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「かつてはミラノ、みゆき座などの映画館もあったワンウェイ通り」

夜店通りから
八甲通りへむかう
国道と並行した通りを昔はなんと呼んだのでしょうか


出来た当時は壁面にオシャレな
壁画があって
テナントも
話題のルーニー、ピエスモンテなどのブティックや
三階にはチャイニーズレストランなど

時をへて
カラオケ屋サガンさんなどが入居していた

青森市古川のサガンビル
(そのもっと前はピザ屋さんもあった。)

その隣にあったのがクラリスビル
一階にははじめトクトクと言ううどんや後に五番軒本店
その隣にはアッサムという紅茶が売りの喫茶店
その裏には日本料理のお店ふじ菜
そして2階には雀荘やら、お肉やさんなどがありました。



もっともっと辿ると、クラリスビルの場所には
ローラースケート場があったようです。

そのお向かいにあったのがミラノ、みゆき座
解体して駐車場になった場所を見ると
よくもこんな狭いところに
映画館が、それも2軒もあったなと
感心して、その当時あお思い浮かべてみると
確か、ミラノもみゆき座も急斜面だった
そんなことを思い出しました。

この界隈には
姫の湯という銭湯
そして
その風呂屋の向かいに
銀トトという飲み屋さんがありました。

銀トトは成田ビルのお隣の
成田医院の2階にあったのですが
看板というか
板に銀色の魚の絵だけ描いてて

そこを目指し来ても
字が書いて無いのでお店と
認識出来ず
お店を探す人も多かったです。

ここのマスターというのが
絵を描くのがお上手だったのですが
後々お店を辞めて
東京に行かれてクレヨン画家になりました。

裕寿し、という長く営んだお寿司屋さんの裏手には
三九寿司、さらに浜蝶寿司と3軒もお寿司屋さんがありました。

その近くにはサラリーマン道場鍋屋と
プロ級のゴルフの腕前の店主がいる我妻屋さんがあり
官庁街の仕事終わりに立ち寄る人も多かったです。

そんな賑やかだった横丁ですが
駅前に大手居酒屋チェーンが出来
そちらの方に人が流れ
次第に夜も静かになっていきました。

その後残ってたお店も一軒、また一軒と消えていき

ほんと静かになって

通りを歩きしみじみ寂しさを感じます

そんな界隈を有志が集まり古川グルメ商店街が発足

商店街の活動の一環として名前を公募

かつてのミラノ、みゆき座があった通りに名前がつきまs。

一方通行なのでワンウェイ通り

過去へ戻る事が出来ない様に

思い出も次第に忘れていきます。

古川グルメ商店街発足のお話は
自分も関わりが強いので改めて記したいと思います。

青森市の古川にあるワンウェイ通りのお話でした。




記事編集/鈴木勇(サイゴン、わやわや店主)

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