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saigo_no_matane②
1ミンティア。
雨が降る夜の商店街。
男の子はキリンみたいにまつ毛が長くて、まるで本当の子供みたいに可愛い眼をしていた。
雨が揺らす街の光が濁りのない彼の眼の中に集まっていく。潤っているのは彼の眼、それとも私の眼。これまでの世界に。
嫌いな人の話を一切聞かないという性格の中に、しっかりと宿っている犠牲心と忠誠心。そこには強くて不器用な義理堅さが備わって、真っ先に波を被ることも大きな損も何とも思わない。
きっと、そう思うようにしているだけなのに。
常識を超えた非常識からその身を守るため、そして誰かを守るために、この腕はこんなにもたくましくなったのだろうかと私は見惚れる。
大人の男性の象徴といえるネクタイの模様に、まるで可愛らしい男の子が隠れているようで、私はその模様に触れてみる。
「せめて自分は許してあげたいんだよ。そのままでいいって。だからこういうところに子供の自分を残してる。他にも例えば…そうだね、カーテンの模様とか」
私を見て優しく彼が笑うと、私はこの世に自分が存在していることに気づく。そして、それを許してもらえたことにも。
「どろだんご、楽しかったね」
「うん、楽しかった。子供の頃に悲しい想いをしていて良かったとすら思ったよ。あの子を救い出してくれてありがとう」
自己主張の切っ先が何よりも怖くて、誰も目的が交わらない人達で賑わう街が嫌いだった。いつも取り残されている感覚があった。
知らないのに知っている。知ろうとしないのに、知って欲しいわけでもないのに、話している。小さな言葉を拾ってくれる。私も拾っているのだろうか。とても似ている気がする。
感じたことのない安心が私を優しくさせる。彼にも、私にも。
若い女性が、傘も差さずに雨と悲しみで化粧を落としながら信号を待っている。私達はその女性をしばらく見ていた。
「オカリナみたいな耳だったね」
きっと思い出と共に街に捨ててきたピアス。何度も運命を変えようとした穴だけが悲しく残り、それを見ていた男の子はまるで何も知らない子供のように、そんなことを言った。
「なーんてね」
そう続いた男の子の眼を見ると、もうそれは男の子ではなかった。悲しい眼をしていた。私達はきっと同じ物語を描いている。想像の共有を無言でやりとりしている。
強さや面白さの中に捨てきれなかった弱さを抱えている。コンクリートを堂々と生きる大人の殻に、繊細で超現実で捨てきれなかった弱さを隠している。
「紹介しておこうかな。ほら、僕の友達」
男の子はそう言うと空を指差す。
この人の優しさがいつか温かい涙として流れますようにと、静かに祈りを捧ぐ。
2「素敵」とは。
noteが世界と手を繋ぐ。
その日は誰もが命を繋ぐ。
男の子も女の子も、
小さなカエルも大きな牛も、
静かな森の中も、
ネオンサインが光る街も、
太陽の下も月の下も、
雲も雨も海もひとりも。
地球が平和の街一色に染まる。
noteの世界も素敵なエピソードに染まる。
「素敵」
あまりにも便利な言葉だった。まるで食いつくように、今すぐ早く逃げ出すように、そんなふうに使ったことが何度もある。それでも、今宵は本当に素敵な夜だとこの言葉を選ぶ。
陽気な歌と笑い声が炎を揺らしていて、それを遠くから静かに見ていた。例えば私の中からひとりが消えてなくなると、今の私はどうなるのだろうと想像する。
誰とも何もできずにいた私は、男の子の家を訪ねてみる。家の前には少し大きな植木鉢があった。真ん中に大きくて長い葉が3枚生えていて、その周りには不思議な形をしたハーブの葉が魔法陣を描くように生えている。
「それは虫除けだよ。虫はハーブが嫌いで、僕は虫が嫌いなんだ」
水の入ったじょうろを持って、男の子がやってくる。
「枯れませんように。いつも元気でいてくれますように」
男の子はまぶたを閉じてそう祈りながら水をやる。
