第二章 地雷を踏む

 私は、長女とうまくいっていない。家を出て、5年間ほど、県外の大学に通っている間は、平和であった。地元で就職することになり、長女が家に戻ってきてから、おかしくなってきた。長女のいない5年間、妻もフルタイムで働いており、自然と家事も分業となり、好きな料理はもっぱら自分が行い、妻の分も作っていた。長女が家に戻ってきてから、長女は、自分の気分次第で、妻の分の料理も作る時もあるようになった。自分が食べたい料理は、自分で作るのが一番と、長女が家に戻ってきてからは、自分の分だけ、料理をするようになった。妻は、長女が料理をするときは、長女の料理を食べるが、そうでないときには、自分で料理をしたり、スーパーで総菜を買ってきて、食べるようになった。私の方が早く帰宅して、自分の料理を作り始めた後に、長女が帰宅することがあった。割り込んで、長女が料理を始める。「どいて・・・」料理をする場所を巡って、軋轢が生じる場面がでてくるようになった。軋轢を避けるため、長女が先に帰宅して料理をしているときは、自分の部屋でビールを飲んで、長女が料理と食事が終わるのを待ってから、料理を始めるようになった。長女が料理をしているときに、妻が帰宅した場合には、長女と妻が一緒に食事を終えるのを待ってから、料理を始めることもあった。ある時、長女の料理が終わり、長女と妻がおしゃべりをしながら食事をしているときに、私が自分用の料理を始める場面があった。料理をしながら、長女と妻とのおしゃべりを聞いていた。長女の職場で、境遇が悪いが、それを跳ね除けて、頑張っている人がいるという話題であった。そのとき、私は、何気なく、「それに比べて、○○(長女の名前)は恵まれているよな」と発言した。地雷を踏んだ。長女は、泣き叫んで、私を詰った。「私はいい子だから、テレビも観ないで、友達の話題についていけなくても、勉強を頑張った。それなりに、苦しんでいたのに・・・」村上春樹の次の文章。「自分が、その人生において果たすことのできなかったことを、一人息子である僕に託したいという思いが、やはり父の中にあったのだろう。僕が成長し、固有の自我を身につけていくに従って、僕と父親とのあいだの心理的な軋轢は次第に強く、明確なものになっていった。そして我々はどちらも、性格的にかなり強固なものを持っていたのだと思う。お互い、そう易々とは自分というものを譲らなかったということだ。自分の思いをあまりまっすぐに語れないということにかけては、僕らは似たもの同士だったのかもしれない。良くも悪くも」この文章に、とても共感した。

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