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誤読のフランク 10回目 赤ちゃん マーケット 車の家族

チャールストン サウスカリフォルニア

前のページの不思議な3人組に続いて、人種のコントラストが際立つ1枚。

いま、気がついたのだけど、前のシークエンスは裕福な男からモトラマまでの4枚。
不思議な3人組とこの写真が対になっているのでないか。

前の4枚はキラキラした灯が視覚的なテーマで、この2枚は人種なのかな。ちょっと宙ずりになる感覚を覚える2枚。僕らは意識せずに人種を認識している。ぱっと見て、意識上に上らないまでに、あ、黒人と白人の子供だと、コントラストを見ている。
3人組はコントラストが非常に曖昧になることが見ている僕たちの認識に対して挑戦しているように、この写真から人種問題を排除することは難しい。

たまたま撮れたのか、狙って撮ったのか非常にいやらしい写真かなとも思う。いやらしいとは肌の色が強調される写真で、これで人種問題をそのまま語ってはまんまとロバートフランクの罠にかかってしまうような、いや、あえて意識させる写真を置いているのだと、とることにする。人間の視覚はコントラストが強く明るい所をまず探してしまう。黒い肌、背景の道路と歩道、間の赤ん坊の顔に視線が辿り着くと、あ、と思う。

僕らはその瞬間、自らの差別的な意識に恥ずかしくなり、思わず目を逸らしてしまうかもしれない。いま見てみると、現実世界では表面的には差別はなくなってきている、とも言える。
差別は消えていない、とも言える。

毎月のように白人警官が黒人を意味もなく撲殺する事件が起こっているとニュースが伝える。肌の色、文化的差異、国家的な敵対心、僕らの日常にも多くの差別は潜んでいる。むしろ2000年代になってからインターネットとスマートフォンが広まるにつれ、差別的な衝突は常に起こっている。アメリカではヘイト発言を繰り返した商売人が大統領になった。日本でも然り。世界中で極右政党が勝利を収めるたびに、ヘイトから生まれる衝突が起これば起こるほど、人々の中に憎しみが蓄積されてゆくのだ。人という種に肌の色や国による違いはない。
ま、差別主義者がロバートフランクの写真を愛でるということはなさそうだけど、嫌なら読まない権利がある。差別主義、人種分離主義の方は出て行って貰いたい。
僕は人種はいっぱい混じっている方が美しいと思っているし、説得はきかない。

さて戻って、この写真に何を言えようか。
今では当たり前になった黒人の看護婦。この写真集が発行された50年代後半ではどうだっただろう? 音楽上でもブラックミュージックがレイスミュージックと言われていた時代。
僕はこの美しさに心を打たれる。


ランチマーケット ハリウッド

Hollywood Ranch Market は老舗の雑貨屋で Vine St. にあったようだ。1939年に開かれ、初めての24時間営業、セルフサービスの店で、1990年代まで営業していた。

https://hollywoodphotographs.com/category/93-1/hollywood-ranch-market/

このハリウッドの歴史をまとめたサイトによると、セレブ御用達の店だったらしい。
とすると、何度も出てきた、見る見られる関係の中で、いわゆるハリウッドのセレブ達の日常に目にしていた光景であるとも言える。

一貫して被写体が見ている光景を写真(集)に収めず、想像させることによって、被写体の存在を特定の意図の中に押し込むことを回避しようとしているこの本で、徐々にロバートフランクその人が目にした視線に写真が、日常感覚に近くなってきていることが分かる。

このシークエンス、前の人種問題から引き続き、ちょっと疲れた女性の顔をみて、貧富の差を感じてしまう。ハリウッドのマーケットの従業員は、これ、例えば深夜ならなおさら、幾許かの疲労感がどんよりと積もっているように思える。
あ、そうか。このひと繋がりのシークエンス、何かしらの疲労感が感じられる写真が並んでいるのかも知れない。
黒人看護婦は押し黙り、サーカスの3人も、繰り返される日常に浸かることに飽きた仕草でもあるように感じられる。
この店員の固まったような表情。石のように閉ざされた心。

