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【ゲーム】ゲームとは何者なのか

■はじめに

 インターネットの普及によって、色んな人とオンラインで遊べるようになった。私が子供の頃と比べると、同じゲームで一緒に遊ぶ、というハードルは、かなり下がったんじゃないかと思う。本当に素晴らしい時代だ。

 だけれども、複数の人間が同じゲームで遊ぶとき、必ずしも、その目的が同じではないことがある。特に、自分が遊んでいた遊戯王というカードゲームは「対戦相手とできるだけ同じベクトルで楽しめること」が重要だった。

 遊戯王は、漫画であり、アニメであり、キャラクターであり、将棋であり、自己表現であり、スポーツであり、ファッションであり・・・・とにかく色んな要素を含んでいた。簡単に言えば、ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴンを召喚して目をキラキラさせたい人と、妨害と手札誘発のヒリついた駆け引きを楽しみたい人が、うまくマッチできないという課題を抱えていた。

 とは言っても、この課題の解決方法は非常にシンプルで、「あなたは遊戯王に何を求めているか?」という問いに対しての答えを各々が持ち、それを(相手を否定しない形で)表明することで、棲み分けが可能であった。MTG用語で言うところのティミー・ジョニー・スパイクと言った呼称も手伝って、「自分はどのタイプなのか」を表明することは自然なことだった。

 遊戯王の話は終わり。

 冒頭の話に戻って、オンラインで複数人でゲームを遊ぶとき、そのコミュニティがゲームに対して何を求めているのか、そしてコミュニティとは当然に個人の集合であるため、個人がゲームに対して何を求めているのか、を考えることは、好ましいゲーム体験を得るためには必要不可欠だった。

 そして、問いをそぎ落として、突き詰めていけば、「ゲームとは何か」を考える必要があった。ゲームとは何なのか、それがわからない限りは、自分がゲームに対して何を求めているのか、を分析することは難しいのだ。

 ゲームとは何者なのか、要素に分解してみよう。ちなみに、この分解はだいたい私が十年くらい前に理論立てた内容だと記憶しているが、根幹となる主張は全く澱んでいないし、細かい部分はむしろ洗練されている。


➀デザイン・グラフィック

 デザインのないゲームは存在しない。いや、別に存在したっていいのだが、デザインはゲームに大きく影響を与えている。ユーザーインターフェースという横文字もゲーマーに浸透し、そして評価の対象となっている。

 グラフィックの影響力は言うまでもない。精細なグラフィックを求めてゲーム機の性能は極めて向上し、ハリウッド映画と見紛うような美麗なムービーが挿入される。グラフィックは高画質がいいという訳でもなく、ドット絵に心を動かされるゲーマーや、カートゥーンを好むゲーマーもいるだろう。

 聞けばスプラトゥーンは企画当初、豆腐が撃ち合うゲームだったなんて話もある。無論、そうしなかったのは英断だ。あの魅力的なグラフィティの数々は今やゲームの世界を飛び出して、各種グッズが展開されている。

 ポケモンは、ポケモンだからこそ評価されている。デザインやグラフィックという枠組みを超えて、ゲームはブランドに成り得る。「ポケモンと似たようなゲーム」を勧められても、同じように興味を持てるとは限らない。

 世の中には、絵が違うだけで内容の同じゲームがわんさかとある。それは裏を返せば、やはりデザインやグラフィックがゲームの要素であり、ゲームそのものの評価に直結し得るということだ。まあ、異論はないだろう。

②生理的な気持ちよさ

 漠然とした括りではあるが、「生理的な気持ちよさ」とは、「言葉にできない快感」と換言してもよい。もっと端的に言うのであれば、(上述した視角以外の)五感を楽しませることであり、主にアクションとサウンドだ。

 まずはアクションから。アクションとは、スポーツだ。上手に操作をおこなって、望んだ結果が得られることで、人間は快感を覚える。マリオも、格ゲーも、音ゲーも、レーシングも、FPSもすべて快感が設定されている。

