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誤読のフランク19回 バンパー、ガスを大切に、バーのジュークボックス、エレベーターガール

Luncheonette - Butte, Montana

また、モンタナブッテ。簡易食堂。
これなんのゲームだろう。スキットル? とか思ったけど、違うなぁなんて探して探して。やっと見つけた。
Bumper pool
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Bumper_pool

と言うものらしい。うわ、ビリヤードの1種か。そうだとは思ったけど、名前を知らなかった。この連載は知らないこといっぱいで、勉強になるな(僕にとって)。
これ、普通のビリヤードより難しそうだ。びよーんびよーんと変な方に転がってゆきそう。

これ、後ろに見えてるのが選挙のポスター。それぞれのキャッチコピーが太文字で印刷されてる。政治はゲームだ、なんてでもいいたいのか、この並びは驚かされる。
考えてみたら、日本の選挙は碁盤の目の板にそれぞれポスターが貼られる光景を見かけるが(公営掲示板)、なんとなくカタログ的な印象もあるけど、アメリカだと違うよね、なんて思う。もちろん公正を期するために並列化はある部分、正しい選択なんだろうけど。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/選挙ポスター

それにしても、なんで日本はこんなにポスターの規制が細かいのかな? 政治が論争で成り立ってないからなのか? なんて考えたりして。守らない公約を唱えること自体が既に意味を喪失しているのか。政治を行うことと人気投票に違いがない悲しい状況がポスターから名前と顔以外の意味を剥奪してしまったのかも知れない。

ちょっと気になるのが、このバンパー、十字架の形に並んでいる。この写真をここに入れたのは意図があるかも知れない。


Santa Fe, New Mexico

サンタフェ、と言うと宮沢りえと連想してしまうのは一定の年齢以上のおじさんと相場が決まってる。サンタフェではフォトフェスもあるね。
観光地や保養地で有名だけど、人間にも見える給油タンクとネオンのSAVE(薄くGAS )と見える。

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Santa_Fe,_New_Mexico

This area was occupied for at least several thousand years by indigenous peoples who built villages several hundred years ago, on the current site of the city. It was known by the Tewa inhabitants as Ogha Po'oge ("White Shell Water Place").[4] The city of Santa Fe, founded by Spanish colonists in 1610, is the oldest state capital in the United States. Santa Fe (meaning "holy faith" in Spanish) had a population of 69,204 in 2012. 

またアメリカンネイティブの話。神の真実みたいな都市の名前にして、虐殺の歴史に繋がっている。考えてみれば1950年代の後半に撮られているのだけど、ロバートフランクのようなユダヤ人は虐殺の記憶はまだ風化していない。ロバートフランクだってスイスから移住したのはナチス絡みじゃあないかな?

もしかすると、ロバートフランクは、この看板をSLAVEと見間違ったのかも知れない。そう考えると、荒野の中のガソリンスタンドでガスの奴隷として人が連れ去られている写真にも見える。綿花畑で黒人たちが立ち上がって呆然としてる風景として見えるかも知れない。

顔がない人々。なぜこの写真がここにあるのだろうか。
アメリカ人が見ている風景を撮ると言うのがこの写真集のテーマだとすれば、国旗に包まれて眠る男は、国家に人生をささげて死んだ死者。政治ゲームの果てに、ピンボールのように障害物に行方を阻まられて石油文明によって奴隷のように働かされている。なんてね。貧困問題は当時どのように捉えられていたのだろうか。気になっている。

給油機のクローバーマーク、はSHAMROCK。Diamond Shamrock社の一部、Shamrock Oil and Gasだって。2001年にValero Energy Corporationに買収された。

この給油機。同型のアンティークが売られてるみたい。
https://www.uship.com/shipment/Complete-1950s-Antique-Shamrock-Gas-Pump/205851362/
あ、バスターキートンのCMがあった。
https://youtu.be/2AzIjVKc6qA
ちなみに
http://www.knak.jp/munikai/big/diamond-shamrock.htm
ここによると1960年代、モンサントとかと一緒に枯れ葉剤を作ってたみたい。

(同名のShamrock Oil and Gasってのが2000年代に入ってできたみたいで、ちょっとややこしい)

Bar - New York City

バーにもジュークボックス。キラキラと輝く光は社交場からミュージシャンを追い出してしまった。

日本では飲食店に行くと必ずと言っていいほどテレビが設置されている。特にこじんまりとした定食屋とかラーメン屋にはテレビはつきもの。テレビが普及し始めた1960年代70年代以降、食卓とテレビは近接していて日本人の共同幻想を補完し続けてきた。

ウチにはテレビないから10年以上テレビのない生活を送っているけど、たまに飲食店でテレビに出くわすと、じっと見てしまう。良くも悪くもテレビの中の品質は、日本の平均的な人格の品質と同じなんだなとか、批評的に見てしまうのだけど、アメリカはどうだったんだろ。
飲食店からテレビの排斥などが起こったのかな?

