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目撃者

ある日の出来事

待ち合わせのため、駅の改札口付近に立っていた。暇を持て余し、何を見るでもなく行き交う人を眺める。

改札に向かって歩いて来るスーツ姿の男性二人組が目が止まり、何の気無しにその姿を目で追っていると、向かって右側の男性が定期券を取り出した弾みでポケットから十円玉が飛び出した。
すれ違う三人組の男性らがそれを見ていたらしく、一人が
「落ちましたよ‼︎」
と声をかけたものの、話に夢中の二人組は気付かずに改札を抜けて行ってしまう。
三人組は落ちたのが十円玉なのを確認すると、大した額でもないからとそのまま立ち去った。


人の行き交う通路の真ん中に、十円玉だけが残った。


私が十円玉に落としていた視線を上げると、二人の人物と目が合った。
一人は十円玉を挟んだ真正面にいる学生らしき女の子。
もう一人は左斜め前方にいる、若い男性。
どうやら十円玉の全てを目撃したのは、私を含めたこの三人らしい。
目があったのは一瞬だったが、なぜか少しの親近感を覚える。
と言っても、それについて特に話すわけでもそれ以上の何かが起こるわけでもない。相変わらずそれぞれの時間を過ごす。                  

それから

数分後、改札に向かう母親と大学生くらいの娘が足早に歩いて来た。      
娘は切符を買うための小銭を取り出そうと、歩きながら財布の中をかき混ぜている。そうして歩いてきて、財布の小銭に夢中だった娘があの十円玉を蹴飛ばした。
「落としたわよ」
小銭が転がる音を聞いて、母が娘に声をかける。
娘は一瞬不思議そうな顔をしたものの、素直にあの十円玉を拾い上げ財布の中に入れる。
何も知らずに切符を購入した親子は、あの十円玉と共に改札を通り抜けて行った。                                  

その後ろ姿を見送った私は、すぐにその視線を他の二人の目撃者に走らせる。  
予想通り、しっかりと目が合った。
最初に一瞬目が合ったのとは違って、お互い意図的に合わせた視線だった。   

ー見ましたよねー
ーはい、見ましたー
ー私も、見ましたー

言葉を交わすには距離がある三人だが、確実に目で語り合っていた。      
屋根のある駅構内とはいえ、時折吹いて来る外気で冷え切ったコンクリートの上に落とされた十円玉が、偶然出会った人に救われ暖かい財布の中に迎え入れられるという感動的な場面に遭遇したのだ。                     

こんな風に、多くの人が気付かないところで様々な縁がこの世界を巡っているのだろうかと、突然壮大な考えが頭をよぎっていた。               

真冬に駅で人を待つ。この過酷な環境が私の空想の世界を広げ、よくわからない感動と、偶然居合わせた目撃者たちとの不思議な一体感を生み出してくれた。   
十円では買えない素敵な何かが、確かにそこにはあった。

文字にして残す

この話は、私が数年前に実際に目撃した話だ。スマホのメモアプリに打ち込んでおいたものを久しぶりに読んで、これをnoteに書いてみようと思った。      
創り出したお話ではなく現実に起こったことで、特に気にかけなければ何と言うことはないのだが、何故か妙に心に残った。だからその場でメモに残しておいた。 
こうやって文章を書くためにも、気になったことをメモしたり記憶に留める癖をつけておくと良いのかもしれないと改めて思った出来事だ。

世界はそんなに広くないかもしれない

と、ここまで書いて投稿する前に読み返したところ、ある事実に辿り着いた。作り話ではないこの話には、一部私の想像が混ざっている。読んですぐに気が付いたそれは肝心な十円玉の行方について。                     

あの十円玉は小銭を拾った娘と共に改札を抜けて行ったと私は書いたが、実際はすぐに財布から取り出され、切符を買う時に使われてしまった可能性もある。というか、その確率はかなり高いように思う。

見送ったと思った十円は、実はすぐ側の券売機の中にいたのかもしれない。   

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