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誤読のフランク 第32回 イントロダクション

誤読にふさわしく、誤読の誤読をやってみよう。
ちゃんとした文章を読みたければ1993年の日本語版、山形浩生の翻訳を探してみるとよいと思う。というか僕も読みたい。読みたいけど手元にない。(現在2018年末)

原文の全文が掲載されている文章がネット上になかったので、スキャンして、OCRをかけた。そしてそれをそのままGoogle翻訳にかけた文章を元にしている。翻訳された文章に僕が手を加えて、少し読みやすくしている。文法や本来の意味とは違ってるという誤読、つまり結果的に(意図的に?)超訳だということはご理解いただきたい。

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INTRODUCTION 
by Jack Kerouac

くそ太陽のせいで路上が灼熱の暑さだったりするとき、アメリカにいると、どっかから音楽がジュークボックスか、近くの葬儀から聞こえたりしたりして、ああ、もうっ! て感じで気違いみたいな気分になる時がある。
そんな中、全米48州をロバートフランクは古き良き中古車(グッゲンハイムの助成金で購入!)で周り、マジで凄い写真を撮りやがった。
この写真は、さっと撮ったり、謎がありそうなのだったり、天才技?って思えたり、そしたら悲しみ深いものだったり、いかがわしそうな秘密の影があったりで、どれもこれも(映画とかも含めた)フィルムで撮られたもので、今までにないような感じ。彼は間違いなく写真の世界で偉大な芸術家として称賛されるだろう。いや、マジで。

これらの写真を見てしまうと、もう、あなたはジュークボックスが棺より悲しいかどうか、これ以上知るよしもないだろうし(だって彼はジュークボックスと棺の写真をいつも撮っているし) 。
— 夕日に包まれた、ミシシッピのぶよぶよの液体みたいな腹にひざまづくバトンルージュの、バイユー以外じゃ知られちゃいないような、雪のように白い十字架を持った黒人司祭とか、
— あるいは、あるカフェの窓から太陽の光が降り注いでて、聖なる光の中にその椅子に座っていたいような、絵画みたいな、そんなの、フィルムで、すくいとれることができるなんて、そんな美しいこと、ちゃんと言い表せるワケないじゃんよ。ユーモア、悲しみ、これらすべての状態(Everything-ness)の写真はアメリカ人らしさ(Americanness)だし、アメリカ的(American-ness:接尾辞)なものなんだ!

— マディソンスクエアガーデンの外、ニューヨークのロデオシーズンのためにやってきてぶらついてた背の高い細いカウボーイが、かわいそうなぐらい、ひょろっとして、幽霊みたいで信じられない感じとか、
— 囚われの孤独な月の下、ニューメキシコの、信じられないようなひとりぼっちで広大な地平に向かって夜道に伸びる矢印とか。
— あるところでは、ギターヒーローのファンたちがたむろしてたり。
— ロサンゼルスの憔悴した年寄りの曇った女たちが、日曜日のゴーキングでOld Pawの車の右フロントウィンドウを覗き見。散らばった後部座席の小さな子供たちにAmerikayを説明することを批判してたり(? よくわからん)
— クリーブランドの公園の芝生で寝ているタトゥー男。彼は風船とヨットが多すぎな日曜日の午後、いびきをかいてて、それが死んでいるみたいに見えるのとか、
—  冬のホーボーケン、プラッフォホーム上で右端までならんだ年寄りの政治家のひとりが突然唇を突き出してて、心ない祈りの言葉を呟いたり(きっと、あくびだ)、
— 独立戦争時代の古い階段の下で、ためらいがちに杖を持って立つ年寄りの男とか、
— カリフォルニアのベニス、すてきな木々に覆われた裏庭。アメリカの旗で作った覆いの下でいかれた男が一休み。もし私がそこに座ったら30,000語のスケッチを描くことができるんじゃないかなと思えるような、そう、私は古い蒸気機関車での旅でそんな光景を見たんだ(そして、空のtokayの酒のボトルをパーム林の間に見た)。
— ロバートが拾った2人のヒッチハイカー。彼らに車を運転してもらいながら撮られた一枚。夜、彼らの2つの顔は先の見えない夜の闇をまっすぐに向いてて、その様子はもうなんていうか、アレン・ギンズバーグ風にいうと「予言者のインディアンの天使はビジョンの天使(=「天使の頭をしたヒップスター達」って話かな? )(注1)に見える。でも、みんな、言うだろう。「逃げるなよ。その道に描かれた矢印に従って糞溜に戻れよ」なんてね。
— ロバートは我々にこんな風に伝えるだろう。

