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4. 彼は偶像崇拝によって生を見出す

「この世には頼るべき人がいない。そう感じた時、ヒーニャルナの像を見て、あなたの心を落ち着かせるのだ」

オオツカは私にその像を見せてくれた。

「私の悩みは、端正な女性を見ることでは解決しない」と私はごく自然な反応を示した。

「結局のところ、あなたがすべきことは、人間の問題を解決するか、問題を忘れて進むかということだ」

「それは確かにそうかもしれない」と私はうなずいた。


ヒーニャルナの顔を見て、オオツカは悲しみを抱き、嘆きの中で年老いていく。

このように時が過ぎるのを待つことによって、あなたがベストを尽くすのは間違いではない。それも一つの方法だ。しかし、今はそのような時代ではなく、地を這って進んででも、自分の力で啓示を見つけるべきだ。

「あなたにとって、ヒーニャルナは神か?」と私は聞いた。
「いいえ、私にとっては花嫁だ」とオオツカは答えた。
「なんでもよいのだな、節操がないな」と私は思った。

この女性偶像崇拝者のオオツカ・ケイスケは、幼稚園からの関係である。彼は映画のセリフのようにおおげさに語る癖がある。

その日、私は弟を火葬場に連れて行った。灰や焼香の匂いに、近くの養鶏場からの匂いと、雨のために湿ったコンクリートの匂いが混じっていた。

私は弟を思い出すときに、この独特の匂いが伴うようになった。そして今は、彼がそのような体臭をしていたような錯覚に陥る。

当然のことながら、私の父と母は、火葬場から家に帰ってから、涙を止めることができなかった。しかし私は、その雰囲気にもかかわらず、涙を出すことがなかった。居心地がとても悪くなり、私は近所のオオツカの家に行った。

「チヒロの件は本当に残念だが、私たちは生きていける条件が整っている限り、この世に存在していかなければならないと私は考えている」とオオツカは言った。

「そうだな」と出された麦茶を飲みながら私は答えた。

「もし今、この家に落ちた隕石にあたって死んでも、私はそれを後悔しないと思う」とオオツカは言い出した。

「まあ、どういう意味だ?」私は尋ねた。

「公海、国が所有することができない、または排他的に支配することのできない海域」

「あなたはインターネット上の百科事典にでもなったつもりなのか。いやその、私が言ったのはその『コウカイ』ではない」と私は指摘した。

「ええ、まあ、そうだな。いずれにせよだ、私はチヒロちゃんのように積極的に死にたくはないのだ」オオツカはまじめな返事をした。

「それはそうだな」と私はうなずいた。

「しかしだな、火山噴火、テロリストによる殺害、あるいは何らかの外部的要因によって死亡させられたとしても、この世界の歪みに巻き込まれ、不運によってこの世から淘汰された、と私は割り切ることができる」とオオツカは言った。

「ずいぶんとあっさりしてるのだな」私の正直な感想だった。

「そうだな。何かを成し遂げたいとは思っていないからだろうな。オオツカ・ケイスケが何のために生きているのか、と聞かれても、私は何のためにも生きていないのさ。私は、プロフェッショナルな野球選手、政治家、教組様にもなりたいとは思っていない」

「教組様?」と私は思わず聞き返した。

「そうだな、例えばヒーニャルナ様のお言葉に基づく新興宗教をつくるというのはどうだ?」

「悲しくて涙が出てくるよ、あなたの行く末を心配して」

「まあ、本質的には、私は、淡々とした生活を送っている。できるのであれば、いくらか面白い人生を送りたい。それくらいのことだ。でももし、今、死んでしまったとしても、前途のある若者とか言ってほしくないんだな。勝手に野心にあふれたものだと勘違いしてほしくないんだ」

「そういうものなのか?」

「そういうものさ。もちろん死ぬことは痛い。死ぬことは恐ろしい。だから私は死ぬことに消極的だ。だからといって、生きることにも積極的というわけでもないのさ」

「何を言いたいのかは、わからなくもないさ」


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