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誤読のフランク 第29回 サンフランシスコ、ベルアイル、お昼寝中、何撮ってんのよ、ぽつん。

San francisco

何見てんだよ!オラッ!って写真。明らかにカメラを持った不審者にガンつけてる。黒人が公園でのんびりしてるのが悪いかよ。えぇっ!何とか言ってみろよちっこいの。
1950年代って、そういう時代。
たぶん今なら全く同じシチュエーションでも違う目付きになるだろう。サンフランシスコも起伏のある土地だ。

この写真はこちらをみている。前の写真は見ていない。


Belle Isle, Detroit

これは人々が見ているものを見ている。そして、遠くの軍人?がロバートフランクを見ている。監視。
前の黒人カップルがガンつけてるのは監視されている(差別とはそういうことだ)のかと感じている、ともとれる。

この写真は最初の方にあったロデオの写真に呼応する?
構図は見事だ。右向きの△。

ぽちゃっとした子供が気になるけど、ふとっちょオバサンの髪型が最高。

Public park - Cleveland, Ohio

公園で寝てる男。もちろん見てない。
今度は前の写真と逆、左向きの△。腕に女性の入れ墨。

そして、まさかの木繋がり。

Courthouse square - Elizabethville, North Carolina

段々木が近づいて、これは木の根本だ。
奥の女性がこっちを見ている。

Picnic ground - Glendale, California

あ、木が離れた。だんだん木が近づいてきて、木の根本まで来たら、木が遠くなった。真ん中の枝と幹で下向き矢印みたい。そこに人が座ってぼんやりしてる。ぽつん。

さて。
この並び、それまで視線のことを匂わせて、まるでロバートフランクはアメリカ人になってしまった。同化して、同じものを見てるようになったのではないか、と書いた。それにしてもこの写真の並びはよく分からなかった。アメリカンズの目の写真以降、しばらく迷走してるように見えてて、この並び、シークエンスがさっぱり分からなかった。
そもそもアメリカンズって何かよく分からないってところが、アメリカンズの異質性だなーなんて、極東のサルは思ってた。
それでひとつひとつ見ていこうなんて思いついて、見て見たら、その旅した場所にまつわるあれこれが、かなり重くて、ストリートスナップという軽い写真集の意味から逸脱して、げっそりすることも多かった。

このシークエンスもなんかよく分からないけど、とりあえず、調べてみて、なんもなかったら、木が次々と出てきて、狂言回しみたいと書いてお茶を濁そうかと思ってた。なんかこの辺り、アメリカンズ全体の中でもテンション低くて、ページ余ったから適当に突っ込んどこうとか、日本盤CDで時間いっぱいまでボーナストラックって言いながらカラオケバージョンが入ってるみたいな感じって思えて、結構筆が重いなあって、一週間ぐらい寝かしてた。で、あきらめて調べはじめた。

状況証拠を集めてみよう。写真は1955年か56年だから、その近辺を調べてみる。最初は前の回のチャタヌーガから。

Chattanooga

The Spirit of Protest and the Sit-In Movement in Chattanooga, Tennessee(PDF)(解き放たれない炎:抗議の精神とチャタヌーガ、テネシー州のシットインムーブメント)
https://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&rct=j&url=http://scholarworks.gsu.edu/cgi/viewcontent.cgi%3Farticle%3D1028%26context%3Dhistory_theses&ved=2ahUKEwjz9siet9LeAhUac3AKHQTzCR8QFjAWegQIBxAB&usg=AOvVaw3ggAhREAydAh7slzvbxTf5
チャタヌーガは早い段階から公民権運動が行われていたみたいだ。
公民権運動の一般市民への波及は小さな運動から始まった。シットインと言われるものもそのひとつ。「白人専用」のカフェに陣取ったり、抗議のために公共機関の前に陣取ったりすることで、もちろんチャタヌーガでも早い段階で行われていたみたい。

チャタヌーガには1865年に作られたアメリカ最初の黒人のための公立学校、The Howard School ってのもあって、今はもう落ちこぼれの学校なんて言われてるけど、生徒たちが授業で作ったドキュメンタリーがあって、、これはこれで面白そう(https://buildmeaworld.vhx.tv/)。

