【小説】 亮介さんとあおいさんとぼくと 10/30
まだ秋も深まる前、これは夏じゃないかと、気圧配置に文句をたれているころ、あおいさんのドバイ行きのニュースを聞いた。
梅田駅周辺はダンジョンである。JR大阪駅をかわきりに、大阪市営地下鉄四つ橋線西梅田駅、御堂筋線梅田駅、谷町線東梅田駅、さらには、阪神電車と阪急電車の梅田駅もある。
東京駅や新宿駅もなかなか攻略がむずかしいラビリンスではあるが、大阪もなかなか負けていない。名古屋についてはよく知らない。
阪急電車の二階中央改札から出て、改札下あたりの紀伊国屋書店の近く、いわゆる「ビックマン」とよばれる場所で、彼女と待ちあわせた。
やはり、遅刻してくるあおいさんであった。日本人が勤勉で時間に正確とはよくいう。しかし、ぼくのよく知る日本人は、あおいさんや亮介さんみたいな人ばかりなので、そういう国民性のようなものは、まったく信じていない。
そして、開口一番だった。
「それでね、わたし、一年間休学して、ドバイにいくことにしたから」
と落ち合った瞬間彼女はいった。あっけにとられた。
これからスターバックスにでもいってから、ゆっくりまったりとしてから、「そういえば、本題はなんでしょう?」とだしぬけに聞きたかった。
しかも、「それでね」とここまでのいきさつを知っているかのように、留学の話をいわれても、ぼくはなにも聞いていない。
「あれ?言ってなかったっけ?」
「いってませんよ、まったく」
「実は、明日からいくの」たたみかけられた。
「いささか急ですね」
「ごめんね」
彼女はこういう手の情報は、最終的に伝わればよく、だれに、いつ、どのタイミングで、どうやって伝えるべきか、という点においては、無頓着なところがある。そういう男らしいところがある。女性だけど。
いや、もしかすると、あるいは、あえて黙っていたのかもしれない。
なぜなら昨日も、夜中までふたりで人生ゲームをやりながら、ところどころで、お互いの人生観を語っていたからだ。
「就活がせまってきて、じぶんはこれからどう生きていきたいかって真剣にかんがえたの。それで、英語をちゃんとじぶんのものにして、英語ができる側の人間として、生きていきたいとおもったの。
そう生きないとじぶんを許せないって気持ちになったの。ぼんやりとしたあこがれから義務感にかわったわ」
「亮介さんはどうするんですか?」
「彼は、わたしにとって大事な人だし、これからも付き合っていきたいとおもっているわ。この『付き合う』っていうのは、男女交際という意味ではなくて、人としての付き合いって意味ね。
男女として交際というのは、結局のところ、『アレ』をするかどうかの問題よ。別にわたしは『アレ』を彼とするのは、どっちでもいいわ。きらいじゃない。むしろ・・・なにいってるんだろ、わたし」
「あおいさんが勝手にしゃべったんですよ」
「でもね、彼とはね、精神的なつながりの方が大事なの。で、彼との関係性よりもわたしのこれからの人生の方がずーっと大事。
だから、今、ドバイにいこうとおもったの。もしこれがきっかけで、今後、彼がわたしと会うことをやめるのなら、それまでよ。残念だけど、それが彼の選択」
「そうなったら、さみしくないんですか?」
「さみしいわよ。そりゃ、もちろん。でも、それよりも、わたしのこれからの人生の方が大事なの。人生一度きり。
死ぬときにもっと英語ができればよかったって後悔したくないの。ちょっとおおげさね。英語ができないことで、じぶんの選択肢や可能性を失いたくないの」
「そうなんですね」
「この前、わたし、広告代理店のインターンシップにいってきたの。そこで、いくらか英語できるから、英語のメールの翻訳をやらせてもらったの。
五十歳くらいのおじさんに頼まれて。びっくりしたわ。そのひと、海外拠点を統括する部署のトップなのに、まったく英語ができないのよ」
「そうなんですね」
「そりゃ、彼の世代だと、学生時代からちゃんと英語を勉強した人がすくないのはわかるわ。でも、グローバルな組織なら、こんな人たちが会社の意思決定の中枢にいるなんておかしいわ。これが年功序列か、とおもったわ」
「そうなんですね」
さっきから相づちばかりだ。
「まず、英語のメールを日本語にして、おじさんにわたす。それで、おじさんが返信する内容を日本語で書く。その文章を英語にするの。
でもね、せっかく翻訳しても、
『ニュアンスをさ、直接的な言いまわしじゃなくて、もっといい感じにやさしくしてよ』とか、
『もうちょっと書き方をさ、伝わりやすいように考えといてよ』とか、
修正に修正をかさねて、一通のメールに何時間もかけるのよ」
「へえ」
これはちょっと雑な返事かもしれない。
「でもね、メールだけで伝えられることなんて限界があるのよ。やりとりしていた取引先とも、やりとりしているうちに、仲がこじれてたわ。
わたしが電話をしたら五分で解決したけど。最初から電話したらいいのに。でも、おじさまがしゃべれないから、電話というのは、最終手段なんでしょうけど。
なんだか、かなしくなったわ。大丈夫かしら、これからの日本」
ーーー次のお話ーーー
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