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誤読のフランク 第21回 聖フランシス、三つの十字架

St. Francis, gas station, and City Hall - Los Angelos

まずはこの映像。ロバートフランクが旅をしたのとほとんど変わらない時期のロサンジェルス。Hollywood Blvd 1957
Hollywood Blvd 1957
https://youtu.be/7LpPKAhW9-s
元々Gettyの映像のようだけど、これを見ると当時の街も非常に騒がしい街に見える(フレームレートのせいでコマ落としになり、実際より早く見えるのを差し引いても)。
この映像とアメリカンズが、ちょっと結びつかないというか、こういうのを見ると、アメリカンズは思ったより、ずっと内省的な写真のように思える。

聖フランシスはフランシス会の創始者。山に入って聖書の教え通りに生きたと言われている。現在でも善の象徴みたいに扱われていて、大航海時代にあちこちにフランシスコ会の僧侶が世界中に飛び散って信仰を広めたり、たとえば、サンフランシスコのフランシスコはこの人だし、フランシスとかフランコとかの名前の元になっている。何度も映画の題材に選ばれたりした。ミッキーロークが出てた映画もあった。

さて。ガスステーション。アトラスタイヤ。自動車販売業者。奥に見えるのは市庁舎。聖フランシスが市庁舎に、空の朝日か夕日かに向けて十字架を捧げてるという写真。ガスってるね〜。でもなんか、つまんない写真。
観光的、いや、80年代的、日本のいわゆる写真家が「ヨーロッパ行って撮りました」みたいな写真みたいだなとか。構図的には例の1/3の右の構図。なんで、タイトルが「St. Francis, Tire store, and City Hall」でなくて「St. Francis, gas station, and City Hall」なんだろ、とか。さてどう読もうか、こういうの困るなあ。と思って場所がどこなのか探してみた。

市庁舎で検索してみたら、有名な背の高いビルで、なんか違う。写真が出てきた。じゃ、L.A.の聖フランシスで探してみよう、と思って。検索してみた。すると、困った。同じ像がない(検索してみてください)という結果。

仏像とか彫刻ってよほどのことがないと壊されないのが世の常(だからチャウシェスクとかスターリン像の破壊の映像は衝撃があった)。でも見つからない。同じ銅像が見つからない。あれれ? あれれ? ちょっと困ったぞ。と思ってると、同じ写真で「どこよ?」って検索してる掲示板があった。

SkyscraperというページでGlobal Cities & Buildings Databaseってうたってるサイトの掲示板。
http://forum.skyscraperpage.com/showthread.php?t=170279&highlight=teed&page=2102
へー、やっぱり同好の志っているんだなあ、なんて思いながらそのページを開いてみると、そこで、衝撃の事実!

<First of all, I don't believe the statue is St. Francis. It's the statue of Father Serra, right? (now residing in Father Serra Park across from Union Station) And as you can see, the building described as City Hall is actually the Hall of Justice. City Hall isn't visible in the photograph.
So where was the Father Serra statue located in 1956? (the year the photograph was taken)
I realize that is Fort Moore Hill at far right, but I can't pinpoint the exact location of the statue.>

えぇ? 聖フランシスでもなくてシティーホールでもない!
場所は<Sunset Boulevard at N Spring Street.>て、同じスレッドに書いてる。
Sunset Boulevard at N Spring Streetで探してみたら出てきた。City Hall って書かれてるのは市庁舎のちょうど道の反対側。Hall of Justice(どうやら警察と弁護士事務所が集まってる?)。

https://goo.gl/maps/92Vi5JWwTMr
今の場所。たぶんここ?

ちなみにこのグーグルストリートヴューのスクリーンショットの左側の高い塔が市役所。写真が撮られた時に既にあったからロバートフランクは意図して画面から外したと想定される。(メトロポリタン生命保険の建物の写真と同じく)
むむむ。

じゃ、Father Serraでさがしてみよう。と、探してみたら、今度は簡単に見つかる。

近くのLOS ANGELES PLAZA PARKの一角。ファーザーセラ公園として、ちゃんと残ってた。(https://goo.gl/maps/Vu86YX7WB7U2

なんてこった。世界中の写真ファンが間違って覚えてるよ。この写真、St. Francis, gas station, and City Hallだと思ってるよ。

同じ掲示板の情報を続けて見る。

ガスステーションとタイヤ屋の写真。そして、ファーザーセラの彫刻が建ってる場所の写真も出てきた。

この写真の右下角の交差点の島にファーザーセラがいる。
ロバートフランクの写真が撮られるこの10年の間にこの写真の丘は崩されてトンネルもなくなってる。2018年現在はなんか造成中だ。

Fort Moore Hillは消えた丘。
https://www.kcet.org/shows/lost-la/the-lost-hills-of-downtown-los-angeles
https://en.wikipedia.org/wiki/Fort_Moore
そっかー。丘がなくなったんだなー。

