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黒崎神社式年例大祭、雑惑 #3

ハシゴの下から人が消え、再び舞台は駐車場へ移る。

喜多、という不思議な地名、、、いや、果たして「喜多」は地名なのか。喜多という「字」は無いのだが、こんな"おあつらえ向き"な祭組の名前は無いだろう。

それもやるのは「七福神」の舞、ときている。

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もはや、演者よりもスタッフの方が多いのではないか?な雰囲気がする喜多。今回、喜多からは七福神のみの奉納ともあって、実際に踊るメンバーの小中学生の他は小道具、演出、ほか運搬の裏方に回っているようだ。

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恵比寿に大黒、弁天様に毘沙門天。

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この「喜多七福神」、広田保育園での保存活動が行われている。なので、広田っ子は保育園での思い出を語るときに「七福神で何を踊ったか」を話し合う。

まあ、筆者の僕は保育園だけ小友に通っていたので、その話からは蚊帳の外なんだけど。

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今回は、あらかじめ録音された音源を会場で流して演舞が行われた。地元民からすれば「いったい何年前の音源だ?w」と言いたくなるような音源だった。

震災前の七福神は、生歌・生演奏で行われていた。歌い手の女性数名、笛と太鼓は男性が数名だった。人材確保困難のため、だろう。でも、いつかまた、五年祭で生歌の七福神が行われることを、僕は期待している。

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また、エンジ色の法被が集まりだした。

今度は長洞の手踊りが始まる。

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今回の長洞は、御祝いも手踊りも揃って人数を確保したいという考えから、女性陣の踊り手を法被に統一した。着替えの手間は省けたが、参加者からは「次回からは、やっぱり着物がいいな」という声が聞こえたのも事実。次回はどういう参加構成になるんだろうか。

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そういえば。今回の五年祭では、高校生の参加者激減が問題として挙げられた。高校三年生は進路決定に差し支えかねないという理由は分かるにしても、問題は軒並み1、2年生が「部活があるから」という理由で辞退してしまったことだ。

練習の参加は確かに難しいだろう。だが、当日のスタッフとしてでも、いや、それが無理ならば小道具作りだけの参加でもいいかもしれない。とにかく、全くと言って良いほど来なかった。現代の部活至上主義のような高校生たちの激増に、4年に一度の"総動員体制"がついて行けていないのが現状だ。

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ここから、再び郷土芸能ゾーンに。

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3つあるうちの(地べたを這うタイプの)虎舞のひとつ、中沢。

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中沢、と書いて「なかざわ」。

が、地元民は「中沢浜/なかずはま」と呼ぶ。一体どちらが正式な地名かと聞かれれば前者ー浜の付かない名前でーだと思われる。が、祭組の名前は後者であった。なんで?と聞かれたら説明できるようにしておかなくては、というのは気負いすぎだろうか。

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うってかわって、正真正銘のトラを模した虎舞が現れた。

「田端虎舞」。泊組からの出演である。田端とは、泊部落の中の一部地区の小さな地名だ。こちらも継承者不足により、かつては田端だけで行われていたが、近年に入り泊部落全体で行うようになったという。

広田では珍しく、黄色の虎舞だ。他部落とは演目の流れも異なり、「和藤内の虎退治」の一部始終を描いたものとなっている。そのため、前半の踊りが終わると口上を述べるシーンが入り、後半の踊りが始まる流れになる。お囃子も一風変わった旋律だ。

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虎が退治され、虎だけがいなくなると、踊り手が入れ替わりで入ってきて手踊りの奉納が始まった。

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赤色の着物がひときわ眼をひいた。

それにしても、泊の手踊り、毎回同じ選曲なような気がするなあ。

この日は朝からここまで、ずっと曇り空であるが、さすがにそろそろ晴れてほしいと思い始めてきた。