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「大地」は何のために存在しているのか

まず原初にカオスが生じた。さて次に胸幅広い大地、雪を戴くオリュンポスの頂きに宮居する八百万の神々の常久に揺るぎない大地と路広の大地の奥底にある曖曖たるタルタロス、更に不死の神々のうちでも並びなく美しいエロスが生じたもうた。(ヘシオドス 神統記)

ヘシオドスの神統記では、カオス=混沌の次に大地が出来たとしています。この段階では、光と闇、昼と夜は出来ていません。また、天も存在しません。

一方、旧約聖書の天地創造物語では、大地が出来るのは、光や天が出来た後です。

神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

旧約聖書によれば、最初の被造物は、「光」です。ついで、

「水の中に大空あれ、水と水を分けよ。」神は大空を作り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。

第二日に「大空=天」が出来ます。

大地が出来るのはこの後です。

「天の下の水は一つところに集まれ。乾いたところが現れよ。」そのようになった。神は乾いたところを地と呼び、水の集まったところを海と呼ばれた。神はこれを見て良しとされた。

このように大地は、第三日目に造られています。そして、第三日には大地に続いて、「草」が造られています。

「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草とそれぞれの種を持つ実をつける果樹を地に芽生えさせよ」

実は、第六日に「人」が創造された後、神様はこう人に語りかけています。

「見よ、全地に生える種を持つ草と種を持つ実をつける木をすべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。」

つまり、旧約聖書では、大地=草や木を芽生えさせる場、草や木=人の食べ物と言う論理になっています。

人が「種を持つ草」、「種を持つ実をつける木」を食べ物として生きていく場として大地があるわけです。

一方、神統記では、大地は、神々の「御座」だと言われています。

ギリシャ神話と旧約聖書では、大地の位置づけが違うわけです。光・天の後に大地が作られたのか、大地が生まれてから、光や天が出来たのか、この順番の違いについては、次回以降、また改めて考えていきたいと思います。

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