そもそもテレビ的な共同幻想が必要なかったのか、などと思ってしまう。日本は戦争と戦後処理によって大きな矛盾を内在してしまったために、「これが日本だ」という幻想を必要とした。未だに「日本のここが好き」などという番組はかなりあって、良く言われる日本礼賛ポルノが流され続けている(みたいだ)。テレビが政治批評ができないのは、日本の国体の矛盾を覆い隠すために普及されたとしたらうがちすぎか?
でだ。
白く煌々と光るジュークボックスは何を追い出してしまったのか。もしくはその光で何を隠してしまったのだろうか。アメリカをアメリカ人たらしめているのは、もしかするとこの新寄性かも知れない。前の項でも書いたが、音楽の質が変わったことと同じくして、音楽の受容の仕方が変わった時期と捉えることは出来そうだ。

可搬できるプレーヤーのない時代、個人的な音楽はジュークボックスにあった。そのうちにウォークマンが売られ、i Podが売られ、今ならSpotifyとかだろう。音楽の受容方法の違いは音楽体験を変えるのは散々指摘されている通り。この時代はまだシェアすることが残っていた。(カラオケが日本でSpotifyがアメリカなのはシェアの構造に大きな逆転があるとは思うが、ここでは触れない)そう。ジュークボックスは音楽のシェアに魅力の根幹があるのではないかと思う。

この当時、ジュークボックスは大人達からはどう見られていたのか、考えられていたのかと気になる次第。
重要な視点はバーにやっとジュークボックスがやってきた。と捉えるか、バーにまでジュークボックスが入ってきたと捉えるかということかも。その捉え方によって真逆のイメージになる。
そして、大人の場所であるバーに対比されるのはキャンディーストアのジュークボックス。若い子供たちがたむろして聴いている音楽をこのバーの常連客が聞くとは思えない。きっと違った音楽が流れていたのだろう。子供たちならロック、きっとこの写真のジュークボックスはジャズを奏でていたのだろう。そして、ここには周囲を囲む熱心なリスナーはいない。

Elevator - Miami Beach

ロバートフランクを代表するような1枚の写真。エレベーターガールだろうか。少し上向きの目が色っぽい。

マイアミビーチのホテルのエレベーターかな? 老人の夫婦の写真が同じホテルで撮られたものがある。
久しぶりに三分の一の右側のラインかな?

日本では1929年、上野松坂屋が最初だと言われているエレベーターガール。米語だとelevator operator (英国だと lift attendant)だって。まだあるのかな?と思ったら、まだ所々あるみたいだ。日本は若い子をマネキンにする文化だからまだ比較的残ってる。でもね、あれ、邪魔じゃね?とずっと思ってた。

ボタンなんか自分で押すよ、なんて思ってて、なんでエレベーター運転手が居たんだろ?と思ったら、電気式のエレベーターで機械制御、モーターの回転が安定してればいいんだけどそうじゃない時代、カンに任せたオペレートが必要だった。
この前、子供と「ラピュタ」見てたら、最初のあたり、シータが落っこちてきて、パズーが親方に報告しに行ったら、ちょうど炭鉱の坑道から人が上がってきて、パズーにエレベーターの運転をやらせるってシーンがあって、あっ!。あれこそ、エレベーターガールの原型だよね。

あれ?そういやいま思い出した。1923年の震災で崩れた浅草の12階でも居たはず。あれは男性だったのかな。
と思って調べてみたら、12階は美人コンテストでした。
https://www.tokyo-geisha.com/html/article/column_100bijin.php

何はともあれ、そんな歴史的な記録を思うと、エレベーターガールもある意味文化財のような気がする。もちろん1950年代のアメリカンズが撮られた時代、アメリカでも現役で残ってた模様。

ゲッティイメージに古いマニュアルのエレベーターガールがいた。

https://www.gettyimages.ae/detail/news-photo/cora-fossett-female-elevator-operator-on-a-cincinnati-news-photo/514896292#/cincinnati-ohio-cora-fossett-female-elevator-operator-on-a-cincinnati-picture-id514896292

少し後になると、今のエレベーターガールに似た感じ。

1970年代、バンクーバーのエレベーターガール
http://evelazarus.com/the-missing-elevator-operators-of-vancouver/

オリジナルのマニュアルエレベーターの使い方がここにあった。
https://livingwithmyancestors.wordpress.com/tag/elevator-operator/

これを読むとモーターの自動制御が当たり前の今なら考えられない仕組みで驚く。

さて、写真に戻ろう。この写真の面白い所は、少しスローシャッターになって、右側の男が黒い影、左はエレベーターから出てゆく夫人たちがブレて流れているのに、エレベーターガールは停止してて、まるで狙って撮ったかのようだ。モデル撮影のように仕込みかも知れない。
影は不安感をもたらし、動きは心象となる。
このエレベーターガールは何を感じていたか、裕福そうに見える大人達に囲まれて上がり下がりする仕事に対してどう思ってただろう。なんていうのはありがちな読み方か。

豪華なホテル、若い女性が若さと美貌を売りに働く仕事。でもそれはやがて終わりつつある仕事。若さも終わる。

時代は変わるのだ。

https://www.thestreet.com/amp/story/12946235/1/10-jobs-that-have-completely-or-almost-completely-disappeared.html

Robert Frank's Elevator Girl Sees Herself Years Later(August 30, 2009)
https://www.npr.org/2009/08/30/112389032/robert-franks-elevator-girl-sees-herself-years-later
50年誰だかわからなかったこの子、誰だか分かったみたいで、ホテルはSherry Frontenac Hotel だそうだ。

ホテルは今も営業中。(http://www.sherryfrontenac.net/)

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