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民衆が自ら「百姓」と名乗りだした時代

「日本中世の歴史1・中世社会の成り立ち(木村茂光)」に12世紀頃から荘園の住人と言う呼称に代わり「百姓」と言う呼称が多くなってくることが述べられています。

民衆が要求をする際、「住民等解」、「百姓等解」、「百姓等申状」等の文書を出したようです。
その文書の表題が時代によって変化するとのこと。
同書は、「平安時代後期が『住民等解』の時代であることに対比して言うならば、鎌倉時代・南北朝時代は『百姓等申状』の時代と言うことができよう」と述べています。

「古代的な『百姓』が9世紀頃には終焉を迎え、その後は職能に応じたさまざまな身分呼称が現れた事。しかし、荘園制が展開するに従い、11世紀中頃には『荘園の住民である』ことを根拠にした『住人』身分が現れ『住人等解』を提出して、荘園領主に荘園経営及び村落生活に関係する諸要求を訴え出るようになったこと。そして更に12世紀後半に荘園公領制が確立し国衙領と荘園の均質化が進むと『荘園の住人』であると言う根拠が薄くなり荘園においても『百姓』身分を名乗るようになる」

そして、「このことは、中世社会を根底で支えた民衆が自ら選び取った身分呼称が『百姓』であったことを示している」としています。

古代国家においては、公地公民制の「公民」として「百姓」と言う身分があるとされたわけですが、中世においては民衆の側が「自分達は日本の公民=百姓なんだから」と言うことを根拠に、自分達の権利を主張した歴史があるわけです。

こうした歴史は刀狩り以降の近世の農村のあり方、ひいては現在の農村・農業問題にも関わっていると思います。

引き続き、勉強をしていきたいと思います。


2週間予報値は、大寒(1/20)過ぎの「猛寒波」の時季が迫るにつれて、最低気温のレベルが少しづつ高くなっています。当初予想より寒波が緩和されたものになるとみてよいでしょうか。
最低気温は2/1 -2℃、2/2 -1℃、2/3 0℃、2/4 1℃・・・
2月に入り、立春に向かうに連れて徐々に上がっているようです。春野菜の種まきシーズンが近いです。

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