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誤読のフランク(改訂版) 第6回 男女と海兵隊リクルート(RFA-06)(RFA-07)

やっと正面からのカットに奥行きのある写真。

Savanah, Georgia(RFA-06)
腕を組んて歩く中年のカップル。
いや、これは親子かもしれない。
場所はジョージア州サバンナ。かつて奴隷貿易で栄えた街。川沿いの大きな港町。歴史的建造物を大切に保存している街。

中年カップルだとすると、この軍人のように見える男。水兵か? もしくは警察官か。手に小さな箱を持っている。子供服の店が奥に見える。何か子供服でも新調したのかもしれない。もしくはプレゼントか。
男はもう一方の手に小銭のようなものを持っているから、どこかの店を出て行った直後のようだ。女性の手のハンカチはなにかしらの緊張感の後という感じも受ける。まだハンカチをしっかり握ったままだ。

初めて子供が出来て、やっと望んでいた子供が出来て、初めてその子のための産着を買いに行った中年夫婦ととるとはどうだろう。知り合いのお店で店員にどのように、語りどのように選べば良いか、全く見当もつかないだろう。いささかの興奮と共に、冷や汗がどこからか流れてくるのを感じたのかも知れない。女性が着ているのはハレのドレスだ。この日は特別ななにかがあったのか、待ち構えているのをワクワクしているのか。
と書いたのは、ちょうどこの文を書いてる時に、古い友人に子供が出来たとの報が届いたから、思わず、幸福の絵柄に仕立てあげたいという、それは僕のわがままだ。(おめでとう、お前が母かよ。)

もし、ロバートフランクに意図があるなら、この子供服と書かれた看板を入れない可能性だってあっただろう。もちろんこの看板があったとしても、2人には関係ないただの街のを風景に過ぎないものだったかもしれない。
縦に3等分した時に看板、女性、男性ときっちり収まるように見える。その3等分はきっちり父母と子という図式だろうか。

いや、考え直して、もうひとつのラインを考えて見よう。親子だった場合。

拡大してみる。こちらの考えの方が写真にはしっくりくる。やはり高齢の女性。65歳以上に見える。男性は少し若そうだけど、40代半ばか50ぐらいか(男性の年齢は難しい)。ならば女性は70歳ぐらいか。
不思議な表情の2人。女性の方は笑っているように見えるようで見えないかもしれない。怒っているようには見えない。
やはり手にした箱が気になる。あと、女性の手のハンカチ。

例えばこんな物語。
ある日、朝食をとっている時に1本の電話。軍からだ。
あなたの息子は朝鮮の戦場でなくなりました。少しばかりの遺品があります。取りにいらっしゃいますか?
母は泣き崩れ、弟は電話を手にして続きの話を聞く。分かった。午後1時に行く。そう答えて、受話器を戻す。うずくまった母の背中に手をやり、派兵に行くことが決まった時点で、兄ちゃんのことは半分は覚悟してただろ。俺だって軍人だ。いつ俺だってそうなるかもしれない。そして、弟はテーブルにもどり、いつもの休日の朝のように黙ってフレークをお代わりする。

午前中をかけて息子を迎えにゆく服を探す母。一通り泣いた後では、むしろ興奮しているのか無理しているのか、いつもどうりにはいかない。ハンガーを落っことしたり、財布の場所を探したり。「どうかしてるわ、私」
兄弟の小さな頃の話をしながらいつもの道を歩いてゆく。
港近くの基地はいつもどうりだ。
基地の入り口で名前と要件を伝える。弟は慣れた感じで係員と短い会話をする。中から係員が出てきてお悔やみをいい、母に小さな箱を渡す。母はまた泣き崩れる。箱の中には身分証と海兵隊のプレート、ポケットナイフ、そして、父母の写真。
こんなもの要らないと、投げ捨てようとするが投げ捨てられない。名前を呼んで、泣く。弟は立ち尽くす。

という場面があったとすればどうだろう。
彼らは、いつもの街を歩いて帰る道すがら、見知らぬ人がすっとカメラを構えて目の前を通り過ぎるのにきがつく。しかし問い合わせる気などしない。あの子供服の店でいっぱい買ったね、などと話しているのかもしれない。早くうちに帰りたいと思ってるのかもしれない。

男性は息子で戦争から戻ってきた場合はどうだろう。その時にも物語があるはずだ。案外この説がホントの話に近いのかもしれないが、同じような妄想は繰り返す意味がないので(めんどうなので)、捨て置く。

何にせよ少し不思議な写真でもある。

僕は戦争というものに少し固執しすぎてるのかもしれない。
だけど、次の写真はまさに戦争と密接に関わる写真だからだ。
また、前の2つの写真、葬式と暴力的な生の爆発であるロデオのイメージからすると、やはり少し不穏な部分を抜かすことは出来ないかと思わざるを得ない。

