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みなみデパートと工藤パンビル、古川のバス乗り場周辺はいろんなお店がたくさんあって、とても賑やかでした。


「国道古川通りのお話」

ご存知の様に古川は国道と昭和通り、旭町通が交わり、浪館通りへの分岐点でもあります。

昭和通りの左右には、中央古川通りと夜店通り、仲町通りがあり

青森市中心街の中でも、西部地区へ向かう交通上の重要な場所で、各方面へ向かうバスの停留所が集まるターミナル的な場所で多くの人が集まる場所でした。

この場所で大きく飛躍したのが亀屋さんです
亀屋はここを基盤にし
青森県全体に店舗数を拡張するまでに発展していきました。

亀屋の創業者、三上勘ニは昭和26年、古川国道の南側に洋品店を開店します。
交通の要衝で開いた洋品店は営業成績を伸ばし
昭和37年株式会社亀屋を設立すると
古川の別の場所にスーパー亀屋を開業
そして昭和48年9月12日、松木屋、カネチョウ武田、そして青森市の3つ目の百貨店となる亀屋みなみデパートを開業します。

さらに工藤パン、
工藤パン商事は亀屋みなみデパートのビルに隣接した角地にビルを建設
このビルは地下1階、地上9階で1階から4階まではパンやお菓子の販売と食堂、5階から9階まではビジネスホテルでした。
又、工藤パン第一営業所も浪館通り入口付近に作ります。

みなみデパートと工藤パンビの他には国道古川通りには、ほてい堂薬局のように戦前から営業を続けている店舗や、テナントでいろんなお店がはいる長谷川ビルや、スーパーマンのレンタルビデオ、周辺には居酒屋仙人、日活レジャーセンター、書店や喫茶店などなどたくさんのお店があり、いずれの店舗もバスの待ち顧客が支えているという共通の要素がありました。

古川のバス停には、バスが来るまで時間に余裕のある人はみなみデパートで日用品などを購入、隣の工藤パンビルでパンやお菓子を買い、長谷川ビルに入居の各店舗に立ち寄って楽しんだり、近くの喫茶店を利用し、さらに居酒屋も多くの市民が利用したものです。

ところが、国道を走る車が増え続け
古川周辺の渋滞がものすごいことになって
国道古川通り横断歩道は歩行距離が長く渋滞を招く、さらに歩行にも危険ということで、昭和51年頃より跨線橋近くの横断歩道を廃止、地下道を作ってコレに対応

その結果、工藤パン第1営業所の売り上げは落ち込みます。

さらに跨線橋が拡張され、渋滞が解消されていくと

国道古川通りの人通りも少なくなり、郊外いろんな施設が出来るようになると亀屋みなみは経営上の問題から閉店、建物も撤去

工藤パンビルも入居店が変わり、周辺のお店や施設も軒並み閉店を余儀なくされていき、時間の経過とともに、
青森駅が青森市営バスのバスターミナル的役割を担っていく様になり、
かつてバス待ちの買い物客があつまった拠点古川にあった多くのお店は、自動車社会の進展とともに姿を消しました。

今も数軒の店が残ってますが、国道古川通りのかつての繁栄は夢の様です。

ちなみに、古川国道通りにお店を構え急速な発展を遂げた亀屋みなみチェーンは
昭和55年には青森市内に17店舗、その他県内に16店舗
合計33店舗まで拡大
その後も時流に乗りながら
業態開発を行なって
衣料館の展開、ミスタードーナツ、サンマルク、BUZZなどなどを展開
そしてエレクトロみなみ、薬のケンコー薬品、
昭和61年にはコンビニエンスストアチェーンにも進出、サークルkの地域フランチャイズを行って北日本3県で180店舗
さらに、青森市の東部、西部に大型ショッピングセンターを建築するも、チェーンストア業界に構造改革の波があり一部の事業と一部店舗を除き幕を閉じ、たくさんあった店舗はマックスバリュー、ユニバース、マエダストア、サークルKに引き継がれました。
マックスバリューの波内銀座店や旭町マエダストアなど店舗がかつての亀屋の記憶を思い出させます。

記事参考
新青森市史
東奥日報2023年2月22日記事

記事作成 鈴木勇(サイゴン、わやわや店主)

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