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通り雨とステロタイプされた月曜日

地獄に仏とはこの事か。月曜日の朝、僕は缶コーラのプルタブを開けながら自分のデスクに向きあった。今日こそはと気を引き締めて業務を開始する。

時勢もあって本日と明日の臨時休業が決まったのは昨日の事だ。そのためお客様は一足先に大型連休に突入、業務の進捗を報告する定例のミーティングも連休明けに持ち越しとなった。

僕は先週の中頃から1行も書けていない。理由はわからない。何故かふっつりと書くべきことが、やるべきことが見えなくなってしまったのだ。もともと燃え盛る熱意など持って臨んだ仕事ではないにしろ、社会人として最低限の成果すら上げられていないというのは過去を振り返っても珍しい事だった。

進捗報告の場で八つ裂きにされる恐怖よりも、無気力が勝ってしまったのだが、幸か不幸か処刑は延期となったようだ。まるで本来死ぬはずだった人間が、既に死んだ人間が奇跡をもって「余暇」を与えられたようなーーーそんな不思議な気分だった。実際のところはその余暇で蘇生することも可能であり、そのためにこれから全力をもって巻き返しを図ろうとしている最中であるが。

思えば自分の仕事運は無いに等しいと嘆いてばかりだったが、いざ審判の時となると今回のように「間がずれて」致命傷になることは1度たりともなかった。これはで仕事運が無いとは言えないな。ベストタイミングが訪れることもなければ絶望的な致命傷を受けることもなく、すべてにおいて間が悪い人生は、果たして幸か不幸か。重たい指を動かしながらくだらないことを思案していた。

ふいに、開けっ放していた窓の先がにわかに騒がしくなってきた。何事かと思えば驚くような大粒の雨が降ってきたのだった。つい先ほどまで燦燦と太陽が照り付けっていたように思うが、ゲリラ豪雨というやつか。不本意ながらここに最悪な月曜日の手役が完成した。仕事なぞしてられるかという気分である。

気分転換に何の気なしに手を窓の外にかざし、雨のにおいを嗅いだ。打ち付けた雨が地面を掘り返したように匂ってくる土のにおい。どういうわけか小学生の頃、半ば住み込んでいた祖母の家の事を思い出す。ゆっくりとした時間が流れ、本を読み、茶を飲み外の景色を眺め、雨が降っているなと傘をさして表に出てゆく。そんな時に匂っていた土のにおいを何故か今、感じた気がした。

北海道の田舎の土と東京のコンクリートに本当は差などなく、この匂いは人としての線が緩んでいる人間にしか感じられないのだろうと思った。なぜなら自分は今、余暇の真っただ中にいる人間だからだ。社会人として張りつめてなくてはならない形容しがたい線が、今の自分は切れているから。僕はしばらく外の景色を眺めて、その匂いに遠い昔の記憶を呼び起こして感慨にふけった。

気分もすっきりとして仕事に戻る。心なしか視界が広がったようだ。恐ろしい納期という悪魔の仕業で僕の目は曇って淀んでいたのかもしれない。何てことはないつまらないミスの連続が、自分を追い込んでいたのかもしれない。そういうものはふとした事で消滅する。今日まさにそれを体感した。これは余暇から休暇に格上げされる可能性もまだまだ残っているだろうな。頑張らなくては。

僕の中では憂鬱で、否応なくモソモソと動き出す灰色の塊が月曜日のイメージで、それはこれからも終生付きまとっていくだろう。雨なんか降るとまさに想像通りの最悪な月曜日だ。しかし、どうか思い出してほしい。それは自分で作った紙型で印字しただけのモノであって、決して本質的なものじゃないし、幾百幾千のなかで今日のような印刷ミスが起きるという事を。

その印刷ミスを見逃さず、受け入れ楽しんでやるという事を。

                             了

ひとつだけお願いがあります ここにあるクソみたいな駄文たちのこと、時々でいいから…… 思い出してください