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ライバルの存在は、いつまで原動力になるのだろう。

サッカーでは、メッシ - Cロナウド。水泳では、瀬戸大也 - 萩野公介。柔道では、阿部一二三 - 丸山城志郎。
同じ時代を生きるライバルがいると切磋琢磨できて高め合えるし、それは最高のドラマにもなる。

トップアスリートと比較するのもおこがましいけど、振り返れば、自分もライバルに恵まれてきた気もする。
あいつより、サッカーが上手くなりたい。売上を上げたい。早く賞をとりたい。普通の人ができない経験がしたい。先に偉くなりたい。名を挙げたい。
コロナ禍に入る前の30歳まで、比較的自分でも面倒なハングリー野郎だった。嫉妬心は僕のガソリンで、仕事も勉強もプライベートも、僕の最強の原動力はライバルの存在だった。

ライバルの存在はすごく有効で、力もつくと思うし、感謝もしている。
でも、ライバルだけがモチベーションになっていることは危ういもので
この先の自分の進むべき道が見えにくくなると思うことが多くなった。
ライバルなしに、自発的に何かをやることが
どれほど難しいことかを感じたので、これを書いている。


他人のモノサシか、自分のモノサシか。

つまり、相対的な評価と、絶対的な評価の話。
例えば、エルメスのバッグが欲しい人がいたとして「他人からの目線を気にして買った贅沢」なのか「自分が心からいいものと思い買った贅沢」なのかは、180度ちがう。
予約困難な高級な飲食店に行くことも、乗っている車も、住む街や家も。モノサシはどこにあるのか?が気になる。実際には、他人目線が経済の一部を確実に動かしているのだが。

経済行動の話になってしまったが、
ライバルしか意識していなかった僕は、常に他人のモノサシだけで考えることしかできないような人間だ。

たとえば、高校時代の”勉強”の原動力を振り返る。
友達より高い点を取るとか、いい大学に入るとか。偏差値という他人のモノサシで、受験勉強をゲームとしてやっていた。その負けず嫌いだけで毎日10時間も勉強したことを考えると、本当に気が狂っている。
化学が特に得意で、成績上位者が職員室前に張り出されては自分の名前を確認し、当時相当な優越感に浸っていた。模試も「理学部化学科」のような化学の配点の高いところばかりを記載し、〇〇大学のA判定が出た!とかを友達に報告していた。

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結果的に「偏差値」に疑問を持ち、超理系の僕が得意科目を捨てて、文系+映像系の大学を受験することを選べたのは幸運だった。
高校が超進学校だったので、学校の雰囲気自体が当たり前に1つ上のランクの大学を目指し勉強していた中で、18歳の少年がなぜこの判断ができたのかは謎だけどラッキーだ。
自分のモノサシをはじめて持てた、唯一の瞬間かもしれない。
—-

今カフェでこれを書いているが、横で話している就活生がいる。
〇〇の3次面接が通ったとか、〇〇のインターンに内定したとか、ある企業の名を出しては、自分の力を相対的にアピールしている学生もいる。
その一方で、今は自分のモノサシ傾向が強い大学生が多く、大企業よりもベンチャーとか、企業名よりやりがい・意義などの絶対的なものが少し大事になってきているのは、健全な判断になっているなあとも感じるが。


自分のモノサシになった時、ライバルの存在はそこまで必要にならない。
結局、自分がどうしたいだけを問われてしまう。
原動力の全てがライバルの存在だった今の僕は、自分の夢を自分のモノサシで語るのが難しくなっている。
当時18歳だった少年が、偏差値から脱却してやるべきことを見つけられたように、
今の僕が、何の軸から脱却してやるべきことを見つけるのか、は大きな課題。

恥ずかしながら、今「やりたいことって何?」と聞かれると困る。
本当に心からやりたいこととか使命みたいなものが見つかっていない。
(他人のモノサシはあるけど、自分のモノサシの場合)

今の仕事柄、僕は誰かの依頼があって、仕事をしている。
誰かの大きな夢に乗っかって、サポートしてお手伝いするというスタンスが、ちょっと心地いいのも知ってしまっている。

いろんな経験をして、自分の引き出しを広げて、感じることをヒントに、
自分のモノサシでやりたいことに辿り着けるといいなあ。

自分の夢が、本音で、そして自分のモノサシで、すらすらと出てくる人が今の憧れでもある。


さいごに、自分のモノサシについて影響を受けた、小さな1つのエピソードの話。

大学2年生の時、バックパックひとつで初めて海外の一人旅をした。
トルコで3週間弱を過ごした。
1つ上の先輩がネパールで旅をしたことに影響を受けたこと。そして同級生たちが学部のツアーでアメリカ研修に行くから、そのタイミングで僕だけ違う経験をしたいと思った下心もあった。行く理由はこれもまた他人のモノサシだった。
(トルコにした理由すらあんま覚えてない。なんとなく世界地図を見てたらビビッときた程度。)

当時は約15年前。スマホもなく、地図だけを頼りに、首から一眼カメラをぶら下げてトルコ中を巡っていた。毎日感じたことをノートびっしりになるほどに手書きで日記を書いた。(感情がリアルすぎて誰にも見せたことがない。笑)

ある日、カッパドキア近くの田舎街で、2つ年上の日本人男性とお茶をした。
彼はカメラも持たずに旅に来ていて、外を眺めていた。僕は彼と話しながら、その横で持ってきたカメラで、風景とか紅茶とか、を撮ってた。

「なんで写真を撮ってるの?」と聞かれた時に、他人のモノサシ主義者の僕は「友達に見せたくて」的なことを言った気がする。
「なんでカメラ持ってこないんですか?」と彼に聞き返すと「別に誰かに見せることもないし振り返ることもない。写真家でもないし1枚に感じたことを込められないし、なんかここで感じることの方がって大事じゃない?」と言っていた。端的にいうと。

この言葉が今もずっと残ってて、その後の「旅」の意味を変えてくれた気がするし、それから僕は海外一人旅にハマってしまった。
自分のモノサシで旅をすることの大事さを教えてくれた人だった。

名前や連絡先も交換していなければ、このような写真の話の後に、二人でツーショットを撮る気にも当然なれずに、顔も何も覚えていない。笑
言葉だけが、偶然出会った見ず知らずの他人に残り続けている、というのがなんとも彼らしい。





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