 次にサウンドだ。アクションゲームにはサウンドエフェクトが密接に関係している。敵を殴った時の音、敵を撃った時の音、レベルアップした時の音、操作やシチュエーションとサウンドがマッチすることに快感がある。

 少し変わったところで、アナログゲームの魅力には触覚がある。麻雀牌の触り心地に魅了された人は多い。カードゲーマーは定期的にカードを触りたくなって「そろそろ紙しばきたい」とTwitterに呟いてしまう。アナログゲームだけでなく、コントローラーを触りたいのならテレビゲームも同じだ。

 「生理的な気持ちよさ」は、言葉では説明ができないが、ゲームを構成する要素の中で最も原始的な魅力である。だって気持ちいいのだから。

 できるだけ漏れのないように「生理的な気持ちよさ」としたが、端的に言えばアクションであり、スポーツである。アクションゲームとボードゲームは要素が離れているように感じると思うが、「生理的な気持ちよさ」をどこに感じるかは人それぞれなので同じジャンルに括れる、という方が正確だ。

③ストーリー・テーマ

 ノベルゲームはゲームと言えるのか、という命題がよく取り沙汰されるが、私はゲームと言って差し支えないと思う。すべてのゲームを要素別に六角形のグラフにしたとして、ストーリーに重きを置いているというだけだ。

 ゲームとは、ゲームたらしめる何か単一の定義がある訳ではなく、色々な要素が複合されたコンテンツだと思う。たとえば、上述したデザインやグラフィックには美術作品が、アクションにはスポーツが、サウンドには音楽作品がある。ノベルゲームも、それが「遊び」であるならゲームなのだろう。

 話は戻って。RPGをプレイする時、そこにはストーリーが必要不可欠だ。ストーリーとは、決して小説のように一方向に進んでいく物語である必要はない。たとえば、カードゲームのちょっとしたフレーバーでもいいし、格闘ゲームのちょっとした設定でも、局所的にストーリーを感じられる。

 ストーリーをもっとマクロに捉えるなら、そのゲームにテーマやポリシーはあるか、ということだ。世界観と言ってもいい。反対に、もっとミクロに捉えるなら、作中に出てきた些細なポエムの一つでも魅力たり得る。

④ステータス・コンプリート

 クッキークリッカーの登場は衝撃だった。ただクッキーが宇宙的に増えていくだけのゲームが、あんなにゲーマーを熱狂させるとは思わなかった。だがしかし、考えてみれば当然で、ゲーマーは常に数字を増やしてきた。

 RPGのレベル上げであっても、あつ森の借金返済であっても、ソシャゲに課金してまで好きなキャラクターの能力をMAXにするのも、よくよく考えてみれば暴論、ただ数字が増えているだけのことに過ぎないのである。

 だが、これが楽しくて仕方がない。ともすれば、数字が増えることは、ゲームの魅力に直結している訳で、立派なゲームの要素の一つなのである。数字が増えている最中の熱狂と、その結果をうっとりと眺める達成感だ。

 達成感という括りで考えれば、ただ数字が増えることだけではなく、コンプリートすることにも達成感があると気付く。もっと拡大して考えれば、どうぶつの森で満足のいく内装を作れた時、マインクラフトで巨大な建造物を完成させた時、牧場物語で完璧な計画で畑仕事をした時、すべて同種だ。

 アイテムのレアリティを上げることにも、同じ喜びがある。よく「自己満足」等と揶揄されるが、そうしたいのだから仕方がない。そして、計画している最中のワクワク感と、完成させた瞬間の達成感は計り知れない。

 つまり、心を喜ばせる要素と言ってもいいかもしれない。あまり拡大しすぎても良くないが、ゲームの中で自己表現をしたいという欲求があるなら、キャラクリエイトやスキン、分身となるキャラを選ぶ等も挙げられる。

