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「外的な規範」で「自由な交易」を規制している例・・・農業との関係で

「外的規範」と交易、交換で、「自由な経済活動」が「霊の祟り」や「公共の福祉」等、「経済の外側」にある何らかの規範によって規制される例について述べました。

農業との関係で言っても、こうした「外的規範」による規制は、歴史的にも、現代でも割りと通常に行われていると言えます。

手元に本がないので正確な引用はできませんが、バルキッドゥ・サドルの「イスラム経済論」では、アメリカ流の資本主義でもソ連流の社会主義でも中東の国づくりに失敗したと述べています。そして、地域特性にあった方法としてイスラムに基づく経済のあり方について論じています。

この中で「外的な規範」としての「宗教」の必要性について述べています。
先の「霊の祟り」や「宗教」と聞くと、違和感を覚える人もいるかもしれません。

しかし、サドルの主張にはうなづけるものが多いのです。
例えば、自分の土地だからと言って、無制限に資源を採取していいのか?と言うような事が書かれています。

本来的に、土地は神のものであり、人間はそれを「保有(所有ではない)」することを認められているに過ぎないとしています。

保有している人間は適切に活用する義務があるのであり、無制限な資源採取は適切な活用ではない、として、いわば「持続可能な土地活用」を勧めているわけです。

また投機目的での土地の所有についても否定的です。

サドルの論理からすると、農地も「保有」を認められているに過ぎないので、適切に活用されていない「耕作放棄」の状態は間違っていることになります。
耕作放棄しておいて、土地を売って儲けようと言う所有者の思惑は規制されるべきだと言うことになります。

現代日本の場合、「公共の福祉」の観点から「財産権」には一定の制約が課されています。
市街化区域や市街化調整区域が定められています。また、農地の売買・貸借には農業委員会の承認が必要です。耕作放棄を続けていると、農業をしたい人に貸し出すよう指導が入る場合もあります。

土地(を含む財産)の利用について、霊の祟りや宗教的観念を持ち出すか、公共の福祉のような論理を使うかは、その国、その社会の「地域特性」によるでしょう。

そもそも、その利用状態・利用方法が「適切でない」と思うのは、そこに住む人達の「感情」から出てくる事です。
その感情をどういう言葉で表現するかもやはり地域特性によっていて、その地域特性に応じて「霊の祟り」、「宗教」、「公共の福祉」等の表現が持ち出されてくるに過ぎません。

そして、単に土地のような財産を活用せずに「しまい込んで」置くこと、逆にそこにある資源を際限なく採取すること、その両方が不適切と見なされるのは、どんな表現による説明でも共通しているようです。

農業や環境問題については、こうして何らかの外的規範に基づいて、財産権を制約していることが多いのです。


2週間予報は、この先、最低気温0℃以下になる日が少なくなり、最高気温は10℃を上回る日が増えてくることを伝えています。

立春とともに猛寒波の時季は過ぎて、野菜が生長できる時が来るようです。ドカ雪には引き続き注意が必要です。


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