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誤読のフランク 第14回 母子(とメイド?)、派手な服とジュークボックス、困惑気な老夫婦

ジョージータウン 南カリフォルニア

ロバートフランクの妻子かな?(違うと思う) ステキな心あたたまる1枚だなと思って見てる。

さーて、だんだんこの思いつきで始めた連続投稿、どう読もうかと困ってきてるのだけど、それは何故かというと、第12回の下宿屋以降、社会的な問題、動きのある出来事の写真から、日常のロバートフランクが、日常を過ごしながらふっと触れた瞬間の写真が挿入されてきているようなシーケンスが始まってるように感じられるからだ。
最初の対立構造、空間構造、社会的な問いではなく、身の回りの「いま、ここ」の写真だろうなと感じられるものが始まっているからだ。
それはインチメイト。親しみのある距離ってところだ。

写真の本質はなんだろね、なんてことは、写真好きの人間にとって、考えたり話すことはよくあるだろう。カメラは目の前の出来事をただ写し取ることだけしかできないなんて自明の理を出して、文字を埋めるなんてことも面倒だ。
インチメイトで撮られることを了承している状況で撮られたものと、そうでなく不意に撮られたものの差異は、イメージを形成された写真そのものの中では、ほとんど違いはない。写真によっては被写体がレンズを正面から見ているものもあるかも知れない。もしくは、見ていないかも知れない。

左右の大人は少年が指さす太ももの一点を見ている。ここ、怪我したんだよ、なんて言葉があるのかも知れない。かさぶたが剥がれそうとかいう言葉もあるのかも知れない。
右のカラードの女性は指にタバコを挟んでいる。今なら、子供がいる前でタバコなんか吸うなんて、児童虐待だ!なんていう人が出るかも知れない。これを「死の象徴だ、ロバートフランクのアメリカ人には死が描かれている」なんて、このタバコから想像するかも知れない。でも、昔は普通だったよね。今の方が60年前より、タバコの害が極端に酷くなった訳でもあるまい。かつては、子供の前でタバコを吸うことに抵抗感はなかった。
プンクトゥムに心得ある人ならママ?の服とカラード(?)の女性の頭のスカーフの柄が呼応してるように見えること、3人共に微笑んでいるような雰囲気に琴線に触れる何かを見つけることができるのかも知れない。

縦3分割でも関係ない。普通に「いい写真」であって、何かを問うものではなさそうだ。今のところは。(後から見直した時に何かが浮かび上がってくるのかも知れない。)

※友人に「ばあちゃん」じゃないの?って言われてびっくり。全くそのラインは考えなかった。


バー、ラスベガス、ネバダ

男がジュークボックスを見ている。
ジュークボックスの3枚目。ハワイアンかなんか派手な服で、もしかして、黒人?かな?

奥の窓とジュークボックスの丸い部分とが呼応して、左上スタートで、右側の壁にぶつかるあたりで下に折れ、ジュークボックスの円弧のある角と2つの円に繋がる。
円だけ見ると5つの円の真ん中に人物がいて、やっぱり3分割の右側に力の焦点があるけども、焦点はそこまで強くはない。ロバートフランクの写真にしては、比較的に真ん中に寄っている。床のグラデーションが美しい。
気になるのは、真ん中の窓にかかったカタカナのエ型の白いフレーム。なんだろ。

バーの広く空いたスペース。光の入りから、もしかすると開店前、夕方の光かも知れない。このスペースはダンスホールとして使われるか、もしくはテーブルが並べられるのかも知れない。左の端にみえるのが、重ねたテーブルと逆さに置かれた椅子かも知れない。
男が選んだ曲はなんだったんだろう。

