仕事が休みになって1ヶ月経った

コロナによるなんやかんやで仕事が消失して1ヶ月ほど経った。
働いてる時は勤務のたびに休みたい休みたいとぼやいていたけれども、外に出ることもなく仕事もないというのは何だか体と心の納まりが悪い。
とりあえず気づいたことだけ日記的なものを書いてみる。

ここ1ヶ月は通院と買い物以外は家で引きこもっている。
引きこもってみると思ったよりドラマなどをみる気力もなく、ゲームもイマイチ触る気がおきずに日がなぼんやりSNSを見てしまっている。
ニュースに対してのあれこれで一喜一憂してしまうこの状態は非常によくないなあと思っているが、とはいえ外に出るのも億劫である。
多分春先で持病の調子が良くないのも関わってそうだ。

仕事が休みになって1週間ほどは「焦り期」とでも言おうか。
なんらかの資格を勉強しよう、なんらかのスキルをつけよう、もしくはなんらかの成果物を作ってやろう、そう言ったなんか前向きの目標を掲げていた。
なんらかの何かを成し遂げることでおそらく「今自分は社会に必要とされていないのでないか」「仕事をできないのは己のせいではないか」などの不要な感情に駆られて焦燥感に囚われていたような気がする。
ここから「ありし日の日常」に戻ったときに社会に不要と判断されたくなかったのだ、多分。

それからしばらくして「怒り期」がきた。
ニュースだったり、Twitterのなんかだったり、とにかくちょっとした事で沸点に達する時期だ。
いつもならどうとも思わず「ああワロスワロス」と流せているあれこれに対して思わず何か言いたくなってしまう。
苛立ちがわき起こる。
これは非常によくなくて、自分の怒りで疲れてしまう。
このため自分が見ていて不快になる政治系のアカウントについてはブロックなりミュートなりをかなり進めた。
タイムラインの再構築だ。
ワイドショーもえらい事無茶苦茶なことを言っているのを見てイライラするのであまり真剣に見ないようにしている。
今もなんとか少しずつ怒りすぎて疲れる状態を抜け出そうとしている。
多分まだしばらくこの時期は続くのだろう。

今後どういうふうにメンタルが動くかは自分でも予想がつかないが、多分なんか心理学の受容のプロセスに近い形で動いてるようなので、この後適応と再起がくるんだろう。
どう言った適応と再起になるのかはそのときにならないとわからない。
なるたけいい感じになればいいなあ。

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