「その植物はどうしたの?」
「これは僕の子供だよ。子供の命なんだ。明日の朝は良い天気みたいだから、陽の当たるこっちに移動しておこう」
男の子は植木鉢を少し移動させた後、遠い空の下を眺めていた。私も同じ場所から同じ景色を見ている。
「ここから見るから素敵なんだと思う。僕はあの輪には入る勇気がないよ」
「良かった。私一人がそう思っているのかと思った。きっとあの中にいても、私は一人な気がする」
「じゃあさ、ねぇ、一緒に踊ろっ」
みんなが出かけた誰もいない街の夜、私達は男の子の家の前で手を繋いだ気がする。
「2人で踊るの?」
「まさか、4人だよ」
「4人?」
「つくねちゃんと僕の子供の命もここにいるよ」
世界が回る。繋がる。
私はそれを初めて感じている。
3気持ちの名前。
東と西の歩道に立ち、名前を呼び合う親子がいる。二人は何度も、互いの名前を叫んでいる。
それは呼んでいるようで、無事を知らせているようで、心の底から強く祈るようで。
二人は距離を縮めようとはしない。それは相手が寂しくなることを知っているから。それでも、二人は魂の声で呼び合う。
それ以上のことは、何もできない。
男の子は赤い服を着ていた。赤色がとても好きな子だったらしい。
「僕は赤い色を見ると勇気が湧いてくるんだ」
その言葉がどれだけの勇気を与えただろう。その言葉ひとつで、あなたのお父さんは物凄い力をいつも発揮していたに違いない。
二人は二人を求めているのに、どちらも車道を越えようとはしない。彼らの間を行き交う車は二人に違う向きの風を吹かせていて、離れてしまった現実を厳しく伝えている。
車の音に負けないくらい二人は叫んでいた。
二人は笑っていなかった。泣いてもいなかった。手を振ることもしなかった。ただ見つめ合って、何度も名前を呼ぶことしかできなかった。
二人はとてもよく似た眼をしていた。全く同じ表情をしていた。その大きな可愛らしい眼を小さくして、相手の無事だけを真っ直ぐ見つめていた。
車道は越えられない。
それでも二人は近づいていく。
大人になり、子供を思い出し、
二人の年齢がどんどん近づいていく。
どうか手を伸ばして。
どうか愛する人の手を取って。
私は強く祈った。
肌で感じた歪んだ形も、どこかで読んだ憧れの形も、私はどんな家族の愛も得意ではない。
人の家庭の幸せも、人の家庭の不幸せも、どちらもできるだけ見たくはなかったし、感じたり考えたりしたくはなくて、できるだけその愛を見ないようにして生きてきた。
今はそんなこともすっかり忘れて、私は彼らが手を伸ばすことを心から願った。
その日の夜、心配になった私は男の子の家の前まで来てみる。誰の言葉も受け入れず、男の子はカップ焼きそばを物凄い勢いで頬張っていた。
初めて見た時は可愛らしくて行儀が悪いと、それだけを思っていた気がする。でも今の私には、今の私達には、その感情の名前がはっきりとわかる。
慰めのコメントを掻き分けて、私は男の子の前に立ち、少し屈んで眼線を合わせるように話す。
それはね、
「かなしい」
それはね、
「くやしい」
男の子は俯いたまま、箸を持った手を震わせる。
「クヤシイ」
違うよ。それは、
「くやしい」
感情の名前と、あなたに温もりがあることを私は伝える。あなたがそうしてくれたみたいに。
「くやしい」「かなしい」
悔しいから生きている。
なのに、生きることがこんなにも悔しい。
4裏側の景色。
彼の心の世界は、色が極端に少なかった。
オトナノココロはどれだけ痛んでもえぐられても、その中から出てくるのは眼に見えないコトバだけ。そこにはまだ色なんてなくて、彼がそのコトバを表現するのは文字だけだから。
「可哀相な脳」
彼の心に刺さっていた刃物のような言葉。刺されたことにも傷ついていることにも、彼は気づいていなかった。
記憶力が驚異的に発達していると有名だった男の子は、人の過ちを忘れることができないと言われてしまう。その瞬間の痛みをいつまでも記憶してしまっていること。それはなんて可哀相な脳なんだと、彼は一度愛した人にそう言われた記憶が残っている。
