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さて、「バベルの図書館」という短編小説についてご存知でしょうか?

それはアルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの代表作、『伝奇集』の中に収められた一編です。
題名の通りバベルの図書館と呼ばれるその不思議な空間が舞台となるのですが、そこは大量の本で敷き詰められた幾つもの書庫から成り立っており、一つ一つの書庫は上下と前後に果てしなく繋がっているのだと言います。換気口を中心に円形に配置された書庫は、その一直線上に無限の広がりを持ち、またその上下方向に同様の書庫が無限に連なっていて、そう、それは無限の半径を持つ円形が高さ無限の円柱状になっていると言う様な、そういった架空の空間なのだとか。
そこに収められた書物は考え得る限りの全ての文字の組み合わせを、詰まりaaa~aからzzz~zに至るまでの気が遠くなるほどの場合の数の組み合わせを網羅しており、また或る本Aは別の本Bの注釈であり、更にその本Bに対する注釈C…という本までもが蔵書の対象で、従ってこの図書館には考えられ得る全ての書物が収蔵されているということになるでしょう。過去これまでに発表された本の全てというだけでなく、未来にこれから書かれるであろう本の全てでさえも、更にはそれらの本の翻訳や、カタログまでもが文字の組み合わせの上では既に想定されているのであり、故にこの図書館は全ての書物を収蔵しているのです。

そんな不思議な空間について物語った小説が「バベルの図書館」という訳なのですが、ネット上にはこのバベルの図書館を再現したページが存在します。

ボルヘスの小説に書かれたような無数の文字の組み合わせで出来た、完全にランダムな「本」の膨大な集合を電子空間状に再現しようという試みの下に設立されたサイトです。
ここで我々訪問者は「本」という名のバーチャルな文字の連なりに出会うことが出来る訳ですが、面白いことにはこの図書館には検索機能も設けられています。

例えば今この記事を書きながら筆者はHozierの"Work Song"という曲を聴いていましたので、その歌詞から"when my time comes around lay me gently in the cold dark earth"と打ち込んでみます。

歌詞を打ち込んでみると…

そうすると、収蔵されている本の内に20件全く同じ文章が記載された本がある、という風に教えてくれるのですね。もちろんHozierの歌詞を想定して書かれた本ということではありません。
一番上に登場した検索結果を見ると、どうやらその本の名前は『lpnlcpqihpmbh,mgk』というようで、その本の43枚目に"when my ~"という文章が記されているということのようです。

『lpnlcpqihpmbh,mgk』

リンクをクリックすると上の画像のように『lpnlcpqihpmbh,mgk』の43ページ目、まさに全く同じ文章が記されたページ目まで自動で誘導されました。この場合は完全に一致する検索結果のみを要求していた為、この文章のみが記載されたページが表示されますが、部分一致の場合は例えば『ajhupxex』という本の248ページ目、"wwhen my time comes around lay me gently in the cold heart earth"というように実際には存在しない文字列の中に埋め込まれた文章を確認することが出来ます。

『ajhupxex』

これは正にハイパーテクスト、文章の中に、否、言葉の端々に立ち顕れる過去や現在の様々な意味と、それらの引用が連なって文学を形成していくのだ、というボルヘスの狙いがよく表現されていると思います。未来のどんなテクストも過去の引用であり、また過去のどんなテクストの中にも未来が潜んでいるのだ、ということですね。
上の『ajhupxex』という本を見て頂ければ分かる通り、殆どの文字列とは意味を持たない(と我々が考える)文字の連なりである訳ですが、その無意味さの中にも一つの意味があって、或いはその無意味さこそが1つの意味となって我々を待ち受けていて、その中を漂うことによってのみ我々は”物語る”という行為を成立させていくことが出来るのでしょう。その平素は非認識の領域にある混沌を可視化する表現として、このWebサイトは非常に上手に設計されているのではないでしょうか。

所でどうしてボルヘスなのか、と言えば映画だってハイパーテクストであろう、と。否、ひょっとすれば文学以上に映画はハイパーな意味の結び付きではないだろうか、と筆者は考えるからです。

例えばクエンティン・タランティーノや、ジャン=リュック・ゴダールは引用を多様して作品を作り上げることで有名ですが、何も彼らの様な直接的な引用だけにとどまらず、映画の中には多くの意味が出入りしています。
映画の中に登場するモチーフ、カメラ・ムーブメント、色彩、音楽、ファッション、様々な要素が映画の中には、きっと作者が想像している以上に沢山盛り込まれているのであり、当時は気にも留められていなかった要素が後年評価されたり、または普通の鑑賞時は問題にならないが特定の映画との比較で大切となる様な意味が埋め込まれていたりするのですね。ですから広い意味で全ての映画の中には(きっと想像も出来ない様な複雑さと曖昧さで)それ以外の全ての映画が関係しているのであり、ゴダールの様にわざわざ「引用していますよ」と語るまでもなく映画というのはハイパーな関係の上に成り立っている訳です。