<Most of Fort Moore Hill was removed in 1949 for the construction of the Hollywood Freeway,[15] which was opened in December 1950,[16] and in 1956 a memorial for the old fort and its American pioneers was placed on a site north of the freeway. It is currently under restoration.>(wiki)

なるほど。

たとえば、居酒屋で地元の人にこの辺のおもろいところない?なんて聞いた時に、ああ、あそこに丘があってね。トンネルもあったんだけど、最近崩されちゃってねみたいな話もあって、そういや、あそこにFort Moore Pioneer Memorialってのが建つってよ。メキシコとの戦いの記録でさー。あの崩された丘は古戦場だったんだよ。へー。そうなんだ。おまけに大量の骨が出てきてさ。そりゃ墓だったんだもんな。あそこはでるよ。でるよ。

なんて話があったとする。ありそうじゃん。
ロバートフランクはふらっとそこを訪れて、夕日に向かう「聖フランシス」の写真を撮った。

なるほどなるほど。

今気がついたけど、この場所って、誤読のフランク12回で読んだ、白い下宿屋の近くだ。
バンカーヒルのwikiの地図を見てほしいhttps://en.wikipedia.org/wiki/Bunker_Hill,_Los_Angeles

それと、今のこの場所は、目と鼻の先だ。

バンカーヒルに訪れて、開発と立て壊しの話を聞いた。最近、崩した山の話を聞いた。それで撮った。なるほどねー。これは、実は開発の話が撮られてるのかもしれないなー。画面の中央、太陽とファーザーセラの間のすっぽり抜けた空間はなくなってしまった丘とトンネルがあった。これは喪失のしゃしんであると言える。

いや、ちょっとまて。

この本が出たのは1958年、こんなにフォトグラファーの一家に1冊みたいなペースで売れてるベストセラーの写真集、さすがに60年誰も気付いてない訳はないだろう。直さないのは気付いてても、もう有名すぎて変えられないか、直すのをためらってるか、あえて直さないかだ。

ちょっとゆっくり考えてみると、ファーザーセラは聖フランシスとやったことが全然違う。お釈迦様と閻魔みたいなものじゃないか? そう考えるといろいろ見えてくるような気がした。
よし。改めて2人の業績を見てみよう。

アッシジのフランチェスコ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%B3
<(1182年 7月5日 - 1226年10月3日)フランシスコ会(フランチェスコ会)の創設者として知られるカトリック修道士。「裸のキリストに裸でしたがう」ことを求め、悔悛と「神の国」を説いた[1]。中世イタリアにおける最も著名な聖人のひとり>
<活動の指針を与えたのは福音書に書かれた、キリストや弟子たちの行動である。ある日、ポルチウンクラの小聖堂で行われたミサの中で福音書が朗読され、イエスが弟子たちを各地に派遣するときの言葉にフランチェスコは感動した。その中でイエスは「行って、そこかしこで「神の国は近づいた」と伝えなさい。あなた方がただで受けとったものは、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も入れて行ってはならない。旅のための袋も、替えの衣も、履物も杖も、もっていってはならない」と弟子たちに命じており、それに従ってフランチェスコは直ちに履物を脱いで裸足となり、皮のベルトを捨てて縄を腰に巻いた。
福音書でイエスが命じている全てをそのまま実行し、イエスの生活を完全に模倣することがフランチェスコの生活の全てとなっていた。「裸のキリストに裸で従った」のである。>

「裸のキリストに裸で従った」聖人に対して、ファーザーセラ(フニペロセラ)の業績を見てみよう。

フニペロ・セラ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%8B%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%A9
<1713年11月24日 - 1784年8月28日)は、スペインのフランシスコ会修道士であり、アルタ・カリフォルニアで一連の伝道所を造ったコンキスタドール。>
<「カリフォルニアのアドルフ・アイヒマン」>
<セラはカリフォルニアでの伝道(ミッション)を、イエズス会のやり方に倣った。武装したスペイン軍隊と共にセラはインディアンたちの平和な村々を襲い、酋長や呪い師を「異端者」として真っ先に捕え、拷問を加えて脅迫し、火炙りにしてこれを殺した。大人も子供も構わず、インディアンたちを動物のように捕まえ、柵の中に追い込み、「死にたくなければカトリック教徒に入信するように」とインディアンたちを脅迫し、逆らう者たちを殺した。>
<セラが率いるフランシスコ会によるカリフォルニア支配が始まって3年の間に、カリフォルニアのインディアンの3分の1から4分の1が死んだ。>
<セラが敷いたカリフォルニアのインディアンたちの奴隷化は、アメリカ合衆国によって受け継がれ、インディアンの少年少女が好んで売買された。>

細かい描写をコピペしようかと思ったけど、胸糞悪くなるような業績で、体力ある人は上のWikipediaのリンク読んだり調べたりしてください。うえっ。

図匠としての像の形、聖フランシスは十字架をこれ見よがしに、相手を威圧するよう捧げていない。ドラキュラ映画でドラキュラを退治する人がドラキュラに向かって構えるように十字架を手にしないのだ。それぞれの名前で画像検索してみてください。仏像の手印のように、宣教師の像も決まったフォーマットがあるように見える。その像のデザインであっても、ちょっとどころかまるで逆の様相。

