第三章 恵まれていることをめぐる違和感

 私は、村上春樹の作品の熱心な読者ではない。一浪して、不本意な大学・学部に在学していたのが、1981年4月から1985年3月である。お金はないが、時間はたっぷりある大学時代。この大学時代に、たぶん、佐々木マキのイラストが表紙の講談社文庫の『風の歌を聴け』を読んだと思われる。運動も苦手で、頼みの勉強の方も、一浪しても、まったく成績が上がらず、人付き合いも良くなく、この点数で入れる大学・学部ということで、入学した大学であった。

 浪人時代の鬱々とした気持ちを慰めてくれたのが、小学館漫画文庫のつげ義春の『紅い花』と『ねじ式』の作品群であった。大学に入学して、「つげ義春の漫画を研究しよう。つげ義春の作品について語ろう」と、漫画研究会に入ったものの、ほとんどつげ義春について知る者はおらず、研究会の中でも、浮いた状態で、ひとり、古本屋などでつげ義春関連の漫画や評論集などを探し、読んで過ごしていた。

 つげ義春の漫画の発表舞台であった『ガロ』を古本屋で買い集めたりするなかで、たぶんつげ義春の影響で漫画を描き始めたと思われる、佐々木マキ、についても知ることになり、そんなこともあって『風の歌を聴け』を読んだのかもしれない。

 赤面恐怖症で人と会わなくてもできる仕事として漫画を描き始めたつげ義春と同様に、私も、まったく社交性がなく、アルバイトもほとんどしない大学生活であった。しかし、ある一面、生真面目であり、ほとんど講義を受けない学生がいるなか、きちんと出席して講義を受けていた。アルバイトをしない代わりに、教員免許など取得できる資格はすべて取得しようと、たくさんの講義を受けていた。

 そんな私にとって、『風の歌を聴け』のバーでビールを飲んだり、ビリヤードに興じたりする世界は、まったく別世界であり、こんな大学生活が送れたらどんなに良かっただろうが、私には絶対無理だろうと思っていた。

 村上春樹が生まれたのは1949年1月、私が生まれたのは1962年1月で、私の方が13歳年下である。村上春樹の父が生まれたのが1917年12月、私の父が生まれたのが1935年5月で、私の母が生まれたのが1936年10月で、私の父の方が18歳、私の母の方が19歳年下である。

 『猫を棄てる』の中で、村上春樹の「不運としか言いようのない世代」の父と父の兄弟、祖父、母、従兄弟の話がでてくる。これに倣って、私の母と母の兄弟姉妹、父、従兄弟について述べたい。

 両親が生まれた頃は、就業別産業人口で約半数が第一次産業人口であるという時代であることから、当然、母の家は、農家であり、母は5人兄弟姉妹の3女であった。長女が農家に嫁いで苦労した様子をみていたことなどから、村上春樹の母がお寺の嫁になることを断固拒否したように、絶対に農家に嫁ぐことを拒否し、農家生まれではあるが3男である、最初はタクシー運転手、後に自動車販売会社の会社員となった父と結婚した。各々の学歴は、母は農業高校卒、父は商業高校卒であった。そんな夫婦から、1962年1月に私は生まれ、9年後の1970年5月に私の弟が生まれた。

 「それぞれの世代の空気を吸い込み、その固有の重力を背負っていくしかない」という観点で、私の母の5人兄弟姉妹の子ども達である従兄弟をみると、大きく二つの世代に分けることができる。ちょうど私が第一世代の一番年下、弟が第二世代の一番年上になる。母と母の二人の姉の子ども達の第一世代は、大卒が当たり前ではなく、高卒で就職か、大学に関する情報が圧倒的に少ないなかで、長男・長女として無我夢中、必死になって大学に初挑戦する世代である。この世代は、必ずしも大学生活を楽しめた訳でもなく、第一希望の就職にも就けなかった。母と母の妹と弟の子ども達の第二世代は、大卒が当たり前の世代で、兄や姉、第一世代の従兄弟の様子を見て、しっかり準備して大学に入学、大学生活を謳歌し、すんなり就職も決めてしまった。

 何が違うのか。「おそらく僕らはみんな、それぞれの世代の空気を吸い込み、その固有の重力を背負って生きていくしかないだろう。そしてその枠組みの傾向の中で成長していくしかないだろう。良い悪いではなく、それが自然の成りたちなのだ」ということなのだろうか。

 村上春樹の父は、私の父より18歳、私の母より19歳年上であり、京都帝国大学文学部文学科卒業で、甲陽学院という学校の国語教師の職に就いた方である。現在九十六歳で存命の村上春樹の母も国語教師で、大阪の樟蔭女子専門学校国文科を出て、母校でおしえていたこともあった(結婚を機に職を辞した)方である。

 私より13歳年上世代で、その頃の日本において、両親とも大卒である家庭なんて、いったい何%くらい存在するのだろう。いや、私の同世代でも、どれくらい存在するのだろう。でも、いや待てよ、運動も勉強もできなく、劣等感に苛まれていた私の男子高校時代にも、医者の子どもがいたりして、こちらは必死に勉強しても1ミリも成績が上がらないなかで、飄々と運動もこなし、勉強している風もないのに成績の良い生徒がいたなあ。余裕があるというか、何というか。普段の家庭で生活をするなかで、努力しなくても、自然と親世代から受け継がれ、体内に取り込まれ、蓄積されていくその家の教養や文化といったものなのだろうか。

 私は、過酷な環境にあっても、俳句で慰められ、学問好きで、勉強をすることが生き甲斐のようにする村上春樹の父に、共感する。

 それに対して、「でも当時の僕には、机にしがみついて与えられた課題をこなし、試験で少しでも良い成績をとることよりは、好きな本をたくさん読み、好きな音楽をたくさん聴き、外へ出て運動し、友だちと麻雀を打ち、あるいはガール・フレンドとデートをしていたりする方が、より大事な意味を持つことがらに思えたのだ。もちろんそれで正しかったんだと、今になってみれば確信を持って断言できるわけだが」と断言してしまう村上春樹には、自然に取り込まれ、余裕のある、恵まれたものの無自覚さに対して違和感を感じる。

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