見出し画像

創作物の中の武器

そこそこ前のこと。Twitterでとある絵師さんが「父が抜刀のチャンピオンで創作の抜き方は間違いばかり!正しいのはコレ!文句があるなら相手になる!こっちは抜刀のチャンピオンだ」というツイートがバズっていた。

おもしろそうだから勝負お願いしたら琉球古武道の大会でも良い成績なのを教えてくれた。コロナ終息したら県外大会で探してみようと思う。

お父さんのこと大好きなんだな。尊敬してるんだなと思えるツイートの数々だった。

恐ろしいことは反論リプに対して チャンピオンである父が勝負するよ!? と攻撃的な返しをしていたことだ。流派名や大会も出していたので一部の人たちには当たり前のように特定されていた。しかも名のある流派のチャンピオンが勝負してるとなれば自分や道場の名をあげるチャンスと思う輩が出てきてもおかしくない。合法的に首が狙えるチャンスだった。まああの後ヤバイニュースとかもなかったから別に事件起こすやつはいなかったようだ。良かった。


さて、アニメや漫画、ゲームなど創作物の武術に対して少し知っている人が「あの持ち方はおかしい」「間違っている」と指摘するのは毎度恒例のように感じる。特に剣術、弓道など競技人口が多いものは良くみる。逆にトンファーや釵はあまり登場しないうえ使い方が異なっていても指摘されているのはほとんどみない。少なくとも私の道場の持ち方とは違うことがほとんどだ。私は流派が違うんだろうなって思ってる。

アメリカの作品で釵が出てくることは度々あるが指を又にかけているものがほとんどだ。例としてはミュータントタートルズの彼とか。その持ち方がこれ。

画像1

私の道場ではこの持ち方をすると受け止めた時に指がなくなる・ミンチになると注意されていた。うちの道場ではこう待つ。

画像2


さて、では作品の持ち方は間違っているのだろうか?流派が違う道場では持ち方から違うなんてことはよくある。つまり流派が違うだけでこれも正しいと言える。

さらに実はそもそも釵ではなくtekpiなのでは?という指摘を受けた。tekpiはインドネシアの武器で形は釵とほぼ同じである。


自分が知っている知識はまだまだ少ないのだと感じた。もし、知ったかぶり間違いだと指摘していたら恥をかいていただろう。

武術をやっている人も本で得た知識の人も自分の体験や知識が全てではないと心得ておくべきだと思う。創作物においては作者の世界観を大切にすべきだ。そこから興味をもった人が更に本物を調べれば良い。そして実際に始めてほしい。


いろいろ考えたが結局1番言いたいことは

創作で琉球古武道出してほしい

である。よろしくおねがいします₍₍ (ง* ॑꒳ ॑*)ว ⁾⁾










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?