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大正浪漫溢れた青森の新町通り〜浜町料亭街のお話


安方に青森停車場が出来
新町通りの松木屋百貨店が出来た
遠い遠い昔のお話です。

松木屋というと
耳慣れた方は知っている、知ってる
と思うかもしれませんが
ココで登場してるのは私達の知らない松木屋です

実は松木屋は2度、新町に建てられていて
この当時の松木屋というのは
初代の松木屋で新町の北側にあったそうです。

木造3階建て約380坪の百貨店は

ルネッサンス調の白壁や展望室のドーム屋根で

その風貌は優雅で気品にあふれたものでした。

大正時代というと解放や新しい時代への理想に満ちた風潮で知られてますが
当時の青森も、町の写真をみると
甘美で抒情的でロマンチックな建物が写っています。

そんな新町には乗合自動車、今で言うバスが大正13年に登場

また「円タク」と呼ばれた
どこへでも1円均一で乗れるタクシーが出現してたそうです。

それ以外の交通手段として人力車
この人力車、今も時々観光地などで見かけますが
非常に風情を感じさせます。

当時としては交通手段としては
徒歩で歩く
或いは、乗合馬車、駄賃付けの馬に乗ると言ったのが普通の時代

(駄賃付けというのは馬の背中に貨物や人を乗せて輸送すること)

人力車に乗るというのは
今で言う一種のセレブ感
周囲からも一目置かれたステイタスを示して
我が物顔に街を走っていたそうです。

新町を走る人力車が向かった先はだいたい2ヶ所だったそうです。

先ずは森紅園(旭町の遊郭)、そして浜町の料亭街です

青森停車場に降りたった人で
森紅園(旭町の遊郭)を目指す
その車は新町通りから夜店通りの角の
3階建ての三浦甘精堂を右折

また浜町の料亭街を目指す
人力車はそのまま新町を進み
浜町の料亭街に向かったのだといいます。

浜町の料亭へ至るその道は
新町通り
前述した松木屋百貨店をはじめ開業した有名店が軒を連ね
その中を人力車が韋駄天の如く駆けて行ったそうです。


下新町と柳町まで行くと左折
柳町には幅2メートルくらいの水路があったので
そこを沿って進み
大町商店街の玄関口にあった一戸家具店を眺めながら
通りを一本海側に行くとあった神病院を目印に右へと曲がり
そこにあったのが浜町料亭街です。

(今も角にある神病院ですが
神病院が開院する前は青森市公立病院があり
大火で焼失、のちに神病院が明治 44 年 11 月、開院
その建物にも展望台もあり洋風な洒落た建物だったようです。)



その当時の浜町料亭街には
旅館、待合、置き屋、うなぎ屋、そば屋、たばこや、酒屋、薬屋、芝居小屋、郵便局、銭湯などもあったそうで
言わば、そこはまさしく青森の繁華街でした。

浜町の名だたる料亭としては
「金森樓」「玉屋」「野沢屋」「菊水」「むつみ家」「丸丁」
「琴富㐂」「浦島」 「越前屋」 「松葉屋」 「喜久栄」 「加賀」 「与五郎」 「坂井家」「吉田屋」 「松島屋」 「粋楽」 「おもだか」 「松廼家」 等があり、旅館も 「大和田旅館」「塩谷旅館」「浜田旅館」などが詳しく調べられた郷土の書籍「新町秘ストリー」に紹介されています。

浜町の料亭街で豪遊する客筋は
中央政府より視察に訪れた役人や、それを接待する地方職員

そ して、軍、警察、消防関係者などなど

地元では、大体安方の鮮魚問屋、廻船業者、それに新町、 米町、大町の旦那衆、 その外県議、 市議等の地方議員、それに加えて、大地主、株屋、高利貸屋等だったそうで、庶民が訪れることはほとんど無かったようです。

そんな料亭街において接待やら、商談など
いろんな思惑が交錯して
青森の街もつくられていったのでしょうか

そんな浜町で、
かの文豪太宰治は半玉・紅子(本名・小山初代)とめぐりあいます。
逢瀬を重ねたのが、浜町通りと交差する桟橋通りに面した料亭「おもたか」だったそうです(「おもたか」今は駐車場となっています)

当時の1番の流行った料亭は金森樓、坂井家とも言われていましたが、交通の発達に伴い次第に寂れいったそうです。


ちなみに
浜町は、町名の示すごとく浜辺にある、それで名付けられた町です。

はじめは船問屋が多数、軒をならべ

のちに浜町安方町の北側が宅地になっていき

北側(新浜町) 一帯に人家がなく青森港に出入する船の様子がよくわかって、悪天候で海上が荒れ、故郷に帰ることができない上方船が、浜辺に巻きあげられていたそうです。

明治になって、陸上交通が発達し上方船がはいらなくなってから、船問屋が大きな家屋を利用して旅館業に転向

また蒸気船が就航し北海道との海運が発達してから、商店街となったそうです

東北線が明治二十四年全通

安方町の共有地にきまると
漁師町で町の西端の安方町も人通りが急増

当時、青函連絡船の乗船場も旧桟橋が浜町にあり

北海道へ渡る旅客や貨物は
安方駅で降りて、人力車か徒歩で浜町旧桟橋へ行ったそうです。

乗船場のあった旧桟橋は
現在の聖徳公園のあった場所

そこに日本郵船株式会社の出張所があったことから

浜町には、商店、旅館、料理店が出来ていきし、市の繁華街となったのでした。

浜町がさびしくなったのは、
明治三十一年、日本郵船会社が事業拡張のため、
新浜町の敷地買収で折合わず、
現在の青森駅に隣接した安方町共有地を買収し移転したからだそうです。
結果、移転で一番打撃をうけたのは旅館
急きょ安方町に支店を出すやら移転して行ったそうです。

そんな浜町も青森港の様相や時代の変化、さらに空襲に伴い変化

今も、古い佇まいを残した数軒の建物が当時の面影を伝えています。



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記事編集/鈴木勇(サイゴン、わやわや店主)

記事参考

新町秘ストリー長谷敬生
青森市の歴史散歩(よしのや本間書店)
新青森市史(中世)

写真/ 東奥日報2003年4/21 月曜、夕刊掲載記事より

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