偶然、男の子が話してくれたことだった。
心が消えた優しさで彼が笑う。
まるで全てを乗り越えた笑顔で。
強さを厚着した弱さが、笑い声になる。
表現者達が街を文字を超えた表現で街を彩る。私達はこの街で互いに大きな影響を受け与えながら、仲良く暮らしていた。
今日は、男の子が秘密基地に案内してくれた。小さな世界に色が広がる可愛らしい花壇だった。青空が広がり、太陽が緑を輝かせて、鳥達の陽気な歌声もよく聞こえてくる。
「見て、綺麗でしょ。この街に来て良かったよ。君のおかげ。みんなのおかげだよ」
男の子が嬉しそうに話してくれるけど、どこかで違和感を覚えた私は素直に喜べずにいた。
特別に感じていた彼の魅力や才能が消えた気がした。他の人と同じように感じてしまう。
ううん、そうではない。
私にとっての、表現者としての彼の魅力は…
それは、温度だった。
綺麗な景色の中にいる今の彼の文字から、温度が一切感じられなくなっていた。
ぬくもりも、ツメタサも。
人の心の動きに敏感に反応する繊細な男の子は、私の異変にもすぐに気がつく。それでも、二人は何もできずにいた。
「あのね、見て。このピンクの花」
「うん、可愛いピンクの花ね」
「このピンクの花の名前はね、ピンク花。嬉しい時に咲くの」
「そう、ピンク花っていうのね」
「あのね、こっちのオレンジの花はね、オレンジ花っていう名前」
「それはどんな時に咲くの?」
「これはね、嬉しい時に咲くの」
「そうなのね、教えてくれてありがとう」
一生懸命話してくれる男の子が泣いている気がした。でも、私のほうが先に泣き始めていたと思う。男の子は、ただ時が流れていくことだけを信じて生きていたのに、私の一瞬の感情がそれを邪魔をしていた。
「一緒に泣いてくれてありがとう」
「何もできなくてごめんなさい」
「愛はみんな持っているよ。上手く表現ができないだけ。君の優しさは僕が知ってるから大丈夫」
寂しくて小さな男の子に戻った彼は、私の涙に救われたと、そう言って私のことを救う。どこまでも人のことを気にする優しい人で、胸が締めつけられる。
家に帰った男の子をすぐに追いかけることができなかった私は、自分の部屋に戻る前に男の子の家の前を通って行く。
男の子の家の前、私は思わず言葉を失った。
男の子が大切に想いながら水をやっていた植木鉢に、赤くて大きな花が咲いていた。
その時、男の子はもう男の子ではなく、優しくてたくましいお父さんの背中をしていた。大きな手で、小さな男の子の頭を撫でていた。
二人はじっとその花を見つめていた。幸せそうな二人を見ていて、時間が流れていることが怖くなる。二人の時間は、終わるようにできてしまっている。そのことをもう知っている二人が笑っている。それが私にはあまりにも寂しかった。
男の子の眼は、震えていた。
この後、また一人になった男の子を、私は強く抱きしめた。
あなたは可哀相なんかじゃない。
私はあなたのために何かがしたい。
5影の表現者。声。
いつも寂しさから身を守るため、使い古した寂しさを捨てずにいる。幸せじゃないことが悪いことみたいに、笑い声が迫ってくる。
優しさの意味が浸透することを拒絶する。
夢の跡、傷さえ奏で声に変え
幻想と化したまるで思い出
大切な人を信じる心のすぐ横にある部分、疑いの心が敏感になる。
「あの人は、誰にでも優しいんだ。あなたにだけじゃない。特別でもなんでもない」
影で見えない影が話す。まるで私の心が本当に話しているみたいに、知らない影が私に言う。
「遊ぼっ」
男の子にそっくりな男の子が私の前に現れた。彼が本当の男の子ではないことくらい、私にだってわかる。
「あのつくねちゃんの絵、やっぱりすごく可愛い。僕はあの絵が好きなんだ」
この男の子が本当の男の子なのか、弱い私にはそんな不安が生まれてしまう。
構ってほしいからひとりぼっちなの?
