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向田邦子さんのこと

このnoteにはこれまで、自分の好きなものについて好き勝手につらつらと書いてきたつもりだ。思い出話をはじめ食べ物やお酒、読書、喫茶店から競馬まで雑多に。
しかしながら、「好きすぎて書けない(書けなかった)」テーマもある。
私にとっては向田邦子さんがそうで、好きすぎて思いが溢れた挙句どこから書いていいのか分からないのに加えて、恐らくはこのnoteにも向田ファンの先輩方は多数居られると想像する。
この3~4年ほどで急速に向田さんに傾倒し著書を読み漁っているいわば「新参者」が烏滸がましく彼女について語ってよいものだろうかと思わないでもない。

一つ前の記事で、小学生の頃に新聞記事で知った福永洋一さんについて書いたが、実は私が向田さんをちゃんと知ったのも新聞記事。しかも彼女の訃報だった。

当時小学6年生だったと思う。多感な時期に入り始めていたところに新聞で大きく報じられたそのニュースに少なからずショックを受けた。
向田邦子という人物は母の蔵書の背表紙で見たかも知れない程度の記憶だったが、間違いなく彼女の軌跡には触れていた。「寺内貫太郎一家」をはじめとした数々のホームドラマという形で。

飛行機が怖い

航空機事故がどれほど悲惨なものかは、その数年後の夏に起きた日航機事故でこれでもかと思い知ることとなった。それで更に飛行機が怖くなってしまった私だが、後年向田さんのエッセイを読み、彼女も実は飛行機を恐れていたことを知り愕然とした。
彼女の母親が初めての海外旅行に旅立つ時に、どうか飛行機が落ちてくれるな、万が一落ちるなら帰りにしてくれと祈った場面はぞっとするほど心に残っている。
私も飛行機が怖いながらも空路の先に出掛けるのは大好きなので、いつも手に汗を握りながら離陸に耐えている。毎度恐れを抱きながらも世界各国を飛び回っていた彼女の気持ちはよくわかる……というとまたも図々しいファン心理だが。

「昔カレー」がきっかけ

コロナ禍に入る少し前、私は遠距離通勤の間を読書に充てていた。
その頃既に、いつかフードエッセイを書く人になりたかったのでその手の文章を読み漁っていた。ある意味手っ取り早く色々な方の作品を読める「アンソロジー」を好んで読んでいたのだが、その時手にしたのが「アンソロジー カレーライス!!大盛り」だった。カレー好きの私らしいが(笑)
敬称を略すが池波正太郎、北杜夫、平松洋子、檀一雄、寺山修司、五木寛之、中島らも、伊集院静、ねじめ正一……書き切れないほど錚々たるメンバーがただ一つのテーマ「カレーライス」について書いたエッセイをまとめているのだ。
お題を出して書かれたものではないから、いかにカレーライスが日本人のDNAに入り込んでいるのかわかる。

そのアンソロジーにあった向田さんの「昔カレー」に引き込まれた。

人間の記憶というのはどういう仕組みになっているのだろうか。他人様のことは知らないが、私の場合、こと食べものに関してはダブルスになっているようだ。例えば「東海林太郎と松茸」という具合である。

向田邦子「昔カレー」より

冒頭からカレーの話ではない。東海林太郎と松茸、どういうこっちゃ、と思わせておいて「食べ物と対で連想するもの」からカレーライスの話に繋がっていく。彼女にとっては「カレーライスと天皇」であり、父が敬愛していた天皇陛下に対して変な顔だのと子供ながらの軽口を言ったことで激しく怒鳴られ、夕食を抜かれたという。折しもその日はカレーライスだった。

そこから父のカレーだけが他の家族と違った別ごしらえだったこと、食卓は厳しい訓戒の場だったこと……厳しかった父と従順な(恐らく上手にいなしていたと思う)母の思い出が語られ、大人になってあらゆるカレーを食べたがモノのない時代に食べたうどん粉で固めたようなカレーと父の怒声が連動するように心に残っていること。しかし今になってうどん粉カレーを母にリクエストしたところでそれは思い出を壊すことにしかならない、と綴られている。

アンソロジー自体は非常に面白く、これをきっかけに読み始めた作家もいる。中でもやはり向田邦子さんにズルズル引き込まれていき(今でいう「沼に落ちる」が如く)著書を集め始めた。読み漁るにつけて「何であの時飛行機落ちるんだよ!!」という憤りにかられてしまう。

ほんの一部。あ!「愛という字」がダブってる!!

母との共通点

あれから文庫をはじめハードカバー、kindle電子書籍、メルカリや古本屋でムック本……とかなりの勢いで集めていった。
彼女の観察眼と飾らない文章、「わかる!」と膝を叩きたくなるようなエピソードの数々。もしも叶うならば同じ時代に生まれて友達になりたかった人(相変わらず図々しい)。
食べものエッセイがとても多く、料理本ムックも出ている。写真付きで載っているレシピよりも本文中で書かれている描写の方が美味しそうに思えるのは私だけだろうか。「海苔と卵と朝めし」は本当に秀逸だし、「ごはん」に描かれた、空襲でもうだめだという時に最後の食事のつもりで家族で食べたご飯とさつまいもの天ぷらは後世に語り継ぎたいエピソードだ。この話に出てくる彼女の父親はいかに愛情深い人かを改めて感じる。

ところで、すっかり向田ファンになってしまった私は母に尋ねてみた。
「向田邦子さん好きだったっけ?」
実家に著書があったような気がする、というおぼろげな記憶を頼りに投げかけた。
「お母さんも向田さん好きだよ!あの人の人を見る目はすごい」と。
それからしばらく向田談議で盛り上がったのだが、まさかお互い70代と50代になって共通の「好き」が見つかるとは。
しかも私は彼女の作品をテレビで見ていながら認識しておらず、航空機事故の新聞記事で彼女を知ってから40年近く経ってファンになるという妙なタイミング。何故もっと早く知らなかったのかと悔やまれる辺りも前の記事と共通していたりする。

向田邦子さんが足繁く通った西銀座の喫茶店「ブリッジ」、人形町の「喫茶去快生軒」は今も営業している。特に「ブリッジ」は彼女の写真や資料が店頭に飾られているので、勝手に聖地として何度か訪れている。
夏に母が東京に遊びに来る用事があるので、連れて行くつもりだ。
とりあえず、ブリッジ名物のメロンパンケーキは一人で完食できそうにないので手伝ってもらおう(笑)


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