(前に書いたかもしれないけど)、ジムクロウ法というのがあって、要するに白人以外を分離する政策(主に南部)があって、有色人種と白人の生活空間、バスの座る席まで分けられてた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A6%E6%B3%95

Jim Crow Laws: Tennessee, 1866-1955
https://blackpast.org/primary/jim-crow-laws-tennessee-1866-1955
<The State of Tennessee enacted 20 Jim Crow laws between 1866 and 1955, including six requiring school segregation, four which outlawed miscegenation, three which segregated railroads, two requiring segregation for public accommodations, and one which mandated segregation on streetcars. The 1869 law declared that no citizen could be excluded from the University of Tennessee because of race or color but then mandated that instructional facilities for black students be separate from those used by white students. As of 1954, segregation laws for miscegenation, transportation and public accommodation were still in effect.>(google翻訳:テネシー州は1866年から1955年の間に20のジム・クロウ法を制定しました。学校隔離を必要とする6件、違法行為を禁止した4件、鉄道を分離した3件、公共施設のための分離を必要とする2件、そして路面電車での分離を義務付ける1869年の法律は、人種や色のために市民をテネシー大学から除外することはできないと宣言したが、黒人学生のための教育施設は白人学生とは別のものにすることを義務付けた。 1954年現在、誤用、交通機関、公共施設の分別法は依然として有効であった。)

日本では、結構、奴隷制度をめぐって南北戦争が発生したみたいな話で語られるけど、結局はジムクロウ法によって、黒人たち(有色人種)は以前より悪い生活を余儀なくされたというのは言われているとおり。
さらにさかのぼってチャタヌーガを調べてみると、
Chattanooga: History
http://www.city-data.com/us-cities/The-South/Chattanooga-History.html
最初の入植者はチェロキー族を追い出してしまう。南北戦争の激戦地だったり、南部の交通の要だったりする場所だった。

■ San Francisco
Rare Photographs of the US Civil Rights Struggle Beyond the South
https://hyperallergic.com/338329/north-of-dixie-civil-rights-photography-beyond-the-south/

<Cox Studio, “San Francisco NAACP members during a ‘Don’t Ride’ campaign urging riders to boycott Yellow Cab and help stop hiring discrimination” (San Francisco, 1955) (courtesy Library of Congress, Prints and Photographs Division, Visual Materials from the NAACP Records)>
(google翻訳:サンフランシスコのNAACPメンバーである「Cox Studio」は、乗り手にイエロー・キャブをボイコットし、差別撤廃を促すキャンペーンを行っています(サンフランシスコ、1955年)。(議会図書館印刷物写真部、 NAACP記録)」)

サンフランシスコはいっぱいありそうだ。とおもったら、結構60年代に入ってからの方が盛んみたいだ。
http://www.foundsf.org/index.php?title=Segregation_and_the_Civil_Rights_Movement_in_San_Francisco

その後フラワー革命とヒッピーで90年代後半からのシリコンバレー特需で沸き立つまでヒッピー文化が強かった。そしてゲイ。

面白そうな資料を見つけた。
(381PもあるPDFなので、好事家か研究者用だろうなあ)
CITYWIDE HISTORIC CONTEXT STATEMENT FOR
LGBTQ HISTORY IN SAN FRANCISCO
Donna J. Graves & Shayne E. Watson
https://www.sf-planning.org/ftp/files/Preservation/lgbt_HCS/LGBTQ_HCS_October2015.pdf



■ Belle Isle, Detroit
Belle Isle
https://progressive.org/magazine/aboard-fight-segregation-bob-lo-island/
On June 20, 1943, a brutally hot day, thousands of African Americans crossed the bridge to Belle Isle, seeking to escape the heat and enjoy a Sunday in the park. Almost immediately, violence broke out. Sailors from the local armory attacked a group of African Americans, and a black woman was badly beaten by white women screaming, “We don’t want any niggers on Belle Isle!”
By the next day, the situation had escalated into a riot, and the violence poured into the streets. There was widespread looting and burning, with both sides taking part. The city police were ineffectual. Finally, the mayor appealed to President Roosevelt, who diverted 6,000 troops from war service and sent them to Detroit to quell the riot. (Google翻訳+α:1943年6月20日、残酷な暑い日に、数千人のアフリカ系アメリカ人がBelle Isleへの橋を渡り、熱を逃れて公園で日曜日を楽しんでいました。ほぼすぐに、暴力が発生した。地元の武器屋の船員たちは、アフリカ系アメリカ人のグループを攻撃し、黒人女性は白い女性たちによってひどく殴られました。「ベル・アイルにはくろんぼ欲しくない!」と叫びました。
翌日までに、状況は暴動に激化し、暴力は通りに注がれた。広範囲の略奪と焼けがあり、両陣営が参加した。市の警察は効果がなかった。最後に、市長はルーズベルト大統領に訴えました。ルーズベルト大統領は戦争奉仕から6,000人の兵士を派遣し、暴動を鎮圧するためにデトロイトに派遣しました。)