あなたはあっち側? こっち側?
見えない場所から見えない誰かの文字がいくつも見つかる。まるで私に届くように。
それに怯えている私に気づいたあの人は、獣に姿を変えて大きく吠えた。
言葉はもう言葉ではなくて、それは鳴き声にしかならなかった。ただ尖っただけの文字に、ただ尖っただけの牙を向ける。
何度も大きな鳴き声を上げて、誰にも理解されずに笑われながら怒り続けた。
森の奥で、裸にされた男の子が倒れていた。彼を止めたのは、他の誰でもない彼だった。
怒れ狂った彼の中に生まれた虚しさが獣を撃った。それでも、彼の中には消えずに残る悔しさが涙に変わる。
「内側に立ってくれる人が、自分のせいで傷ついた。全部僕のせいなんだ」
私は、本当は文字に変わった私の不安が原因であることに気づきながらも、何も言えずに彼を抱きしめていた。
「僕、少しの間、街を離れるよ」
幸せは、撃ち落とされるために生まれた幸せ。
6ダストドール。
あの人はコンクリートの世界に帰る。
熱と共に地から湧き出る無数の欲望の手には眼もくれず、あの人はじっと立っていた。その心は完全に怒りに支配されているというのに集中力は研ぎ澄まされていくばかりで、やがてその眼には静かな闘争本能が宿る。
その眼を感じる私達は、まるで音を失うような感覚に陥る。ひりつくような怒りと緊張が伝わってくる。
あの人が立つ真上を電車が走り抜けた。電車よりも速いあの人の眼線が目的を見ている。もう文面すら大人の姿に戻り、全ての困難に当たり前のような涼しげな顔をして、あの人は歩いていく。街のみんなは心配そうにあの人を見守っていた。
「ねぇ、君はどうしてそんなに仕事ができる人なんだい? その秘密はいったい何なの?」
あの人に魅了された誰かが聞く。
「そんなの決まってるじゃん。俺の生き様が信じられないくらい格好良くて、俺の顔が恐ろしく可愛いからさ」
あの人はそう即答すると、もう誰も頂上まで見上げることができなくなった高いビルの列の下で、栄養ドリンクを一気飲みしてもっと遠くの空を見上げた。
その後に大好きなプロレスラーのポーズを真似して、自分に勇気を与える。
あの人は絶対に大丈夫だと、私は気づいていた。
太陽に照らされ白銀に輝くカッターシャツの胸ポケットに、あの人が大好きなボールペンが刺さっている。
あのボールペンは書く為の物ではなく、勇気を与える御守りのようなもの。あのネクタイだってそうだ。
「小さな男の子がヒーロー戦隊のブリーフを履いただけでパワー全開。俺は今だってそうなんだよ」
あの人がそんなことを言っていたことを、私はちゃんと覚えている。だから私は、
「どうか身体には気をつけてくださいね」
一言だけコメントを残した。
「言葉一つが勇気に変わる。ありがとう」
あの人はそう言い残すと、まるで世界中の下心をたった一人で引き受ける覚悟で、音も文字も持たずに、その身体を灯す僅かな熱だけを抱えて、自らの革靴が奏でる足音を残す速さで飛び出して行った。
あの人なら絶対に上手くいく。絶対に無事でいてくれるとわかっているのに、涙が溢れる。
「早く帰ってきてくださいね」
もう、その一言が言えなかった。あの人の無事よりも、私は私の寂しさが不安だった。
7才能アリス。
男の子がいなくなったnoteの街は、私には退屈になってしまっていた。いつの間にか、私は男の子に夢中になっていた。
あの人がいない間、私の前にはあの人の偽物が何人も現れたり、嫌な噂を見たり聞いたりしてしまう。
男の子は、もしかしたらこの街には帰ってこないのかもしれない。本当はコンクリートの、鈍色の世界でやらなければならないことがあるのではなく、この街の平和のために、あの人は何かの犠牲になって消えてしまった。
私はその不安と寂しさを隠すように、noteの街では明るくなった。それはまるであの人と同じだった。
