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国道と柳町の交差点のど真ん中に観音像が立っていたので事故が多発していた

国道と柳町の交差点のど真ん中に観音像が立っていたので事故が多発していた「柳町通りの平和観音像」のお話

柳町の交差点は青森の中でもとても
広々としているように思うのは私だけでしょうか

かつてここに「平和観音像」が建っていました。
今からだと想像もつかないですが

柳町通りと国道の交差点のど真ん中に
かつてはロータリーがあり
その中央には
平和観音像が立っていたそうです。

なぜ、ここに平和観音像が建ったか

それは、かつてアメリカ軍が大東亜戦争の際に
青森の街に空襲を行う際の
この広い柳町交差点が照準点にされたからだそうです

青森中央市民センターの二階にある
青森空襲資料常設展示室に伺いました

青森大空襲の記憶を辿ると

当時の第45代青森県知事金井は

大東亜戦争の戦局悪化に伴い
アメリカ軍の本土空襲が日を追って激しくなる中

郊外へ避難している市民に対して
「7月28日までに帰宅しなければ
人名台帳から氏名を抹消し、
食糧や物資の配給を差し止める」と青森市民に警告

この声明を受けて
多くの市民が避難先から帰宅させられたそうです

一度は大勢の市民が避難したものを
わざわざな半ば強制的呼び戻したんです

当時は「防空法」という法律があり、空襲による火事を消火させるために勝手に自分の家から離れることが禁じられていたそうです

それに空襲前日、アメリカ軍は空襲の予告ビラ6万枚をまきましたが、軍や警察がこれを回収したため、この警告は市民に伝わらなかったともいいます。

そして青森市街は
昭和20年7月28日から29日にかけての
青森大空襲により市街地の81%一万五千 余戸を焼失
市民約七百四十余名が戦災死、壊滅的な被害を受けます

青森空襲での空から落とされた焼夷弾の数は83000本とも言われていて
試験的に威力も絶大な新型の爆弾がその中に混ざっていたそうです

現在の青森市中心部は
すっかり焼き払われてしまったのです。
今、私たちが何気なく過ごしている同じ場所で
多くの方が傷ましい空襲、砲撃のもとで亡くなられたのです

青森市が空襲を受けた
金井知事は1946年(昭和21年)1月、
公職追放処分を受けて知事を免職

公職追放後は民間企業に勤めてましたが

1948年(昭和23年)に自らの命令で
空襲により多くの犠牲者を出したことを悼んで
慰霊のため観音像の建立を提唱

柳町交差点のロータリーに三国慶一作の「平和観音像」が設置されたそうです。

その後
高度経済成長に伴う車の激増で、
ロータリーにぶつかる車や、
ロータリーを迂回(うかい)せずに、
手前で右折して対向車に衝突する車が多くなっていきます。

交通整理のためのロータリーが、
交通事故をもたらす存在になったのです。

通行に不便があるとして
多くの市民の苦情により
 青森市のロータリーは1963(昭和38)年の暮れに撤去
平和観音像は翌年春、
やや北寄りに新設された緑地帯の公園内に移されます。

さらに時が経って
平和観音像は
老朽化がひどくなっていきます。

建立の維持も難しくなってしまったのです

そして
宗教に関連したものに
税金は使えないという理由により
今度は多くの市民から浄財を募って
平和観音像再び建立されました。

場所は柳町交差点がの国道から北側
約10メートルの柵で囲まれ幅の狭い通路の奥に置かれたのです

現在の南を向いて立っている
平和観音像は実は2代目なのです

建立された初代の像は
今は青森市文化会館の4階で展示されています

青森の経済的成長と繁栄を受けるなかでの
度重なる移設と建立を繰り返し
平和観音像は今も立ち続けていますが

次第に空襲の事や
多くの人がその空襲で亡くなったことも忘れられてきています

空襲体験者が高齢となり、
体験を語り継ぐ方も少なくなっていますが、
青森空襲を風化させてはいけないと思います

先の空襲で亡くなられた方々の慰霊をすると共に
そのような事を語りかけながら
平和観音像は立っているように思います。

青森の忘れてはいけない
そんな記憶を後世に残そうと
活動しているグループがあるのをご存知でしょうか

青森空襲を 記録する会がそれです

青森が空襲にあったことすら
今では忘れかけているので
こういった活動の意義は大きいです

街の成り立ちを知ることはとても大切です

青森大空襲の記憶を伝える展示
青森空襲資料常設展示室にあります

観覧は無料です
是非足を運んでみてはいかがでしょうか

青森市中央市民センター
青森市松原1-6-15
開館時間午前9時〜午後5時30分
第3日曜日休館
電話017-743-0163

記事参考下記サイト
aomorikuushuu.jpn.org/
www.komakino.jp/ao-kushu.pdf

画像提供
新青森市史、青森空襲資料常設展示室パンフレット

街グルメin青森
記事編集/鈴木勇(グローバルキッチンサイゴン所属)

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