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カブのマリネ試食作戦成功♪、農業でも算数教育でも「やりたい理由」は「ゆるゆる」、「たらたら」でいいけど「力強さ」があればいい他

5/14(日)、としまNPO推進協議会の「えんがわ市」(池袋第二公園)でお野菜を売りました。

直前にTwitterで「カブのマリネ」の事を投稿している人がいて、面白いと思ったので、自分でも作ってみました。

けっこうイケるのでこれを試食してもらいながら、お野菜を売ったらどうだろうって思ってやってみました。

カブは早々に売り切れました。他のお野菜もよく売れました。

まず、会場に来た人に「カブ、試食して下さい」って声を掛けます。

けっこうな比率で試食してくれます。

それから、会場にいる人、他の出店者(フリマとかマッサージとか演奏とか紙芝居とかを出しています。)の人に、試食皿を渡して、「よかったら食べてください」って言います。

会場で売っていた焼きソバ買ってベンチで食べている人には、「よかったら焼きソバのお供にどうぞ」って渡しました。

試食皿渡された人は、これもけっこうな確率で「後で買いに行きます」って言ってくれて、実際、買いに来てくれました。

カブのマリネは簡単に作れます。カブそのものも美味しいですし(自慢♪)、お野菜の「わかりやすい」宣伝になったと思います。

さて、僕は学生時代に障がい者運動に関わった事があります。その後、社会に出て環境計量士の国家資格を取り、今は農業をしています。それから、ポーカーチップ算数の取り組みを通じて、算数数学教育にも関わっています。

「障がい者運動」でも「環境問題」でも「農業」でも「算数教育」でも良いのですが、ある事をやる理由について、非常に強い決意表明みたいな事を言う人がいます。

そう言う決意表明みたいなものがなくて、「ゆるゆる」、「タラタラ」な事を言う人もいます。

経験上、言える事は、あんまり強い決意表明みたいなものを言う人が最後までやり抜くかと言うとそうでもない、「ゆるゆる」、「タラタラ」言う人がけっこうちゃんとやると言う事です。

日本の「キリスト教」だと明治時代のいわゆる「武士道的キリスト教」は、日本刀突きつけて「キサマ、信じるか、信じないか」ってやって「イエス、イエス、信じます」ってやってたんだそうです。

僕は、この話聞いた時、そんな「イエス」なんて、ハイなんだか、神様の名前なんだかわかんないような返事させるなんて、アホちゃいまんねんパーでんねんだなあって思いました。

一方、戦国時代の吉利支丹宣教だと、例えば、村の名主みたいな人のところにマリア様の像持っていく、そうすると、名主の人が村の衆集めて、「あー、皆の衆、これはマリア様と言って、あちらの観音様みたいなもので、これが聖書って言ってお経らしいから、まぁ、マリア様置いて、朝晩、お灯明あげて、聖書読んで拝むように」みたいな事をやってたらしいです。

ザビエルさんは頭に毛がない肖像画が出回っていますが、あれは日本の禅宗のお坊さんみて、日本では聖職者ってのは頭の毛を剃るんだって思って真似したんだそうです。(絹の着物来てたのも禅宗のお坊さん真似したんだそうです。)

でもって、当時は禅宗のお坊さんと言うのは、「明(中国)」の留学帰りで禅宗のお坊さんと仲良くなると、対明貿易が出来るようになったんだそうです。

それから、長崎みたいな土地が「イエズス会領」になったのは、当時はお寺や神社に自分の土地、寄進することが「供養」と考えられていたと言う背景があるのだそうです。

つまり、当時の日本人の感覚からすると「禅宗のお坊さんとお近づきになれば、明と貿易出来る、今度は吉利支丹と仲良くなって、南蛮貿易だぁ。あ、これがマリア様って向こうの観音様みたいなもので、こっちが聖書ってお経で?、あ、そうだ、土地寄進すれば、供養にもなるんなら、イエズス会にあげちゃおう」

みたいな相当「ゆるゆる」感覚だったと思います。

しかし、その「ゆるゆる」が適当だったかと言うと、江戸幕府が禁教令出したら、島原の乱を起こして、最後まで抵抗しましたし、その後も「隠れ吉利支丹」になっても信仰を守り通しました。