新しい洋服を着て、うたを歌っていると、男の子の家の前で、ボロボロになったあの人が倒れていた。
カッターシャツは輝きを失いシワだらけになり、とても乱れていた。胸ポケットのボールペンが無くなっていて、私は心配になる。
「大変だったね。大丈夫かい? すっかりボロボロじゃないか」
男の子と仲が良かった男の人が駆け寄るように言った。
「なぁに、大したことはないさ。ちょっとオカマバーで暴れてきたのさ」
あの人がそう言うと、みんなは大きな声で笑った。その強がりは、私にはもう強がりでも何でもなかった。
カッターシャツの袖やズボンの裾は、色鮮やかに汚れている。色の少ない世界で生きてきた男の子の裾が、あんなにも美しく汚れてしまっている。
男の子が作り上げた花壇は、きっともうない。私達の思い出の花壇は、誰かに荒らされる前に、きっともう一人のあの人が消してしまった。
消してしまったに違いない。あの人の心の弱さ、私達の弱さがそうさせてしまったに違いない。
8文字の魔法。
まるで魔法が解けてしまったかのように、noteの街は消えてなくなってしまった。少しずつ、魔法が解けていくことには気づいていた。
街が少しずつ、文字に戻っていくのが見えていた。あの人の家の中のほとんどが、もう文字になっていた。
椅子、どろだんご、植木鉢、
吸入器、ぬいぐるみ、
オカシ、テガミ、オモイデ、オソロイ…。
あの人はいなくなった。
あの人がいなくなったから、街は無くなってしまったのだろうか。
時々触るスマホが重い。私はベッドの上で眠っていて、床には脱ぎ捨てた下着。その上にはいつか飲み残したペットボトル。
身体を起こすこともできず、カーテンの隙間から窓の外を見ている。木々が揺れていて、強い風が吹いているのがわかる。もうすぐ、友達が来てくれるのだろうか。
「トモダチ…」
私は久しぶりに声を出し、自分の声を聞いた。我ながら寂しそうな声だった。
風を感じたくて、どうにか窓を開ける。
あの人は、最初からいなかった。
そう思えば、楽なのかもしれない。
そう思わなければ、心が壊れそうになる。
強い風が部屋に入り込んで、写真立てがパタンと倒れた。私はその写真立てを戻そうとする。
その写真立てには、つくねちゃんが映っていた。可愛らしいつくねちゃんが映っていた。
私の大切な存在。私の心を何度も助けてくれたつくねちゃんは、もうずっと前からいない。その事実が受け入れられなくて、せめてnoteの街で、私達は一緒に生活をしていた。
「つくねちゃん…」
私は写真を抱いたまま、寂しくて泣き崩れてしまう。何度も彼女の名前を呼びながら。
そういえば、あの街には彼女の存在を大切にしてくれる人がいた。
「ねぇねぇ、まるで生きてるみたい」
男の子は何度もその絵を見てそう言ってくれていた。私は部屋に飾っていたつくねちゃんの絵をじっと眺めてみる。
この絵は、つくねちゃんがこの世界からいなくなってから、感謝の気持ちを込めて描いたものだった。つくねちゃんにプレゼントした最後の絵だった。
「ねぇねぇ、まるで生きているみたい!」
全部、知っていたんだ。あの男の子は、私のことを全部知っていたんだ。見てくれていたんだ。
会いたい…男の子がいなくなったnoteの街で。
男の子と出会ったnoteの街に。
9saigo_no_matane
流行った後、消えてなくなる名曲。その歌詞が音も立てないような静かな雨となって落ちていく。まるで言葉が死んでいく。
私は両手を広げ、できるだけ多くの悲しみに触れながら、あの子と同じようにその愛を示そうと木に登る決意をする。
街が炎に包まれている。こちらから見ればいくらでも簡単にわかりやすく見える。どうして私はこの景色を知ることができなかったの。