⑤パズル・戦略

 頭を使うゲームが好きだ、という人は多い。アクションやスポーツが身体を使うのに対して、パズルは頭を使う要素である。頭を使うというのは、難解さとはイコールでない。簡単だが頭を使って楽しむゲームだってある。

 たとえば、じゃんけんのルールはシンプルだが、あれは属性を楽しむゲームである。グーがチョキに勝ち、チョキがパーに勝ち、パーがグーに勝つ、というルールを楽しむことは、身体ではなく、頭を喜ばせる遊びだ。

 パズルゲームの代表格であるテトリスは、アクションの要素が勝敗に非常に重要である。格闘ゲームやFPSはジャンルとしてはアクションゲームだが、戦略が勝敗に非常に重要である。やはり要素と度合いの問題なのだ。

 繰り返しとなるが、パズルや戦略の要素は決して、頭の良さが必要という意味ではない。たとえば、RPGで属性の概念があり、炎が水に弱く、水が雷に弱い、といったルールが敷かれていたとして、これも立派なパズルだ。

 つまり、パズルとは敷かれたルールを理解し、そして守ること、守れなかった場合は、ルールに従って罰則を受けること、を意味している。ゲームにおいてはルールが審判を兼ねているので、自動的にペナルティが生じる。

 一方で、パズルや戦略に重きを置いていて、秀でている方が一方的に勝てるゲームも存在する。将棋やチェス、オセロ等のアブストラクトなゲームに精通している人が、そうでない人に負けることは考えにくいだろう。

⑥運・ギャンブル

 だからこそ、運の要素が必要となる。カードゲームには手札のバラつきがあり、ポケモンには確率の壁がある。それでも楽しいのは、運の要素がスパイスとして機能していて、「次こそはうまくやろう」と思わせるからだ。

 また、もっとシンプルにギャンブルを遊ばせることもできる。「ガチャを引くだけのゲーム」と揶揄されてもなお、ゲーマーはガチャを引き続ける。レアドロップも、ダイヤモンド鉱石も、色違いも、ゲーマーを魅了する。

 対戦ゲームにおいては、運の要素というより、ゲームバランスの大味さがそのゲームをより面白くするケースがある。「VALORANTはヘッドショット一発で初心者でもキルが取れて楽しかった」という意見もあるだろうし、「モダンで適当にインパクトしてたら勝てた」のが嬉しいかもしれない。

 運やギャンブルは間違いなくゲームの魅力である一方で、スパイスを足し過ぎるとゲーム全体が歪んでしまうという劇薬でもある。しかしスパイスを完全に抜くと「将棋」と揶揄されてしまうので、注意が必要である。

■おわりに

 最近、文章を書く力がめきめきと衰えている。そんな自覚があり、気を抜くと怪文書を量産してしまうのでリハビリとして記事を書いている。この分析はずっと前から文章にしたいと思っていたので、機会を作って良かった。

 でもやっぱり文章力は落ちていて、こんな雑文を書くのに二時間以上も掛かってしまった。正直、もっと真面目に書けば、もっとまともな記事になると思い込んでいるが、そんな気力はないし、たぶん実力もないだろう。

 さて、このように分解すれば、自分がゲームに何を求めているのか、少しは表明できるのではなかろうか。たとえば、遊戯王にストーリーを求めているのであって、別にパズルは求めていない、という人もいるだろう。
 
 自分が好きなゲームを探すことのきっかけにもなるだろう。私がボードゲームを買う決め手はいつだって、サプライ・コンポーネントの良さ、つまり見た目で買うかどうかを決めている。そういう人がいたっていいのだ。

 世の中には色んなゲームがあるが、根幹となる魅力はそう変わらないと思う。暇な人は、ゲームを構成する要素について考えてみてください。そしてもしも、何かツッコミどころがあれば教えてください。あでゅー

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