■ Public park - Cleveland, Ohio
Where Rosa Parks Boarded Cleveland Ave Bus
https://www.complex.com/pop-culture/2012/02/50-key-sites-black-american-civil-rights-movement/6
Rosa Parks はクレーブランドでバスで白人の席を離れなかった罪によって逮捕された。公民権運動のヒロイン。でもそのクレーブランドはオハイオじゃない。ちなみにマーティン・ルーサー・キングはアラバマ州モンゴメリーのデクスター・アベニュー・バプテスト教会の牧師に就任中の1955年12月のモンゴメリーで発生したローザ・パークス逮捕事件がきっかけになり、モンゴメリー・バス・ボイコット事件運動を計画して彼の最初の公民権運動を成功させた。でもそれはオハイオではない。アラバマ州のモンゴメリー、クレーブランド通りだ。

じゃ、このクレーブランドの状況はなんだったか?って探してたらこっちだった。
Cleveland Bomber Plantで画像検索してみると、なかなかすごいことがわかる。


太平洋戦争が1945年に終結。朝鮮戦争が1948年から53年。当時、クレーブランドでは大きな工場があって、爆撃機を作ってた。ロバートフランクが旅をした頃は大きな戦争が終わって、作ってたB24とかB29、戦車の生産の縮小、労働者の解雇(それによって起こる貧困)などがあったのではないだろうかと思われるところ。それもそのはずいかにも労働者が昼間から公園で寝てるって、もしかするとそういう状況がこの写真には描かれてる?って考えるのは深読みか。

■ Courthouse square - Elizabethville, North Carolina

で、こっちもCourt Squareって探すとこれがでてくるんだよねー。
The Bus Stop
http://www.goathillhistory.com/blog/2016/4/4/the-bus-stop
<Rosa Parks. "The First Lady of Civil Rights". "The Mother of the Freedom Movement". Anyone who has ever sat through a U.S. History class knows Rosa Parks was arrested for refusing to give up her bus seat, and that arrest led to the Montgomery Bus Boycott.>

Courthouse Square って検索すると、こういうのも出てくる。

Courthouse Square
https://en.wikipedia.org/wiki/James_Cameron_(activist)
A lynch mob broke into the jail where Cameron and his two friends were being held. According to Cameron's account, a lynch mob of 12,000–15,000 at the Grant County Courthouse Square took all three youths from the jail.

このページのリンチの写真。これがビリーホリデーの「奇妙な果実」。
でもこれも、違う。Indiana州、Marionだ。

いや、これは行間を読めってことなのかも知れない。
Cleveland + Court (house) Square = Rosa Parks
まさか。。。。いや、それはちょっと考え過ぎか? でも人が集まって何かある、ちょっと物々しい雰囲気でもある。木の向こうの女性はロバートフランクをいぶかしげに見ている。

North CarolinaのElizabethville の Courthouse square を探してみた。
https://goo.gl/maps/YyrDFjaSTfy

場所が変わってなければ、2012年Novの様子はGoogle Mapのストリートビュワーによるとこんな感じ。Courthouse square ってここだろう。レンガは同じだけど改装で袴が履かされてる感じ。

うーん、分からないから禁を犯してコンタクトシートを探してみる。
https://www.artsy.net/artwork/robert-frank-contact-sheet-number-74-courthouse-square-elizabethville-north-carolina