ここからは誤読(妄想)だけど
「聖フランチェスコが夕日に沈む市役所に十字架を捧げている。」
という図匠と
「ファーザーセラが崩されてしまったメキシコとの戦いの古戦場越しにHall of Justiceの建物に十字架を捧げている」
というのでは、全然違う。
前者では自然を愛した神を称えるような図匠だけど、後者では一気に歴史的な殺伐としたアメリカの歴史がえぐり出されてくる。

カリフォルニアの歴史はスペイン領(1542年にはカリフォルニア北部海岸地域の領有を宣言 from wiki カリフォルニア州の歴史)→スペイン軍に支援を受けたセラ率いる「ミッション・インディアン」という名のインディアンの殺戮→ メキシコ時代(1821年-1846年)→米墨戦争(1846年-1848年)→ゴールドラッシュ→ロサンジェルスの発展→1950年代大規模開発(バンカーヒルの開発等に見られる貧富の差の顕在化)と続く。

法の名の元に強制的に人間の尊厳や自由を奪ってゆく現在の(アメリカンズが撮られた50年代であっても)仕組みは、もしかすると、ファーザーセラが神の名の元に行った蛮行と近しいものではないだろうか?
なぜこの像がフォートモアヒルのふもとの三叉路の道路の真ん中に置かれたのかは定かではないが、非常に示唆的ではないだろうか。ある種の(一時の?)価値観がそれまで大切にされていたモノごとを一掃してゆく。それは時代に関係なく、世界の暴力性そのものの現れであり、人間の愚かさや悲しみがそこに落日と共に表されているのかもしれない。そして、あえて間違えたタイトルで、後世の人に暗に示そうとしているのかもしれない。


あった。像は1932年に作られている。
http://bigorangelandmarks.blogspot.com/2007/09/no-64-plaza-park.html
<Father Serra Statue in Father Serra Park (1932) – Serra traveled with Gaspar de Portola on his Californian exploratory expedition. He went on to found the first nine missions in Alta California.>

S2 E3: Building the Metropolis
https://youtu.be/gUkwI6vQxHs

こっちのロスの成り立ちを描いた動画では、スラムクリアランスプロジェクトの立ち退き再開発(高速道路建設)と反対運動の映像が一瞬でてくる。

もしかするとこの像はアメリカンズ最大の問いかけではないかとも思える。


Crosses at scene of highway accident - US 91, Idaho

ちょっとした小説のように、調べれば調べるほど、ドツボにはまってしまった「聖フランシス」問題。三つの十字架。
この写真集には三つの十字架が出てくる(ホントはもう少しあるけど、隠されていたり聖性とは違う意味で使われてたりするので、ここではとりあえず三つとする)。バトンルージュの黒い司祭。「聖フランシス」。少し後に出てくる黒人女性の写真。それぞれ関連があるのかないのか、って考えてみたら、対比ということであれば、うん、バトンルージュの聖フランシスとロサンジェルスのファーザーセラ。神はどこにあるかと問われたら、三つ目の黒人女性かも知れない。

なんて余談を置いておいて、長くなっているので短く進めます。

信仰深い人なら印象的な光が上から降っている。神の話が続いているので、神のみわざがその光として落ちているのだ、ともとれるかもしれない。
スリットの入ったレンズフードのせいなのか、光のが突然降り注いでいる。UFO映画で人が(?)吸い込まれる光がUFOの下部から放たれたりするが、まるでそんな感じ。魂の浄化だ、なんてとる人も居るかもしれない。
いろんな伝道師がいるけど、神は偶然に現れるのだという話としてとるかもしれない。前のページからの信仰のつながりにあるのだろうけど、不信心者だから、そのあたりはよくわからないところだ。

写真だけを見ると、不思議な形をした十字架だということに気付く。細長い鉄の棒の先に平べったい十字架が溶接してあるのかな?一番奥のものはくねっと歪んでいる。表面の色彩にデザイン的な要素が漂う。段ボールをガムテープで貼ってるようにも見えるけど多分違うだろう。赤と黄色かコントラストのある色で模様ぽいのが施されている。

前の話の続きで、ふと思ったのは、事故でなくなったのは、ネイティブアメリカンなのかもしれない。真ん中の十字架はこんな感じのイメージがあるようにも思えたりする。

https://www.greydogtrading.com/devotional-art.html
考え過ぎかもしれないし、そうでないかもしれない。

あと、これは間違いだと分かってるけど、この十字架、写真をずっと見てたら、なんとなくシボレーのロゴのように見えてきた。でも調べたらロゴは形状がちょっと違ったのだ。(「ボウタイ(蝶ネクタイ)・ロゴ」シボレーの歴史)残念。

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