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一次産品の奪い合いから重化学工業の産物が流通する時代、そして、これから・・・

鉄の古代史(奥野正男)では、弥生時代の遺跡から人体に打ち込まれた可能性がある鉄鏃が出土していることを述べています。

「(弥生時代)前期末の時点には農耕を基盤とした社会が定着し、生産力の急速な増大によって、余剰生産物が生み出され、その結果として人口も更に増大し、新たな可耕地への進出が強く要求された。」

「この間の土地開発は低丘陵、あるいは当時の可耕地と考えられるあらゆるところに遺跡が立地していることから、相当さかんに行われたものと考えられる。そのなかで水田、畑地をめぐって他聚落との衝突もかなり頻繁に行われたものであろう。そういう土地をめぐる争奪戦の過程で他集落の構成員を殺傷に及ぶ場合もあったと思われる」

との見解が紹介されています。

旧約聖書のイザヤ書には、「剣を打ち替えて犂となし、槍を打ち替えて鎌となす。国は国に向かって剣をあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」と書かれています。

戦争の道具である剣や槍を融かして、農具である犂や鎌に変えてしまう、そういう平和な状態を示すものとして「農業」は理解されることが多いと思います。

しかし、実際には「戦争」の出現は農地の奪い合いのように農業の出現とともにあったと言えます。

その後、社会の発展とともに、「贅沢品」が生まれてきます。それらの贅沢品も、たとえば、絹や茶のような一次産品ですが、その産地を支配下に置くために「戦争」が起きてきたと思います。

中世、近世から近代への移行を考えてみると、この一次産品の産地の奪い合いと言うだけでなく、「植民地」としたところに例えばゴムの木のプランテーションを作ると言ったこと、つまり、「植民地」への投資が行われていることが見て取れます。

ただ、この段階では工業と言うのも「一次産品」の加工・・・軽工業として存在しているわけです。

産業革命と言っても「紡績技術」の機械化のように、一次産品の加工の改善と言う側面が強かったと思います。

ただ、その機械の動力は、例えば、蒸気機関のように石炭=化石燃料があったわけです。そして、機械そのものも鉄のような金属で出来ていた、

そして、植民地から本国まで一次産品を持ち帰るにしても、本国でその産品を加工した工業製品を販売のために輸送するにも、蒸気機関車なり蒸気船なり、つまり化石燃料で動き、金属で出来たものが必要なわけで、こうして、化石燃料や金属にかかわる「重化学工業」が求められるようになっていった・・・

その植民地の争奪戦として「近代戦」が戦われるようになると、銃や戦艦、後には戦車や航空機、これらは「石油」と言う化石燃料、あるいはボーキサイトのような金属原料が必要とされ、それらに関わる重化学工業の一層の発展が求められるようになっていった・・・

そして、工業の発達に伴って、「贅沢」と言うのも単に一次産品を嗜む・・・紅茶を飲むとか、その紅茶には砂糖を入れるとか、絹の着物を着るとかではなく、自転車に乗る、自動車に乗る、と言うように「重化学工業」の産物、それ自体が「消費」の対象になっていった・・・

他方、一次産品自体もを隊商達が馬やラクダで運ぶのでなく、蒸気船を用いて持ってくる、しかも植民地に投資して大量に作らせたものがもたらされる、

こうして、一次産品にせよ、工業の産物にせよ、先進国の都市に居ながらにして消費できる、こういうことに対応して、「百貨店」のようなものも生まれ、商業やサービス業が発達していく・・・

19世紀末、明治維新直後に欧米を回覧した使節団の大久保利通は、欧米が進んでいると言っても、せいぜい40年ぐらい前に産業革命を遂げたに過ぎない、日本も追いつけると考えたわけです。

こうして富国強兵政策がなされ、日本も産業革命を実現します。そして、アメリカに生糸を輸出し、石油を買う、生糸で得た外貨でイギリス領植民地から綿花を買い、国内で綿布に変えて輸出する、そういう「三角貿易」が「株式会社・大日本帝国」のビジネスモデルとなる、

綿布の売り先は、世界の「植民地」となっていた地域で、大日本帝国は対植民地貿易第一位になったのだそうです。

かくして、40年の差なら追いつけると考えた大久保利通の発想は実現されたかに見えたのですが、日本が一次産品を加工する軽工業の「先進国」になった時には、欧米諸国は重化学工業を発達させ、商業やサービス業も発展しつつあった・・・

この生産力、工業力の違いと言うを第二次大戦で日本は見せつけられたと思うわけです。

そして、第二次大戦の後、日本も重化学工業を発達させた、そして、その重化学工業の産品を使って作られた自動車なり電化製品なりを「集中豪雨型」と呼ばれるほど、世界に輸出した・・・

僕は1990年代に環境調査で中東に行きました。当時は途上国でも電化製品が普及しつつありましたが、お家の中を見せてもらうと、電化製品はソニーやマツシタと言った日本製品ばかり、街を走る車もバイクもホンダ、トヨタ・・・

一つ一つ製品を指さしながら「これもニッポン、これもニッポン、ニッポン、ニッポン、ニッポン・・・ニッポンは私達を埋めてしまうよ」と笑う現地の人の言葉に、僕もただ笑ってかえすしかありませんでした。

かくして、21世紀初頭には、アメリカと日本だけで全世界のGDPの半分近くを占める状態になったのですが、その後、新興国が台頭してきた・・・

そして、今世紀半ばには世界の経済大国上位7カ国はアメリカをのぞき、新興国で占められる・・・アメリカにしても第一位ではなくなる、そんな予測も出ているわけです。

その予測では、日本はなぜか第8位です。戦争をせず、少子化を食い止めて人口レベルを維持できれば、まぁ、今までほどではないにしても、そこそこ豊かな国として生き残れると思います。

そうなってほしいと思いますが・・・

弥生時代の事から、いままでの歴史をツラツラと思ってみるに、やはり、今後の経済社会のあり方、そして、その中での農業の位置と言うものも変わらざるを得ないと思います。

どう変えるべきかは、やはりよく分からないのですが・・・

2週間予報では、3/13-14に暴風雨となっていたのが、3/13暴風雨、3/14は雨のち曇りになりました。多少ほっとしています。できれば3/13の「暴風雨」も穏便なものに変わってほしいのですが・・・



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