きっと、あの人がいたからだ。あの人がずっと私を守ってくれていたから。ううん、守るなんかじゃない。まるで全ての犠牲になっていたんだ。
変な人。
私もずっと、そう言われていたよ。
変な人。
そういう人がいないと、オトナノセカイは成り立たないから。
誰もそれに気づかないのは、私達は心とは真逆の言葉を放つ生き物だから。私達はいつも、超現実を見出しているから。
少し前の私なら、木に登れるどころか考えもしなかった。
皆が手に取るものを投げつける。足元にあった小石、家族の誰かがあなたのことを思って買っていた野菜、先が燃えた木の枝がいくつも私を目掛けて飛んでくる。
そして、その眼もその口も裂けてしまいそうになりながら愉快に笑う女の人が、ホースの先を私にむけて、勢いよく水を吹き出す。
眼の前の真実だけを見つめて歩くと決めていたのに、髪の先から落ちる雫をいつの間にか見ていた。そして、全てを消し去りたいという自分の中に生まれた衝動の標的は、生まれた瞬間から自分自身に向いていて、私は大切などろだんごを踏んづけた。
クヤシイ…
私は瓶と貝殻を思い切り地面に叩きつけた。
どうか、私達の物語が誰かに壊されませんように。
笑い声に浮かぶように私は気に登り、不安定なまま不安定な場所に立ち、不安定な世界を見ていた。あの男の子が見ていた世界を、ようやく私は見ることができた。
子供だって、大人のふりをする。
大人だって、大人のふりをするんだ。
素直になれない訳があるんだ。
それが愛だなんて、人はなんて弱々しいんだ。
あなたの言葉を思い出す。
私があなたの犠牲になりたい。
その気持ちが今の私の唯一の松葉杖だった。私は何度も堕ちそうになりながら、枝の上に立っていた。
でも、私は強くなれなかった。
もう一人の自分に託すように、全てに巻き込まれ呑まれるようにまぶたを閉じてしまった。
「ねえねえ、大丈夫?」
誰かの声が聞こえる。
「この街が燃えてるのってさ、もしかして俺のせいなのかな」
「俺って性格が可愛らしくてさ、顔が本当にそれ以上に可愛らしいから、人の欲望が集中するんだよ」
冷たくて固い地に落ち、動けなくなった私の横で男の子が一人で話している。
「ウインナーになる前の豚ってね、ウインナーに変わることがわかった瞬間にたくさんご飯を食べてたくさん鳴くんだ。彼らを見ているとなぜかそのことを思い出すんだ」
私達が出会った街が、大好きだった街が燃えていて、大好きになった男の子がツメタイ眼でそんなひどいことを言う。
「ここは文字の世界だから。怪我なんてしていないよ。ほら、立って」
男の子は私の手を引く。
「行こう」
「どこへ?」
「商店街だよ。僕はずっと君と繋がっていたい。君のことが大好きなんだ。ずっと君を見ていたい」
男の子はコメント欄でそんなことを言う。
「文字…みんな見てるよ」
「構うもんか! ほら、おいで!」
男の子が女の子を連れ去る。二人の精神は子供と大人を行ったり来たりしながら。
荒れた街を、荒れた原因が駆け抜けて行く。
海を、星空を、全ての文字の、全ての街を。
「おい! 愛し合っている二人がここにいるぜ」
10告の白。
誰かが見ているわけでもなく、誰かが何か言ったわけでもない。それでも真夜中の信号は、休むことなくひとりで動き続けている。決して褒められることも、多くの人に認められることもその頑張りを認められることもないのに。
誰かが頼んだことを忘れても、誰かに頼まれたことは覚えている。忘れられたことを知っていても。
「あなたは真夜中の信号にとても似ている」
「ひとりぼっちなところ?」
「ううん、違うよ。誰も見ていなくても、どこに行ってもあなたはきっといつでもあなたなんだと思う」
少しは生きることに手を抜けばいいと誰もが思う時でも、誰にも何も思わず、何も考えなくてもきっとあなたはどんな時でもあなたのまま。