フロリダ州ピーターズバーグの年寄りたちが忙しそうな大通りのベンチに座って社会保障について話していて、セミノール(注2)と黒人のあいの子の女性が、思いにふけりながらタバコをくゆらせてるのとかってのは、ほんと素敵なジャズのテナーソロみたいに、マジですげーなーって感じの、純粋に、絵(画面)だ。
こうしたアメリカの写真では — 人々の顔は社会的でも批判的でもなく、何も言ってなくて、でも、「これは私たちの生活のやり方だから、もしあんたが気に入らなければ、もう知っちゃこっちゃないよ。私は自分の人生を私の方法で生きているんだし、神様が私たちみんなを祝福してくれてるんだ。たぶん」なんていうだろう。「私たちにその価値があればね」

Oi Lee Lucien(?)の孤独な悪人、バスケットの可哀想な猫たち。こんなのまるで詩だよ。いつか誰か若い、新しい物書きがいつかこの写真集について、ロウソクの明かりのゆらゆらと揺れるハイライトの下、あらゆる部分が神秘的な細部、人間それ自体のピンク色したジュースがしみ込んだ灰色のフィルムについて、詩を書くことだろう。
もしシェイクスピアが見たら、これらは「人の優しさの詰まったミルクではない」と言うかも知れないけど、そんなこと、この写真を見れば一緒だ。空っぽなオペラなんかよりはましじゃないか。

荒れ狂う道のまた先は荒れた道、孤独、ロッキー山脈の端っこのウェサッチの雪は西部の夢を我々に誓う。すっとそびえる山の背は世界の終わり。青い太平洋の夜空に星いっぱいの海岸。
—  バナナのような月が夜の空に引っかかって傾いている。霧の中で出会う完璧な陣形で迫る苦悩。車の中には目には見えない昆虫が何百も積み重なるようにして競って前を目指してて、キラキラしてる。そんなの。
—  生傷。ドラッグ。西部平原の切り立った丘。星々。草原に生えた向日葵。
—  アルカディアを夢見た西部のオレンジ色の荒地。世界から隔絶されたよるべない砂浜の大地は、無限の闇で露にさらされている。ガラガラヘビとホリネズミの住処。
—  ほら。これが世界の基準だ。低くてフラットだ。

私が見たのは、騒がしくも口を塞がれた声のない道に、鋭い発作によって通り道に投げ込まれたターポリンが補填した予想外の緑色。それは道路の両脇の側溝に転がった地主を包んだ布だ。
これは、なんてすばらしい筋書きなんだ。
電話柱に連れ添って道なりに、ここからElkoまで行ってみようかなんて思ってると、
—  熱い日差しの中に私は虫が渦を巻くのを見る。
— (そうだそうだ)マジっ早の貨物列車に忍び混んでヒッチして、タバコをぷかぷかして、何か見つけて、ワクワクどきどきして、(そしてぎょっとして)ターポリンを投げる。
— 死体をつつんだ帳(とばり)は、朝の一番星と朝のグラスに、キスをするのだろう。(まるで悪夢のようだ)
— 泥だらけの道をゆく旅人が見る景色はこんなだ。

地平線の続く旅を見る中で、私たちの一番の願い、鉛筆が描く物語は、言葉のない距離の、かすかな雲の難解な、厄介なふわふわを融合させてくれた(鉛筆が憑かれたように自動筆記中)。

— CBQ(注3)の蒸気に平行にしがみついている煤で出来た黒い羊。勇敢な小さなミズーリの岩は荒地に巣食っている。過酷な茶色い土地に月明かりが差し込む。輝く牛のケツも一緒に。電信柱はつまようじみたい。「無数のピン」。一人ぼっちで自動車に乗り込んだイカれた航海者は、鼻先に、約束された地、人生をギューッと押し付けられる。
西へ西へ。
オハイオ州の古い盆地や、インディアンとイリーニの平野で流域をベロンと出て、カンザス州と泥沼を通るビッグマディ川、フロリダとロサンゼルスの凍える北のイエローストーン、フロリダとLAの湖を穿ち穴ち、白紙の場所にお前の街をつくれ。そして山を築くんだ。
アメリカ西部を荒れ模様にし、プロメシアンの高さに達する勇敢な生け垣の(グランドキャニオンみたいな)崖で西に向かって寝そべってくれ。お前の監獄をユタ州の月の見える盆地に設えてくれ。メキシコをくっつけて。そう、これがアメリカだ。(そうだ、焦がれてた、約束の地はこんな場所なんだ)ああ、もう、 家に帰るよ、家に帰るよ。

