評価されても、喜べないのは何故??
周りに評価されても素直に喜べない時がある。
僕の場合は、定量的評価だ。
高校生の時、僕は大学受験で第一志望の大阪大学に合格することができた。
その時クラスのみんなや中学の友達が
「西條ってやっぱすごいよな。」
「阪大に進学するなんて羨ましいよ。」
と褒めてくれた。
もちろん大学受験に成功したこと自体は、自分の努力が報われたことでもあるのでとても嬉しかった。
しかし、、
周囲からかけられる言葉に対しては、そこまで嬉しいとは感じなかった。
個人としての自分ではなく、阪大に合格したという集団の内の1人としての自分が評価されたと感じたから。
そこで気づいたんだ。
定量的評価は1人の自分ではなく、集団としての自分が褒められているだけ。
だから評価されている感じが薄い。。。
阪大に合格して称賛されたというのは、偏差値が高い(つまり数値的に良い)大学に合格したという定量的評価だ。
でも定性的評価は違う。
自分が中学生で自転車登校をしている時、僕は通りすがる農家の人やご近所さんに必ず大きな声で挨拶をするようにしていた。
その時は別に褒められようとも思っていなく、ただただ挨拶が気持ちよかったからやっていただけ。
するとある日、毎朝挨拶してることが風の噂で母親に伝わり、
母「あんた毎朝ちゃんと挨拶してるんだって?偉いやん。」
と言われた。
僕「、、、」
おそらく母にとっては何気なく発した一言だったが、
自分の心が喜びで波打つ感覚があったのを、今でも僕は覚えている。
受験に合格するのと毎朝挨拶をするのでは、努力の量が桁違い。
だけど努力の量と評価の質に相関関係はない。
定量的評価で得られるのは、単なる自己満足感。
定性的評価で得られるのは、他者が個としての自分を認めてくれることの満足感。
そんなことを思った最近だった。