前半の「アメリカ人」は被写体が見てる社会を、被写体と社会を含めて視線で追う形で進行した。このシークエンスに入って、だんだん見えてきたのは、被写体が見ているものがなんだか分からないけど、それをロバートフランクが語るべくなく見ているという構図がでてきたのかも知れない。
それは、ロバートフランクが見ている世界の小さな点のひとつかも知れないけれども、既に、読者は写真の奥の社会に触れている訳で、その、社会性は前提として、その社会性を敢えて出すまでもなく背後に透かし見る型の写真が提示されはじめたと考えてみると、何らかの見通しが立ってくる。

彼らが見ているのは、ジュークボックスの気になる曲のタイトルであったり、子供の足にできた(?)ニキビだったりする。それがホントはなんなのか読者側には提示されない訳だが、その些細な部分こそが、写真の本筋なんじゃないかとか思わず書いてしまいそうだ。いや、書いてしまった。

ジュークボックスの型はまた違うね。型番分かるかな(次までの宿題)。


マイアミビーチ ホテルのロビー

裕福そうな老夫婦。オールドテイストな服装。また、見ているものが不明。女性の頭に何か被ってる、肩にショール。
ちょっとこの写真はよく分からない。具象的だけど、じっと見ているうちに抽象的にも見える。美しくもない。むしろ醜悪な感じもしなくはない。
この写真集の初めの方のパレードを見てる街の偉いさん達の写真の男達に比べて、もっと悪夢的な写真に見える。

気になるのは、マイアミビーチは冬場に厚手のコートやショールが必要なのかどうなのかって点。ホテルのロビーだから旅人だと考えると、寒い国(地方)からやってきたのかも知れない。

と、ふと思ったのだけど、クーラーとかの普及はいつ頃からだろうか? 背景に溶けたような人影もコートっぽくも見えなくはないけど。クーラー、暖房機。エア・コンディショナー。何となくこの女性、会社とかで寒がりで、クーラーききすぎと文句言ってる女性の仕草に似ているような気もしないではない。ちなみに僕は暑がりだから、適度なエアコン設定だと汗だくになってしまうので、女性一般を非難しているのではない。
もちろん冬の寒い中で広いホテルのロビーでぶるぶる震えているような情景も有り得る。

むむ。この点、気になる。
マイアミの冬場にこんなコートが必要なのか?
検索してみると、冬場でも20度近くなり、こんなシカゴやニューヨークみたいなコートは必要なさそうだ。あれれ? アメリカの地図で言えば右下の小指みたいな半島ってマイアミビーチあるとこだよね。別のマイアミビーチが存在するのか?
わかった。この写真の面白さはマイアミビーチなのにコート!ってところだ。

もしかして、寒い地方からきた旅行者。ホテルに着いて待たされてるけど、いつ呼ばれるかわからないから、コート着たまま暑いのを我慢してるところ。
もしかして、ホテルのイベント? 常夏のマイアミに雪を届けましょうとかいう、粋な計らいのイベント?
クーラーの寒さで震えるという線も捨てがたい。
暑さ我慢大会というのは、情景の説明でアリかな? 流石にないか。
異常気象でこの年は寒かった。
昔は正装はコレでしか許されなかった。

むむむ。やっぱり気になる。気になると調べる。するとあっさり見つかる。

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Snow_in_Florida
マイアミが寒かった記録

これに1955年と1958年の記録がある。他にも気温の記載されているPDFとか見つけたけど、華氏計算が面倒なので見なかった振りをする。でも、この撮影がその1955年か1958年であったなら、その真冬の寒い時期に撮影されたのが分かる。

あー、よかった。この写真、何を見れば良いか困ったけど、結果的にひとつの自分なりの発見があったので、この項終えられる。

ちなみに、エアコンに関しても検索してみると、アメリカではやはり1950年代に一般的に広まった感じみたいだ。ちょっと遅れて日本では新三種の神器と呼ばれ始めるのが1960年代だという感じだけど、ちょうどこの頃、アメリカでは徐々に広まってきたころみたい。へー。

そういや、この写真。三分割のライン上に顔があるけど、体含めると2分割の写真。ちょっと珍しい気がする。とはいえ、三分割の構図のディシプリンはだいぶ薄まってきている。

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