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誤読のフランク 第24回 首のない二枚(チューバ、ショーウィンドー)。

Political rally - Chicago

顔が見えない写真は存在を消す訳ではなく、顔が見えないからこそその存在を強く印象づける。
ポリティカルラリー。3回目かな?(議論場の写真も含めて)

ここで気になるのは右端の女性。写真には写らないと思ってて、写ってしまったいかにもな仕草が良い。白服を着たブラスバンドの男達に比べて普段着のようだから、ただの参加者だろうか。
この連続投稿に際してアメリカンズの評論とかロバートフランクそれ自身のことは見ないことにしてて、だから前後の実際シャッターを切ったカットは分からない(とりあえず調べないことにしている)。それでもこの写真はアメリカンズを代表する写真のひとつみたいでよく引用されているのは知っている。
構図といい写真の位置もバッチリ。でも、ずっとなんで?この写真がなんて疑問には思っていた。もちろん他の写真も引用される度合いが数多いものもあるのだけど、これはきっと、前回までの重たい話(写真)が続いたシークエンスのあとに、こんなでかいチューバみたら、そりゃ印象に残るわ!と思う。むしろ、ひとつ前の中国人の墓とかは引用されにくいと思う。
なんか重いし、人種的な問題もありそうだし、嫌だなー見ないでおこうな。そうしよう、なんて「感じる」のかもしれない。むしろ、このチューバって目じゃないのか、目みたいに見える。ぎょっとした。的なことを思う。

順番に見ててこのところ、どうやらこの写真集のシークエンスが別の段階に入ったのではないかと、前回書いた。「見る/見られる」の構図だ。
アメリカンズを観察してカメラというもので見ているのは誰だろう。いや、それを通してアメリカンズを見ているものは誰だろう? そしてこの目に見られているのは誰だろう?と。

黒人の葬式に入り込む。民主党大会に入り込む。旅をする人に同行する。話題になった場所に行ってみる。少し前から感じているがジャックケルアックが序文を書いてるから「ロードムービー」的にアメリカンズがとらえられることが多いけど、手法としてはドキュメンタリーの手法に近いように感じる。今でこそドキュメンタリーは語り手の視線や立場をどのようにするかという点は議題にのぼるが、その時代、語り手は被写体より強者の立場で描かれていなかっただろうか? 中立とはあり得ないということは今なら当たり前に議論されるが、当時はどうだっただろうか。語るということをどこまで考えていただろうか。その視線というのはロバートフランクにとってどのような影響を及ぼしただろうか。

どうもこの写真はその視点の位相をどのようにするかという問いかけの目に、どうしても見えてしまう。だから写真は写真集でこの位置に置かれたのではないか、と考えている。

Store window - Washington, DC

Formal Wear の看板がついた衣料品店のディスプレーウィンドー。顔のないボディ。写真がこっちを見てる。前の写真からのつながりは顔のないボディ。

この写真、誰かなと思って探してみたら同じ写真があった。たぶんこれなのかな? アイゼンハワー(アイク)。髪の毛はあるように見えるけど、元の写真は(あまり見え)ないよね。つうか、もしかして髪を描いてる?
ロバートフランクよー、あと五歩前に出て撮ってくれたらもっと分かるのに!
ロバート・キャパの「君がいい写真を取れないのは、あと半歩の踏み込みが足りないからだよ」ってのを知らないのか!って毒づいてみる。

で、この写真、ずっと見てると何かスタジオのセットみたいに見える。お店のショーウィンドウなら何だか中途半端だし、卓球台をひっくり返したようなディスプレーの背景もなんか変だし。うん、うん。だんだん本当にスタジオのセットかも知れないような気がしてきた。映画かテレビのセットかも? なんて考えてみたけど、なんで下側に鏡があるんだ? とか。写真を吊るすのになんでこんな風に糸みたいなの引っ張ってるのか(サランラップにも見える)と不思議な点も多い。
でも、まあ、たぶんガラスの写り込みにネオンっぽいのが写ってるから、街頭で撮られたものだろうなぁ。なんて思い直したり。

でもね、ロバートフランクが大統領就任式の日に撮ったこの写真を見ると、まるでテンプレ。となりの写真も同じような角度とライトでまるで肖像写真のテンプレだ。肖像写真はかくあるべし。フレームインフレーム。首が取れた政治家。もしくは、ガラスケースの中の見せ物のような権力者。

1956年ってどんな年だろうかなんて思ってたら面白い映像を見つけた。
"Earth vs. the Flying Saucers"
https://youtu.be/or-cor65aYE

UFO全盛期!UFOは冷戦の比喩である、みたいな話もあるけど、ほんとこの時代は冷戦が最盛期の時期。アイゼンハワーはその矢面に立っていた。

アイゼンハワーのwikiを読むとちょっと面白いことが書いてあった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BBD%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%83%BC
<スウェーデン系説、ユダヤ系説も存在し、父はウェストポイントの1915年に発刊された卒業年次別名簿に、スウェーデン系ユダヤ人と書かれている。
また、母イーダはメノー派スイス系ドイツ人のリヴァー兄弟団(River Brethren)、のちにエホバの証人ものみの塔協会のメンバーで1898年に洗礼を受ける[2]。
アイゼンハワー家は、ドイツ系であったが、18世紀以来ずっとアメリカで暮らしていた。その後一家は1892年にカンザス州アビリーンへ転居した。>

アメリカンズをずっと一緒にみてきた人には分かるけど、Awake!の写真が入った理由ももしかするとコレかもしれない(当時このことは分かってたのかどうか分からないけど)。それに移民してきたユダヤ人というのも気になってたのではないだろうか。
このとき、アイゼンハワーの人気は強くて、「アメリカ人」を撮るなら、こっちだ、という打算もあったのではないかとも思えるけど、さてどうだろうか。

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