口の中で花火大会
友達がいなかった。
18歳、愛媛大学での学部留学のため、初めて渡日した私は大学生活に憧れていた。
「大学生」という単語の響きだけで自由と夢を感じていて、早くも新世界で夢を広げ、自由を満喫したかった。
大学のガイダンスの日、遅刻した。20分ぐらい、別の学科のお知らせを間違って読んでしまって、遅れて合流した私が、ガイダンスの終わり、学食でおかずをとって、席に座ろうとした時、私はただ、騒がしい大学生達の声に紛れたトレーの上に乗っているコーラの炭酸が弾ける音を聞いているだけだった。
誰も私の隣に座らないし、私も誰かの隣には座らない。
私は二人座れるテーブルに一人で座ってコーラを啜った。
友達がいないこの状況は時間が経つと改善できるだろうと思ったが、時間が経てば経つほど、人間関係は形を作って、私が入れないものになっていた。
同じく留学生だった女の子はみんなの頼りになる友達になっていて、私はただ、それを羨ましいと思いながら、一人用のテーブルに腰を下ろした。
自由と夢、それがどれだけ重いものなのか、自分は知らなかった。
自由は虚しさ、夢は儚さ。
夏になって、「みんなで花火大会行こう」と言うことがあったこと、知らなかった。
三津の花火大会にみんなが言っている時、その存在も知らなかった私は、アパートの隣の自販機で、サイダーを飲んでいた。
今日やたら浴衣姿が多いな。
そう思いながら、口の中で弾けるサイダーのことを、花火みたいと思っていた。
結局卒業するまで、友達はできなかった。
ずっと、自販機の炭酸飲料を飲みながら、自分だけの花火だと、思っていた。
そんな私が妻と一緒に座って、35℃の熱い夏の中、ずっと見たかった三津の花火を待っていた。
花火が打ち上がる。人生で初めて見た。結構な数が打ち上がったのだが、最後に3時間前に買っておいたみかんの炭酸ジュースをゆかちゃんがくれた時、やっと我に返った。
炭酸は少しも残っていなかったが、これは、きっと炭酸が花火になったのだと頭の中で唱えた。
幸せな瞬間だ。
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