【小説】 亮介さんとあおいさんとぼくと 22/30
《8 はじめての女性》
奈良県民のぼくにとって、兵庫県というのは、都会で、華やかなイメージだった。でも、よくかんがえると、それはほとんど神戸のイメージだった。
ぼくが入った大学は、関西でもけっこう有名な私立大学だ。五條のような田舎でも、その学校にいっていると、親戚には謙遜しながら、大きな顔ができるものである。
そして、その学校にいっている学生も、なかなか楽しそうであった。みんな愛校心がつよい。卒業生も含めて。
ぼくは、というと、その大学には、すべり止めで入ったので、そんなに誇らしく振舞うことはできなかった。そこには、同じ高校から指定校推薦で入った男がいたからだ。
じぶんがあんなにも苦しい大学受験をしていたのに、その男は、同じく指定校推薦で入った女と卒業までずっといちゃいちゃしていた。
そんなものを見せつけられていたのに、あいつらと一緒なのかとおもうと、納得がいかなかった。そんな器の小さい、大きなプライドがあったのである。
下宿を探したときに、大学のまわりはじぶんの地元と同じくらい田舎だった。期待外れだった。それでも、奈良にいたころに比べて、大阪まではるかに早くいけた。気が向いたら、梅田まで出て、散策するようになった。
大学生になりたてホヤホヤのころ、先輩から、大学生というのは「人生の夏休み」であると聞いた。なんでもできて、なんでもかなうと。なので、ずいぶんと期待したものだった。
じぶんの人生が大きく変わり、夢や目標ができて、なりたい将来像が描けるとおもっていた。あるいは、当然のように交際相手ができるともおもっていた。
しかしながら、ほとんどの大学生たちと同じように、恋路を走ってもうまくいかず、そのうちに、本人はとっても重症であるが、他人からはどうでもいい、「エモのこじらせ」が訪れた。
大学という場所は、ぼくのような世間知らずの田舎者でも、ひろい心で受け入れてくれた。しかし、いつまでも、自意識過剰で、常識がなく、他人に対する配慮がない痛い奴の面倒をみることはしてくれない。
なので、ぼくのまわりからは、友達のような人たちや知り合いが、すこしずつ、確実に離れていった。モノ好きな人間だけがぼくとの交際をつづけてくれた。その筆頭株主が、亮介さんである。
けっきょく、ぼくの「人生の夏休み」は、安まることなく宿題に追われることになった。人生で一番辛い時期になった。人生の痛みのようなものをたくさん勉強することになった。
大学生活が人生で一番楽しい、なんてことをよく言われるが、ぼくはまったく同意しかねる。
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