見る、見られるの関係からいえば、彼らが見ているのはロバート・フランクそのもので、撮影されていることをはっきりと認識している。
もしくは見られることから隠したいと思っている関係、例えば年の差カップルという思考の可能性も一応書いて置こう。このアイデアは一番すきかも。面白い。(とりあえず、ここではその可能性は触れないで先に進むことにする)

見られることから隠されているものはなんだろうか。


ここも続いていると思われるので続ける。

Navy Recruiting Station, Post Office - Butte, Montana(RFA-07)
モンタナ州の海軍招集所 郵便局

2枚目のアメリカの国旗。テーブルの上に投げ出した足。
また縦構図。

前のページの男性が兵士、女性を母親と考え、戦争の被害と結びつけたのには、理由がある。このページは最初のパレードの写真から続く不穏さのたどり着いた地点だと思うページだ。パレードを先頭にして社会的な問題を直接的に表示しない形で描いてきたシークエンスが、この郵便局の一室にたどり着く。

退屈なのかテーブルに足を上げてうたた寝でもしてるのだろうか。海のないモンタナ州で海軍軍人をリクルートするという、退屈極まりない仕事にうんざりしてるのか、不遜な感じに足を上げ、やってきた青年を傲慢に見下しているのだろうか。

彼は(男性の靴だから多分、彼)毎日、正面に掲げたアメリカ国旗に対峙している。郵便局の一室を借りてリクルートしているのだけど、郵便局という社会のインフラにまで、軍事行動が染み付いているのだろう。政治の社会は軍事の社会でもあることが、このキャプションからでも伝わる。アメリカ人にとって、軍は生活の一部であり郵便局と同じような社会的なインフラ機構でもあるのかもしれない。
もちろん朝鮮戦争の時期だとしても、ロバートフランクにとって、いささか変な感じを受けたのかもしれない。

よくみるとこの写真もフレームインフレームの写真だ。
廊下の天井と壁がフレームの役割をしていて、視線は真ん中、テーブルの交差と奥のテーブルの上のタイプライター、左上の白い壁の空間、カレンダーを何となく見ながら国旗へ進み、アレ?という風にテーブルの上の足にきがつく。

よくみると、意識的なフレームの多重構造が見られる。

奥から順に見てゆこう。
白い壁はテーブルに足を乗せた男の背中にある大きめの窓からの光。その光と国旗の下に位置する壁の桟(?)がひとつ目のフレーム。
ふたつ目は、タイプライターの乗ったテーブルの天板と残りのグレーの壁が作り出す正方形に近いフレーム。
3つ目は、足が乗ったテーブルが作るフレーム。
そして、部屋の入り口が作り出すまたひとつのフレーム。
もっと細かく分類すれば、更にフレームの繰り返しが見つかるだろう。そして、偶然か手前のテーブルの、側面斜めのラインが程よい矢印として機能していて、視線を循環させている。

いま、この文章を書きながら、この写真の多重構造に気が付いたのだけど、思わず、背筋が凍った。この興奮をわかって!な気分だ。「構図がいい」というのはこういう写真をいうのだろう。震える。

写真教室で構図がー構図がーなんていうのは、才能ない人に授業料払わせ続ける方便で、下手くそが写真を諦めないためにする罪悪でしかない。写真文化を考えたら、写真を見たり買ったりする教育が必要。国語の授業で、数ページだけの文章を読ませて作者が何を考えたか、と問う問題の無意味さと同じだ。回答が存在することが前提となった鑑賞は、芸術を軽視した馬鹿にしたやり方だから、即刻止めて貰いたい。もちろん構図は大事だけど、構図重視でつまらない写真なら撮らない方が良い。自分の写真に構図を求め始めたら要注意なんだ。

興奮して道に逸れた。悪態つくぐらい興奮した。

この写真、心理的フレームの多重構造があると書いた。アメリカという国、アメリカ人という、多民族国家を表す時、今まで出てきた、パレードに象徴される群衆の視点だったり、その群衆に協働する形の個人の存在というのが、暗に描かれてきた。
(と、ここでは考えている)
そして、強いアメリカと、その影にある黒人社会という階層対比が描かれて、この、2枚の写真では、追悼式(個人的なものかもしれないが)個人の死と、その死へ導いてしまうアメリカの社会的なインフラが、暗に描かれているように思える。

その社会的インフラの心理的な奥行の先をフレームを潜るように分け入ってゆくと、象徴となるアメリカ国旗が、怠惰な役人に見守られながら、壁にかけられている。
アメリカ人の多くが思うことなく深層心理に抱いている強いアメリカはこうして生まれるのではないか。その根っこは群衆と死んでゆく人々と、差別と階層。紋切り型と言われようが、多分今も変わらぬアメリカの一断面なのではないかと思われる。
そして、それを、はっきりと語らなくも、ある種情緒的にこの写真集は描きつつあるのだ、と、この写真の流れは表示しているように思えてしまう。

いやぁ。見事だ。

これで最初のシークエンスが見取り図を描いて終わる(と思う)。

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