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夜泣きと ショスタコーヴィチ


 こどもは小さな時よく泣いていた。静まりかえった夜、窓の外のどこか遠いところから子供の泣いている声がきこえてくる。きっとその家の人も大変なんだろうなと共感することもあった。こどもは夜にかぎらず昼中もなぜか突然泣き始める。僕のような何もわからぬ男親はあれこれ理由をさがす。たいがい子供自身が眠かったり なにか不快なことがあるとこうなるというのは経験を重ねるごとにわかってくる。しかし その経験があったとしても昼夜かぎらず理由もわからず泣き続けるこどもを前に 途方にくれることがたびたびあった。そのこどもにとってもわけのわからないものに追われているのかもしれない 涙の濁流にのみこまれて手をあげている。助けてやりたいがすべがない いかなる暴力も止められない。待つしかすべがない。都会の小さな部屋のなかに親子ふたりだけだったらどうなっていたのか。近くに誰かがいてくれて本当にありがたかった。

変わった旋律の音楽にであったのはその頃だった。

お昼過ぎNHKのFMラジオ クラッシックの番組だったと思う 曲は途中から聞いたのだが、完全に無調ではなく調性は少しある。矛盾を音楽にしたような、ふわふわした感じではあるが リズムはしっかりあって一段ずつ階段を降りてゆく気持ちになる。メインの楽器は弦楽器である。バックにオーケストラがあったような気もする。コンチェルトかもしれない。作曲家の名前だけはわかった。ショスタコーヴィチ。ソヴィエト時代のロシアの音楽家。

いろいろ調べても曲名がわからず、でもどうしてもその音楽家の作品が聞きたくてレコード屋さん行って探すと一枚だけCDがあった。シンフォニー5番。さっそく聞いたがまったく期待していた音楽ではなく、かなりがっかりする。今聴けば名曲だと思うのだが当時は悲劇的な印象だけ残って心をゆさぶられるものではなかった。

それからまもなく、風呂に入っていると三拍子で躍動的であるがどこかはずれてゆく感じ、そしてあの時と似た気分になる音楽がラジオから聞こえてくる。やはりショスタコーヴィチだった。 弦楽四重奏曲 第3番。その頃運良く吉田秀和さんのショスタコーヴィチの音楽を毎週やっている番組に遭遇でき 必ず録音して重要な曲を聴くことができた。今調べると2004から5年にかけての番組だったようだ。それでも結局、あの時の曲名がなんだったのかはわからなかった。

ショスタコーヴィチが音楽家として活動していたのはソヴィエトの中でスターリンの独裁からフルシチョフの雪解け、米ソ冷戦を経た激動の時代。音楽家として人間としてどれほどの葛藤に面していたかは現代日本に住むぼくとしてはちょっと想像をこえている。存在の死と、魂の死の恐怖は日常的にあったはずだ。しかし、ショスタコーヴィチは 死を選ぶことも亡命することもなくソヴィエトという国家のなかで音楽家として教育者としてその生を全うした。しかし、だからといって彼の音楽のすべてが国家に迎合した音楽だったとは思えない。 

 やりたいことをしたいなら(すきなものをつくりたいのなら)食うことを考えるなと先輩は言っていた。 直接的強制的にか、それとも間接的自動的にか「存在と想い」というのはそれぞれお互いを肯定しながら同居できないことになっているのだろうか。それとも どこかでお互い折り合って頃合いよく納得して同居するものなのか。いや事実はそれほど単純なものだはないだろう。

「これ」でなければすべては無に帰す。その「これ」から離れることができれば「あれ」の「それ」の中にも何かを込めることはできる。

 音楽や文学、芸術は、ただ自分の想いのなかにいるだけでは生きてはゆけない魚だ。自分の小さな鉢から溢れて大気を震わし それが他の存在へと届かなくては生きて行けない魚である。しかしその大気は魚の自由にはならない。そして想いを宿すことができるのは 存在しているという事実であり、存在に生が宿るのは 他者に想いが届くという実感である。
 無性に涙がでてくるという経験は、誰にでも起きうる普遍的なものだ。泣いてしまうこと自体は体の出来事なので頭で念じてそうなるものでもない。巨大な矛盾をまえにしていても泣いているということにうそはない。それは「存在と想い」が一緒になっている状態だ。 また笑うということの中でも同じように「存在と想い」は別々のものではない 嘆くには涙を流すからだが必要だ。抗議は嘆きの中に言葉がある訴えである。デモ隊のすべてのひとが 大声で嗚咽しながら 泣きながら行進する。叫びを消すには存在を捕える方法がとられる。でも言葉で具体的に軍事独裁政権を非難する内容を叫ぶわけではないのなら嘆きの行進に銃口を向けるわけにはいくまい。
ショスタコーヴィチの音楽はその意味で国家に対する先制的体制に対する嘆きの行進ではなかったか。

どこかはずれた哀しさの根にはユダヤの人々の歌がある。音楽にはリズムが、緩急があり休符が強弱がある。嘆きの渦のただなかで瞬間、立ち止まることができる。そのなかから生まれてくるゆっくりとした無調をおびた旋律は独白のようにも聞こえる。渦は回転をとめて急な傾斜に階段をつくりはじめる。聞く者はそこを降りてゆく。そのさきのドアのむこうには何がみえるのか。解決されてはいけないもの。いかなる高熱も融かすことのできない氷塊がある。

ショスタコーヴィチの音楽は、ぼくにとって現代音楽への入り口になった。いつも通り過ぎていたチャンネルを開けると日本やイタリアやたくさんの人の 様々な音楽による試みがあって 眉間にしわを寄せなくても楽しめるものがたくさんあった。その扉を開けてくれたのはこどもたちの夜泣きかもしれない いや、それとも ひとりきりの世界から外に出て、他なるものと出会いそこから生じた異なるもの その時から関わらざるおえなくなった外の人々 そのなかに身を置く以外になかった心外な経験から来るものなのか 今はもうわからなくなった

そういえば最近、以前ほど音楽を聞いていないことに気づく。何も聞いてないのかというとそうでもない。生活の音。自然の音。人の言葉。低空飛行をする米軍の飛行機の音。ソヴィエトの空もそんなには違わなかっただろう。音楽家のそばにはいつも突然泣き出すなにかがいた。ショスタコヴィッチは眠れない夜を幾度も過ごしたにちがいない。しかし、不安もなく眠れる静かな夜に生まれていたなら、あの音楽は存在していなかったとおもう

音楽は不安に裂かれた後、再び還って来た静けさのなかからきっとうまれてくる。


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