サテンの枕の上に横たわる死んだ名声の男、黒人、狂牛病にかかったような会葬者たちは、死がどのようなものであり、死だけが人生のようであるかを見るために、覗き見している。

— サターンがどう言うか。
シカゴコンベンション。つやつやとした葉巻をギューッと持った組合のボスはもしかして、ネロ、いや、シーザーのように太って猛烈なビールクラッシュホールでシーザー然として振舞ってて。
— 背景が選挙のポスターとひっくり返すための少しギャンブル。モンタナのビュートのゲーム台。ドダラダ門。編集されたページ、それ自体が、逆転を示している。

可愛くて高そうなデザインのターポリン(トラックドライバーは、それをターポリアンと呼ぶ)に死体のように包まれている車は、妻とテレビを見ながら寝落ちした男を、マリブの1時間2ドルの新しい大工仕事に落ちぶれたのを慰めることなく慰めている。
— 全てのヤシの木の下には何も無い(桜の下には死体がある)。

カリフォルニアの夜の墓地、銀かな? そうだ。(ag, ack:良く分からない)
— アイダホの車が事故した3つの十字架。あの長い細いカウボーイはそこに埋められてて、マディソンスクエアガーデンにたどり着いた。
— 「車の中で待ってなさい」って言ったでしょ。ロバートはくるっと周りこんでこっそりと車の中で待っている小さな子供たちを写真に撮る。モトラマのリムジンに3人の男の子がいるだろうか。不機嫌そうな、またはかわいそうな子供たちが午前4時に TexasのRoute 90で目を開かせ続けることができるかどうか。それは父ちゃんが用足しに茂みに行ったりストレッチをする間。
— ガソリンモンスターはニューメキシコ州の平原に大きな看板の下で立っていると言う — SAVE — かわいらしい小さな白い赤ちゃんは、黒い看護師の両腕の中、天国で悩まされていた。
リトルロックの通りと空の下で愛を示す母と私たちの宇宙の子宮に吊り下げられた
— そしてこれまでで最も孤独な絵(写真)。
女性が決して見ることのない小便器、悲しく永遠に続いている靴磨き 。
— うわー、吹き飛ばされたサンフランシスコの丘の墓地の花が3月の夜にポテトパッチの霧で打ちのめされている。こんなの、いたずら猫以外に誰もいないって言いたいけど(rubber : 凶漢・暗殺者の意味もあり)。
— 誰もこういう人たちが詩を好きではないのが好きではない。でしょ? それに大きな帽子をかぶったカウボーイがテレビの画面で、馬に許されてるようなのは見たくないでしょ。

ロバート・フランク、スイス人、目立たない、素晴らしい、彼が片手で持ち上げ吸い上げスナップするその小さなカメラで、彼は世界の悲劇的な詩人の間にランクづけられた。フィルムの上に正に悲しい詩を吸い込んだ。
ロバートフランク、私は今このメッセージをあげる:あなたは目を得た。
そして私は言うんだ:ぼんやりした悪魔でいっぱいのエレベーター、あの小さな孤独なエレベーターガール、彼女の名前と電話番号、知ってる?

(20190119 了)

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注1
<魔神モーラックとは,元来,いけにえの子供を食ったと伝えられる古代フェニキアの火神であるが,ここでは,「天使の頭をしたヒップスター達」を 押しつぶしてしまう現代の権力的文明社会を象徴している。「モーラックの精神は単なる機械であり,その血は流通するドル,指は十の軍団,胸は人食い入種のダイナモ。そして,耳は煙にくすぶる墓」に他ならない。>
意識への序章 一 ビート・ジェネレーションと1960年代 佐々木 隆
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190108235216.pdf?id=ART0000567785

注2
セミノール
<セミノール(Seminole)は、もともとはフロリダ州のインディアンで、現在はその州とオクラホマ州に住んでいる>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%AB

注3
classic E-5 locomotives, Denver-bound Chicago, Burlington and Quincy Railroad
https://www.flickr.com/photos/railphotoart/30837536983

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