日本刀突きつけて「信じるか信じないか」ってやってた武士道的キリスト教の末裔の方々は、第二次大戦の時、むしろ、国家に協力して戦争の宣伝をしまくっていたわけです。

こういう「ゆるゆる型」が割りと強くて「突きつけ型」が割りともろいってことは、障がい者運動でも環境や農業の活動でもさんざん見てきました。

そもそも、「突きつけ型」と言うのは心理的な「無理」があると思います。

なにかの活動でも宗教でもいいんですが、その活動をしなきゃいけない、しない奴は「とんでもない奴」だみたいな強迫観念で「やるのか、やらないのか」、「なぜやるのか」って問い詰めていって、「やります、やります」、「神様のため(日本の農業のため、障がい者のため、環境問題のため)に頑張ります」みたいな言葉を引き出す

あるいは、そう言う風に「(○○のために)頑張ります」って言うと、周りが拍手してくれる、マスコミとかSNSとかで評価される、「映える」ってことで、自分も「いい気分」になれる・・・

つまり、「やるのか、やらないのか」、「○○のために頑張ります」式の心理と言うのは、実は自分の「外部」からの評価を当てにしているところがあって、だからこそ、先の第二次大戦中の「武士道的キリスト教の末裔」みたいに「外部評価」に合わせようとして、国家の方針に従って戦争協力をしちゃったりするんだと思います。

一方、「ゆるゆる型」の方は、言い方は「テキトー」なんですが、心のどこかでなにか、これは大切なことだ、やった方が良いことだと思っている、つまり、自分の「中」に根ざすことがあるんだと思います。

だから、最後のところで「島原の乱」みたいに、絶対やり抜くって気持ちが出てくる・・・

僕が今まで農業やる人でけっこう感動した例は、ある農業大学生が「兄弟がみんな跡継がないって言った時の親父の顔見てられなかった」って理由で就農した人のお話です。

この人の場合も自分の「親父」の農業見ていて、魅力的だと思ったわけでもないし、農業やりたい、頑張ります的に思ってきたわけでもんだと思います。

ただ、実際、将来を選択する時に、その「親父」の事を考えざる得なかった、それで結局やる事にした、その時、やる以上、農業大学に行って農業の事をきちんと学ぼうと思った、

理由は「ゆるい」ように見えて「力強さ」を感じたわけです。

そして、その「ゆるいけれども力強い」気持ちは、たぶん、捨てがたい愛着、それは、「兄弟がみんな跡継がないって逃げちゃった時の親父の顔」でも「バアチャンが作ってくれたナス田楽」でも「村の名主さんにマリア様の像貰って南蛮貿易やってた時の楽しい想い出」でもいいし、「学生になってから高校時代の彼女に手話サークルでばったり出会って云々(僕の話です・・・爆)」でもいいわけです。

とにかく、そう言う「捨てがたい愛着」・・・えー、僕の場合は高校時代の彼女には振られましたが、彼女の方に捨てがたい愛着を持ってストーカーをするような事はせず、しかし、障がい者運動は続けました(まだ言ってます・・・爆)

そう言うものが背景にあるんじゃないかと思います。

手話サークルについての蛇足を続けますと、

そのサークルに高校の後輩女子もいて、その後輩女子に僕の高校の陸上部の後輩男子が惚れていたんですが、後輩女子は別の男性と結婚しようとしていて、高校出てからみんなで集まって飲み会やった時、陸上部の後輩男子を諌めようとしたら「先輩であろうと邪魔立ては許さない」と詰め寄られ・・・

まぁ、結局、その後輩男子も「現実」を受け入れて、後輩女子が別の男性と結婚するのを祝福してましたが・・・

そういう事があった中での障がい者運動への関わりであり、そして、そう言う事はあったんだけれども、大学を出た後は、障がい者運動への関わりは絶ち、環境計量士の国家資格を取って、環境化学分析の仕事をしていく、そして、仕事の中で農地の土壌診断をするようになって、僕の野菜づくりの師匠に出会い・・・

と延々物語は続くのですが・・・

まぁ、そういうわけで、「環境」でも「農業」でも「障がい者運動」でも「算数教育」でも「キリスト教」でも(その他どんな活動でも)いいんですが、

とにかく、ある道に入って、その分野の事をしようとする理由ってのは、この手の捨てがたい愛着、思いみたいなことに根ざした「ゆるくて力強い」理由が大事で、

その「ゆるくて力強い」理由を整理して、これからの方向性を打ち出していくためには、タラタラ、あれこれブログにこれまでの事とか今やっている事とかを書くと言うのは、けっこう役立つんじゃないかと思います。

2週間予報は、雨が降る日が続いた後、ついに30℃越えの日が2日連続する、その後、また雨の降る日が続くと言う事を伝えています。

どうも「梅雨の前倒し」・・・つまり、今年は、お花見が早かったように、梅雨も早くて、「今が梅雨」なんじゃないか、って気もしてきました。

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