5. この世界には死がありふれているのにも関わらず
確かに、私たちは死ぬことよりは生きる方がよさそうだから生きている。私たち働く方がよさそうだから働いている。そういうものだ。できることなら労働とは距離を置いて生きていたい。
実際のところ社会の構造がそれを許さない。だから、何かの職業を選び、これで大丈夫だと思って、規定のレールに乗り、時にはその上で迷いが生じているのだ。
今日も私たちの日常生活は続く。夕方のテレビでは、病院において新しい人生が始まったことを告げている。私の母はこのテレビプログラムがかなり好きだ。そして新生児よりも、その両親のことが気になる。
「この子供の母親はまともであり、夫はそれなりの人物だ。うまくやっていけるだろう」と言う。あるいは「この親たちは信じられないほどだ。子どもの名前を全く判読することができない」などと言う。何かと批評したがる。
この世において、そうした肯定的なニュースは、あるにはあるのだが、ほんの僅かだ。それ以外の、殺人事件、交通事故、災害などの不当な死者を数えることの方が圧倒的に多い。
誰かが死ぬ。私たちは心を止めない。飢えに苦しみぬいたアフリカの子供の死も、がんで死んだ有名人の死も、たった一つだけの死。
ある国の首相の死亡は大きく処理されるが、イラクで起きたテロによる34人の死者は、誰も名前を挙げられることはない。そうしたやり方で、各死の価値は、全く異なっている。
私たちは想像力を使っていないので、たとえ死者をともなうニュースであっても、「あの事件ですごいことになった」と会話の糸口として使っている。
会話の出所が悪ければ、不謹慎にも、笑いのネタにされる。それくらいことはどこの家庭、学校、職場にでもある。
例えば、どこからか救急車が近づくとする。「あれはあなたのお迎えではないか」「いいえ、冗談はよしてくれ。それは私のではない。むしろあなたを連れていくのだ」そういうやり取りがある。
実際に救急車によって運ばれていく人がいる。その状況を私たちは度外視している。日常生活はこの有り様だ。この世で起こったすべての死に、親近者と同じやり方で同情をすれば、私たちの心はもたないからだ。
しかし、子供が親を殺すというニュースについてのみ、私たちの家庭は少し混乱が生じた。私の弟がいたからだ。
その当時、私の両親はこの状況がどれくらい続くかを心配していた。解決への手掛かりはなかった。出口がなかった。
時より、弟と両親は戦っていた。両親は働いていない弟を受け入れることができていなかった。両親は公衆の目に耐えられなかった。弟は耐えようとしていたが、両親の愚かな言葉で傷ついた。
外出したほうがよかった。しかし、両親は弟が外出することも不安だった。田舎にいることがよくなかった。昼から時間を持て余してる人間は何かと詮索されるからだ。
私は弟に、オーサカやトーキョーに出てバイトをすることを提案した。だが彼は人々と交わることを拒んだ。一日中、ライブジャックポットというゲームをしていた。
私は遠い過去にこのゲームで彼と対戦をして、良い試合をしていた。しかしこの時期には、もはや彼のレベルは私の手に届くところになかった。
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