼやける視界の中でユウキの母は、ぼんやりと思い出した。
自分がかつて旅の男をかくまったことを。
男はタカシと名乗り、彼女に1羽の伝書鳩を託した。
もしも彼女やその娘になにかあった時には、その鳩を飛ばすようにと言って、裏の山から何かを掘り出してすぐに去っていってしまった。
それはほんの数日のことだったけれど、そのさざ波のようなキラキラした感情を糧に今まで生きてきた。
それがどういう感情かはわからない。ただ可能なら、ユウキにもそんなキラキラした感情を持って生きていってほしかった。
そんな回想は乾いた銃声で闇の中に溶けた。

小刻みに揺れる振動でユウキは目を覚まし、身をよじった。
「おお、起きたか」
コウタロウが声をかける。
そこはトラックの荷台だった。
毛布を敷いたその上にユウキは寝かされていた。
「大丈夫か?水、飲むか?」
ユウキは肘で体を支えながらうなずく。
渡された水筒の水が体に染み渡った。
「えっと…」
状況が飲み込めず、言葉が出ない。コウタロウはユウキが水を飲んだのを見て運転席に声をかけた。
「タカシさん、目を覚ましました」
「おお、よかった」
運転席から男性の声がする。
声の感じからすると自分の父親と同じくらいの年だろうか。
「もうじき八景島につく。それまでちょっと待ってくれな」
タカシと呼ばれたその男はユウキに明るく声をかけた。
「あ…ありがとうございます」
ユウキは身を起こそうとしたが、がたんと荷台が弾んだ拍子に体が大きく揺れた。
「あれだけ走ったんだ、まだきついだろ。八景島まで寝てろよ」
コウタロウが慌ててユウキの体を支えながら言う。
大人しくそのままユウキは体を横たえた。
少し幼さの残るコウタロウの横顔。
「八景島って?」
何故か横顔を見ていると気恥ずかしくなったユウキはトラックのホロの隙間から空を見ながらコウタロウに聞いた。
「おれたちのアジトだよ。そこまで行けばドスケベアーミーも簡単には入ってこれないからな」
レジスタンスと聞いてどこか恐ろしく感じていたが、目の前のコウタロウやタカシは少なくともいつも村に来るドスケベアーミーとは違っていた。
コウタロウは自分よりも年上に見えるのに、その瞳はキラキラしていた。
少なくとも、村の人間のように淡々と毎日同じ日々を続けて、淡々と死んでいく、そんな表情ではなかった。
「それよりさ」
コウタロウがふいにユウキをのぞき込む。
どきりとして視線を外したユウキにコウタロウは気付かず、言葉をつづけた。
「おまえの持ってたあのビデオテープ、どうしたんだ?」
「ビデオテープ?」
聞き慣れない単語にユウキは戸惑う。
「あの黒い箱だよ。あんなきれいな状態の物、なかなか残ってないぞ」
「ああ」
そう言えば修理途中だったあれを思わず持ってきてしまったことを思い出す。
「山で拾ってきて、砂を落として、組みなおした」
「すっげえな!一人でやったのか?!」
驚きの表情でコウタロウが身を乗り出す。ユウキがその近づき方に少し体をよじると、コウタロウは少し顔を赤らめ座りなおした。
「確かにすごい技術だ。一人で覚えたのかい?」
運転席からタカシが声をかける。
「はい、ガラクタを組み立てるのが好きで」
自分の好きなものをこうやって人に話すことはユウキにとって初めてだった。
タカシに促され、何を拾ってきて、何を組み立てたかを話す。
最初こそ聞かれることに答えていたけれど、だんだんと会話に熱がこもり、自分の口から勝手に言葉が出るのはたまらなく奇妙で、でも気持ちが晴れやかでドキドキした。
その話を聞きながらコウタロウはすごいすごいとまるで年下の子供のようにはしゃいだ。
八景島まで3キロ、という朽ち果てた看板がトラックのホロの隙間から見えた。
「もうじきアジトにつくから、ついたら着替えもあるからな」
コウタロウがうきうきした声でユウキに言った。
走り続けていた時のあの絶望感がまるで嘘みたいな瞬間だった。

続く

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