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尾道とわたし①

そもそもの尾道との出会いは、

わたしが幼い頃、祖父母が今治の波方に住んでおり、母と帰省する時、青春18きっぷで鈍行を使っていたことがきっかけである。電車の接続がよくなかったので、よく尾道や三原の街で時間を潰していた。

その頃の尾道の記憶はほとんどないが、改札の内と外両方から入れるラーメン屋さんがあったことだけ覚えている。

今は無き中四国フェリーが竹原港から出ていて、波方までの一時間ほどを、フェリーの売店のうどんを食べたり、ハイチュウのグレープ味を買ってもらったりしながら過ごした。そのうち、帰省にかこつけて一泊だけ祖父母の家以外に泊まるようになった。

愛媛県の弓削島である。

弓削は小学生〜大学卒業まで毎年旅行で訪れた。弓削島には「ゆげロッジ」という古い銭湯付きの宿があった。眼前に海水浴場が広がり、少し歩けばCOOPもあり、目の前には国立弓削商船高等専門学校が立っていた。島の学生たちの醸し出す映画のような爽やかで情緒ある雰囲気に、密かに憧れていたことを思い出す。
夏の海水浴はほとんどここにお世話になった。

そのうち、ゆげロッジが「FESPA(フェスパ)」というリゾートホテルに生まれ変わった。今までのローカルな雰囲気とは打って変わって、お部屋にオーシャンビューの露天風呂が付いた、とんでもなくパラダイスな場所になったのである。わたしと母は喜んで毎年泊まり続けた。

https://www.fespa-yumeshima.jp

昔は尾道から出る高速船で弓削へ行っていたが、今はそのルートがなくなり三原から立石港を経由して行かねばならない。

鈍行で20年間瀬戸内へ通っていると、地名もそこそこ耳に馴染んでいた。

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