第五章 降りることは、上がることよりずっとむずかしい
「『降りることは、上がることよりずっとむずかしい』ということだ。より一般化するなら、こういうことになる――結果は起因をあっさりと呑み込み、無力化していく。それはある場合には猫を殺し、ある場合には人をも殺す」
この文章の「猫を殺し」とは、次のことを言っているのであろうか。
子猫は、自分の勇敢さ、機敏さを自慢するかのように、軽快に松の木を上がっていったが、怖くて下に降りられなくなり、そのまま疲弊し、衰弱して、死んでいった。
また、「人をも殺す」とは、次のことを言っているのであろうか。
村上春樹の父は、南京戦で南京城一番乗りで勇名を馳せた第二十連隊と、途中から、輜重兵第十六連隊の特務二等兵として、行軍を共にし、その所属する部隊で、捕虜にしていた中国兵の処刑にかかわった。 「人の心の繋がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ。その本質は<引き継ぎ>という行為、あるいは儀式の中にある。その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるのだろう?」
この文章にあるように、この「人をも殺す」体験は、村上春樹が引き受けなければならないことであり、この体験を引き継ぐことが、歴史というものの意味であると、村上春樹は言いたいのであろうか。
第一章で述べたように、私は4月25日の朝日新聞2面下欄の広告欄に描いてあった高妍(GaoYan・ガオイェン)の絵を見て、「猫を棄てる」を知り、購入して、読むことになった。読書していたのは、4月7日に新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見があり、期限1か月間の緊急事態宣言が発令され、この緊急事態宣言発令下で自宅に閉じこもり、窮屈な生活を送っていた頃であった。歴史というものの意味について考えを巡らしていた時に、4月26日の朝日新聞22面に藤原辰史さんの「人文知を軽んじた失政~歴史に学ばず、現場を知らず、統率力なき言葉」の寄稿文を読んだ。
藤原さんは、今、パンデミックという激流にいる中、「流れとは歴史である。流れを読めば、救命ボートも出せる。歴史から目を逸らし、希望的観測に曇らされた言葉は、激流の渦にあっという間に消えていく」「人文学の言葉や想像力が、人びとの思考の糧になっていることを最近強く感じる」と言っている。
「猫を棄てる」の奥付を見ると、「2020年4月25日 第一刷発行」とある。偶然であろうが、「猫を棄てる」は、パンデミックという危機の時代にちょうど発刊された。「猫を棄てる」の人文学の言葉や想像力が、まさに今の危機の時代における人びとの思考の糧になっており、歴史から目を逸らさずに、歴史という流れを読むことの重要性を伝えようとしているのではないだろうか。
ウェブサイト「B面の岩波新書」に掲載中の藤原さんの論考「パンデミックを生きる指針――歴史研究のアプローチ」も読んでみた。藤原さんは、「甚大な危機に接して、…楽観主義に依りすがり現実から逃避してしまう」第二次世界大戦では、日本の勝利に終わると大本営は国民に繰り返し語り、「希望はいつしか確信に成り果てる」「世界史は生命の危機であふれている。いずれにしても甚大な危機が到来したとき、現実の進行はいつも希望を冷酷に打ち砕いてきた」と述べている。
軽快に松の木を上がる子猫や南京戦で南京城一番乗りで勇名を馳せた第二十連隊は、勇敢さと機敏さを持ち合わせる自分ならば、木登りでも何でもできるいう希望や広大な中国大陸を制圧してみせるという確信に満ちていた。しかし、歴史から目を逸らさずに、歴史という流れを読むと、現実の進行はいつもそのような希望や確信を冷酷に打ち砕いてきたのであった。
パンデミックという莫大な危機に接している今、村上春樹は、「猫を棄てる」の発刊を通して、「危機の時代の希望や確信には注意せよ」「歴史を見ると、いつもそうした希望や確信を打ち砕き、不快な、目を背けたくなるようなことが起きてきた」「しかし、どのように不快な、目を背けたくなるようなことが起ころうが、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない」と言っているように思える。そして、「私、村上春樹は、このことを、小説家として、アカデミックな方法に寄らないで、人文学の言葉や想像力で、猫の思い出と父との関係の回想と調査した歴史的事実を組み合わせた物語として提示し、人びとの思考の糧になりたいのだ」と言っているように思える。