きみの話から始めよう
issue01の次号予告に、「特集 ボトルメールから始めよう(仮)」と書いたとき、具体的な特集のページ構成や、どんな著者に声をかけるか、僕の中ではひとつも決まっていなかった。
しかし、自然と出てきた「ボトルメールから始めよう」という言葉は、どこもいじりようがなくできあがっていた。
僕は、今号のテーマについては、僕自身の中から湧き上がる強い意志というより、思いついたものそれ自体の強度を信じて2号を作り始めたと思う。
ボトルメールから始めよう。
手紙を瓶に突っ込んで、海へ落とす。飛沫の音が聞こえたあとは、さっきまでと同じ静けさが、その人の周りを包むことだろう。
世界各地の色んなところで、古い古いボトルメールが見つかっている。
その数だけ、投げ込んだあとの人を包んだ静けさがあったんだと僕は思う。
わざわざ友だちといっしょに海へ来て、ボトルメールをやるようなことはあまりないんじゃないか。学校のタイムカプセルみたいなことならまだしも、ボトルメールじゃ回収のしようがないし、投げ込むことを誰かと分かち合えるような喜びはボトルメールにはない気がする。
一人で、自己をどこかに投げつけたいから、海へ来て瓶を放る。
そこに生まれた静けさは、決まりの悪い静けさだろう。
こんなことをして何になる、とさえ、その人は思ったかもしれない。
その瓶がいつどこに届くかもわからないまま、そこを立ち去った。
そういう人たちがいたから、僕はこの特集を組めた。
この特集をやり始めて、ボトルメールというものについて、しばし調べたりもした。
そのなかで、「ボトルメール」というリクルートが提供していたソフトウェアを懐かしむコメントが、ネット上にたくさんあった。
自分が送ったメッセージが、いつ、誰に届くかわからないソフトウェアだ。
僕はこれを使ったことはない。
だけど、わかる。
そのソフトウェアを使いたくなる気持ちが僕には想像できる。
いつ、誰に届くかわからないと思っているから、書ける言葉というものがあるのだ。
内面をそのままに、筆に任せるように、何にも縛られないで書く。常に画面の向こうの「受け手」を半強制的に意識せざるを得ない、SNSの感覚とはかけ離れた自由さ。心の広がり。何も考えなくていいという安心。
海にボトルメールを投げ入れた人たちも、身の回りのコミュニケーションから自由になりたくて、あてもない文を書き、あてもない海に頼ったのではないか。
僕はそこから始めたい。
誰かのために、みんなのために、あなたのために。
そういう、いわば「利他」の服を、うまく着れない時が絶対にある。
でも、利他でいたいと思ってしまう。
その矛盾が、自分の口に嘘ばかり言わせる。
「個性」を第一義に掲げる風潮と、「絆」みたいな言葉に代表される利他の風潮と、相反するようにも見えるふたつの思潮に自分の体を両側から引っ張り続けられてきたのが、きっと2000年代を生きてきた人たちだ。
解像度の低い言葉は色んな人に届くけど、薄い。そんな言葉が空気中をみっしりと漂っているのは、人を疲れさせる。
手持ち無沙汰でも、することがなくても、「ひま?」とか、誰かにメッセージを送らなくていい。
疲れたら、海に来る。
誰もいない海で、誰あてでもない、あなたのあなたの頭の中を文にしたそれを、ボトルメールにして放り込む。
誰あてでもなくても、「誰かに届くといいな」、というちいさな願いの破片を胸に残す。
ダメになりそうなら、いつだってそこから始めればいい、やり直せばいい。
海はきっと、きみの話を聞いてくれる。いつまでも、聞いてくれる。
書こう。
ボトルメールから、始めよう。
今枝孝之
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なみうちぎわパブリッシング
SLOW WAVES issue02
「ボトルメールから始めよう」
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新書版160p
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