そうした無数の意味の塊で作り上げられた作品が映画だとするならば、1つの作品に対して語る時にその他無数のハイパーな作品たちが見えてこなければ面白くないではないか。これは映画について書くことを考える際に誰しもが抱える悩みであると思います。ボルヘスが暗示していた通り1つの意味について語るということは或る注釈Aを作品αに付けるということですが、その注釈Aに対して注釈Bやその注釈Cが付けられていくのであり、また注釈Bに対応する映画β、注釈Cに対応する映画γが現れた時、最早作品αに対してA, B, Cという意味を解説するだけでは不十分なのです(何故なら作品βに対する注釈というのも存在するから)。

具体的にはある映画に関してただ表面上の運動、サード・シネマであったりニュー・ハリウッド出会ったりをなぞっていくだけでは面白くないということですね。
後者であれば、40年代以前のスタジオ・システムについて触れない訳にはいきませんし、そこからの転換、即ちベトナム戦争周りの歴史を見ていく必要があります。この時代に大きく進んだ映画の自由化は表現の可能性を広げると共に、それまで閉鎖的・アメリカ至上主義的だったハリウッドが積極的に異国、例えばイギリスなどの映画に協賛という形で参加し始めるきっかけでもありました。結果として多くの非アメリカ映画が注目を集め、それらを摂取し、多様な映画からの影響を受けて成長したシネフィル監督たちが台頭すると、彼らに引導を渡す形でハリウッドは再び閉鎖的になってしまった。こうして訪れた70/80年代のアメリカ映画へと繋がっていく訳です。スティーヴン・スピルバーグやスパイク・リー、ウディ・アレンがベルイマンに傾倒していることは有名ですね。

こうした縦横自由自在に出入りする映画を、その歴史を捉える為にはどうすれば良いか。ここで思いついたのがボルヘスだった、という訳です。「バベルの図書館」の捉え所のない広大な意味の連なりは、正に映画というメディアの宇宙と対応しているかの様に思えますし、故に映画について語る上でこれ以上の方法もないだろうと、そうした思いつきです。

具体的には1つのトピックについて書いた記事の中で、どうしても他の作品、事項について語る必要ということが出てくるかと思います。その際、このように(noteタイトルページへ飛びます)本文中に直接リンクを埋め込むことで、別記事がある特定の記事の間に突き刺さっている様な形にしてみよう、と。
読み進める最中でリンクに当たった際には、そのままクリックして頂いて、そうして別の記事に進み、きっとその先でも新たなリンクが待ち構えていることでしょう。1つのトピックから次々に広がっていく映画の世界の中で、迷子になる様な、そういう体験を作り出せたら面白いのかなと思います。この方式では個々の記事を短く出来るというのも利点の1つですね。

更にもう一つの試みとして、記事にはタイトルを付けず番号のみを振る、という形にしたいと思っています。#0000、#0001、といった格好ですね。
例を挙げます。ブリテイッシュ・ニュー・ウェイヴについて書いた記事があったとして、その中にはきっとヌーヴェル・ヴァーグや、ミケランジェロ・アントニオーニなどの同時代イギリス・アート映画について触れたリンクが挿入されることでしょう。ここで注意したいのは、それらのリンク先の全てを含めてブリテイッシュ・ニュー・ウェイヴなのだ、ということです。
既に触れた通り映画というのはハイパーテクストの一種であり、ブリテイッシュ・ニュー・ウェイヴという運動があって別の運動/映画と切り離されているのではなく、全ての映画に関係する意味の1つとして、ブリテイッシュ・ニュー・ウェイヴがあるのだ、と私は捉えています。ですから記事Aから記事Bに飛んだ際に、前者はブリテイッシュ・ニュー・ウェイヴについて、後者はヌーヴェル・ヴァーグについて、という風に読むのは好ましくありません。どちらもがブリテイッシュ・ニュー・ウェイヴであり、ヌーヴェル・ヴァーグでもあるのです。
ですからより柔軟な意味の繋がりと広がりを楽しんでもらう為に、記事にタイトル付けをすることは避けてみようと。好きなところから読み始めて、自由に映画を構成してもらえればと思います。noteの検索エンジンから思い思い気になるワードを打ち込んで見て下さい。或いはランダムな番号から読み始めて見ても良いでしょう。

この方式の欠点として、Googleの検索エンジンに一切表示されない、ということがあるのですが、そこには一旦目を瞑って暫くこのフォーマットで挑戦してみようと思います。構想ほど面白くないと感じた場合、失踪するかも知れません。上手くいけば長く書き続けていけるでしょう。どうなるでしょうか。
少々長くなりましたが、以上がこのページの指南書、プログラムの1行目、"Hello World"となります。挨拶を済ませたら、どの部屋からでも構いません。早速バベルの図書館的、迷宮的で、刺激的な映画の世界を覗いてみて下さい!




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