ほらー。これもなんかあるじゃん。泣いてる人もいるから、なんかあるじゃん。
英語がもっと堪能なら、当時の事件等片っ端から洗えるのに、と思う。でもこの様子はただ人が集まってるのではなくて、何かこの街で大きな物語が起こってるよね。
ちなみに、この三つ目のダマートがついた写真の隣、黒い帽子の女性が写ってる写真を見ると、背景の建物は2012年でも残ってる。

※ちょっと調べてたけど、この時に何があったのか分からない。この写真は宿題とする。


■ Picnic ground - Glendale, California

But Why Glendale? A History of Armenian Immigration to Southern California (PDF)
http://www.academia.edu/34873820/But_Why_Glendale_A_History_of_Armenian_Immigration_to_Southern_California

グランデールは古くから移民が多い所として有名だったみたい。

グレンデール (カリフォルニア州)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%AB_(%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B7%9E)
<グレンデールを含む現在のロサンゼルス都市圏一帯は、ヨーロッパ人の入植以前はネイティブ・アメリカンのトンバ族が住む土地であった。バハ・カリフォルニア半島から進軍したスペイン軍の伍長ホゼ・マリア・バーデュゴは、1784年からサン・ラファエル牧場と呼ばれたこの地で農業を始め、1798年に正式にこの地を与えられた。ホゼ・マリア・バーデュゴの孫にあたるテオドロ・バーデュゴは、1860年にグレンデールで最も古い建物となる「バーデュゴ・アドビ」という建物を建てた。この建物が建てられた地は、「平和のオーク」と呼ばれる、1847年に合衆国陸軍中佐ジョン・C・フレモントがカリフォルニア反乱軍の将軍アンドレ・ピコを降伏させ、カリフォルニアにおける米墨戦争を終結させた地であった。やがて、バーデュゴの子孫たちは牧場を小分けにして売却した。その土地のうちのいくつかには、アットウォーター・ビレッジ、イーグル・ロック、ハイランド・パークなど、現在のロサンゼルス市内のコミュニティが形成されていった。>

あ、そうか、この写真はインディアンの話だったか。
あと余談だけどこのwikiのグランデールの項、グレンデール交響楽団の話がとても面白い。
<音楽監督であったのは、映画音楽の作曲、クラシック音楽のポピュラー名曲の編曲や指揮で著名であったカーメン・ドラゴンである。ドラゴンの指揮のもとでグレンデール交響楽団は、ハリウッド・ボウル交響楽団、ハリウッド・ボウル・ポップス管弦楽団、キャピトル交響楽団といった変名を使用して、大量のポピュラー・クラシックの録音をおこなった。また、ブルーノ・ワルターやイーゴリ・ストラヴィンスキー指揮の録音に登場するコロンビア交響楽団も、その実態はグレンデール交響楽団と重複しているところが多かったと言われている。録音に際しては必ず覆面オーケストラとして登場し、本名のグレンデール交響楽団としてクレジットされた録音は皆無であるという不思議な存在であった。>

場所はどこかなーなんて探してみたら
Verdugo Park Glendale

かな? きっと、この辺だろうな。

Timeoutのこの記事見ると、
https://www.timeout.com/los-angeles/attractions/verdugo-park

下手すると同じ木が残ってそうな感じ。ベンチも同じところにあったりして。


■以上。
かるーく済ませようと思ってたこのシークエンス。なかなかのボリュームがあった。ざっと通り過ぎる、ボーナストラックのはずだったのに。

公民権運動等はこちらから。というか記事が山ほどありすぎ。それだけ根が深い問題だということでもある。

Then & Now: 50 Key Sites in the American Civil Rights Movement
https://www.complex.com/pop-culture/2012/02/50-key-sites-black-american-civil-rights-movement/

Tumblerのこの記事。
https://grumpyfacedegalitarian.tumblr.com/post/173499441703/the-justice-system-needs-to-be-tough-on-rape-and

Bloody Christmas (1951)

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Bloody_Christmas_(1951)

History of the Civil Rights Movement
https://youtu.be/URxwe6LPvkM

Civil rights movement
https://en.wikipedia.org/wiki/Civil_rights_movement

17 Civil Rights
http://sites.austincc.edu/caddis/civil-rights/

Equal Justice Initiative TIMELINE
https://racialinjustice.eji.org/timeline/1950s/

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