あなたはこれまでもこれからも、そのデザインを生き続けるのだと思う。例えまた、どんなことがあっても。
その眼、その声、その感覚のまま。
「褒めてもらってるのはわかるけど、なんだか俺っていつも可哀相だよね」
「真面目から出てる哀愁がね、すごく愛しい」
そう言った私に優しい眼差しをくれたあなたが、大きな手で私の髪を優しく撫でてくれる。
「君はタンポポに似てるよ」
「タンポポ?」
「信号の近くで咲いているタンポポみたい」
あなたはそう言うと、寂しそうな子供の眼で私を見つめてくる。
「その信号の近くで、ずっと咲いていて欲しい。小さな勇気を届けて欲しい。そうすれば僕はずっと僕のまま、君のことも、僕のことも、この二人のことを守っていけるから」
生まれた訳も素材も大きさも全部違うけど、出会って、近くにいることを二人は知らせ合った。
並んだ信号とタンポポ。まるで絵本の表紙みたいな、いつまでもそんな二人でいたい。震えた眼、震えた声であなたはそう話してくれた。
絵本ではなくて、絵本の表紙とあなたは例えた。そのセンス、その優しさがやっぱり私には何よりも優しい。
「見つけてくれたんだね。僕も君を見つけたよ」
「うん」
「ずっと一緒にいよう。お願い」
「どっちで?」
「こっちだよ。また落ち着いたらあっちに行ってもいいけど、君にはずっと、どうか僕の隣にいて欲しい」
同じ角度、時々違う方向から事実を見てみる。本当はいつも同じがいいけど、そうやって同じじゃなくても後から話せて、それに驚いて笑い合って欲しい。違うことは擦り合わせたい。
同じ時間を同じように過ごしていたい。
焼肉屋さんに行ったら、人の分のマルチョウを勝手に黙って全部食べてもいいけど、最後の1枚になったチシャ菜を半分個して分けて欲しい。
1日10時間以上眠って欲しい。美味しいご飯を一緒に食べて欲しい。時々作ってくれても嬉しい。それが美味しくなくても、僕は怒らないからどうか笑っていて欲しい。
いつも悩んでいていい。いつも自信が無くて、浮かんだ考えや不安にストーカーされていてもいい。だけど、そんな自分を責めないで欲しい。
お菓子を食べている時だけは、急におとなしくなって無心で頬張っているような、そんな子供の頃の顔に戻って欲しい。
少女を少女のままで。いつまでも、いつまでも僕の前では自分の感情に素直でいてもらえるような、そんな人に僕はなるから。
だから、泣いても怒ってもいい。僕の前では時々なら大声を出してもいい。
寝ている時も車を運転している時も、地元のスーパーのレジに並んでいる時も、ちゃんと手を繋いでいて欲しい。じゃないと僕はきっと寂しくて即死してしまうから。
おかえりとただいまが、挨拶では一番嬉しい。
平日の朝の玄関先で会社を休むと甘えたら、優しく抱きしめて欲しい。そうしてくれれば、僕は家の外に出た時、馬車馬にもサラブレッドにも変身できるから。
甘やかされて育った僕は、自分の靴下やパンツがボロボロになっても自分で気づくことができない。もし君が気づいたら買ってあげて欲しい。
衣替えのタイミングも君が教えてくれなかったら、真冬でもシャツ1枚で過ごしてしまうから、どうか面倒を見てやって欲しい。手のかかる大人になってしまっているけど、君にも同じ愛を伝えられると思う。
いつまでもぬくもりを共有しよう。
名前を何度も呼び合う二人でいよう。
名前を呼ぶだけで心が届くことがあって、それはどんな言葉よりも正確に心へ届く。
だから僕らはそんな二人でいよう。
君が僕に教えてくれた想い出を大切にする方法で、二人のことを二人で大切にしたい。
笑った君を、どうか君が忘れないでいてほしい。僕も絶対に忘れない。少女の君をずーっと見ている。
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