聖なる洞窟
酷暑の8月が終わって、なんとか草が刈れるようになったら荒地が再びもとの荒地に戻っていた。葛と、焼きそばと呼んでいるものに覆われている。葛は灰にして釉に入れれば乳濁する。焼きそばは山羊が好んで食べていた。山羊のモモはむこうに行ったが、お皿の中に生きている。 刈り進めば大きな穴トンネル(草でできた)があることに気がついた。民話の定番としては、ここをくぐれば、別の世界に行けるはずである。が その勇気が私にはない。
そのむこうにいけば何があるのか。もしかしたら私は四つ足の獣かもしれない。私と、(私に対する)私との区別が、私と、あなたに対する私との区別がなくなる。私は服をぬいでも裸ではない。 私と世界との区別が起こらない、意識と対象との対立、区別が消える。わからないことはない。そして わかるということそのこともない。そもそも概念という壁が崩れる。だから おまえはもう わからないことで、世界からのけものにされたり疎外されることはない。
しかし、かぎりなく死に近いこの区別のない融合のなかで 胸の高まりや 静かな涙、よろこびはあるのだろうか。歌は聞こえてくるだろうか。
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