目の前に流れてくる多くの客を右から左へ黙ったまま流してゆく。客商売に携わったことがある人には馴染みがあるだろう。自分はロボットのように、機械のように、感情に蓋をして、目の前に対処する。でも、もう、日常を流してゆくことに飽き果てている。心も体も限界に近いなと思いながら、変えることが出来ない。今日も、淡々と、特別なドラマチックな出来事もなく、気がつくといつの間にか月日が流れてゆく。周りに人がいようといまいと、孤独だ。人の心は孤独に作られている。薄ら笑いのサンタが憎らしい。

あの男からは連絡は途絶えてしまった。
お店にやってくる幸せそうな人々、家族たち。考えないようにしている。私にはない。もうなくなってしまったものばかり。お金持ちの男たちは、私がまるで娼婦のように見えるのか、じろじろ見ているばかり。いっそ一晩だけの関係にしかならないならお金でも貰いたいぐらいに思う。ちくしょう。いま、レジにいた男、カメラで写真を撮りやがった。写ってないかな。私のこんな姿がどこかの誰かの慰みものになるなんて、怖気が走る。気持ち悪い。早く朝にならないかな。

なんて思っているのかも知れない。

あれ?もしかしてこの子、カラード?ラティーナかな?
背景の棚が格子のよう。


モンタナ ビュート

海兵隊のリクルートの写真と同じ街。
どう見てもお金持ちの家族では無い、それでも貧しくはない。なんとかやっていけるぐらいの階層。いわゆる中流家庭か。この2人は老婆と孫かな? 親子かな? ちょっとくたびれた感じ。
この3枚の写真の繋がりがあるとすれば、被写体の人々は疲れている。日常に疲れているように見える事だ。
そして、繰り返される、何かを見ている写真。

黒人と子供の写真では何かを見ているのか、ぼぉっと放心しているのかよく分からない。でも、見ていないからこそ、我々が彼らを見る時の違和感に気づかせてくれる。
ランチマーケットの女性が見ているのは、きっと彼女自身の日常。
この家族が見ているのはなんだろうか。

素直に考えれば、画面の左側、ロバートフランクが歩いている歩道は商店街になっていて、そのお店の方に2人は気が取られている。よく見ると、女性はチェックのシャツの下にちょっと良さそうなドレスを着ている。これからパーティでもあるのかも知れない。でも少し寒いから父ちゃんのシャツを借りている。車もホコリだらけだし。
もう一人の子供か、父ちゃんかが商店街の雑貨屋で飲み物とか食べ物とかを買っているのかも知れない。

この写真はいささかインチメイトな感じもあるので、ロバートフランクは彼らとコミュニケーションを取っていたに違いない。もしかすると同行してたのかもしれない。
あんた、早くしなよ。遅れるよ! 子供が雑貨屋から顔を出して、これでいい?とジュースのセットを見せる。
いいわよ。だから早く!
そこに自分の車から降りたフランク。すみませんね。うちでも買いますよ。いいのよ。うちのが奢るって言ったから。あんた、早く! その間に、広角でちゃっっと撮る。

もしくは、またなにかのパレードかも知れない。Wikipediaによると、モンタナ州は88%白人、インディアン6%、黒人0.4%、ヒスパニック3%。ほぼ白人社会だ。マイノリティを追う写真であれば、この女性はインディアンだったりするかも知れないが、この写真からは僕には分からない。
後部座席がほぼ白飛びしているが、帽子をかぶった小さな女の子。手にぬいぐるみを持っているように見え、彼女だけがフランクの視線に気付いている。後部座席もぬいぐるみがいっぱいあるようにも見える。でも判別し難い。
でも、やっぱりどこかお出かけの気分。ドレスは手がかりかも知れない。またフレームインフレームの写真。右下へ力が流れる構図。右上は白く飛んでいる。動き。
前の2枚は動きが止まった構図の写真。この写真で空気の流れが出てくる、感じ。

なんにせよ、この写真には日常が含まれている。

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