見出し画像

ガット50年史にみるアメリカの農業補助金についての立場

井原西鶴の紅色一代男に「たばね午房」が出てきます。

「色つくりたる女、肌には紅うこんのきぬ物、上にかちん染の布子、縞繻子の二つわり左の方に結び赤前だれして桐の引下駄をはきてたばね午房に花柚などさげて」

「化粧をして、紅ウコンの絹の下着、上着には褐染の着物、縞繻子の帯、赤い前垂れをつけて、桐の下駄を履いて」とけっこうオシャレをしている感じでなんでゴボウを持っているのかよくわからなかったのですが、どうやら「たばねゴボウ」と言うのは、ゴボウを束ねたものではなく、しめ縄をゴボウのように棒状にしたもので、その縄に花柚と言う香辛料の一種を下げてやってきたと言う描写のようです。

「ガット農業交渉50年史(T.E.ジョスリン他)」によると、第二次大戦後、ITO(国際貿易機構)設立構想が、自国の農業を守ろうとするアメリカの意向により左右されたそうです。

「米国の法制度では農業に対する補助金について定められていたので、『一次産品』に対する補助金を規制するいかなる提案にも米国としては賛成するのが難しかった」

「米国は実際にはITOが米国の農産物の輸出補助金を行使するのを許可するのを決してないものと信じていた。また、米国が農産物を輸出市場に出すために補助金を行使することについて、事前に国際的承認を求める規定に代表されるような主権の喪失を米国議会が許すはずがないことは、米国の交渉代表者は承知していた」

「以上のような理由から、米国の固執によって、補助金、とくに輸出補助金を規制するために苦心して作られた制度の一部のみがハバナ憲章草案から一般協定に取り込まれることになった」

「非農産物に対する輸出補助金の支払の一般的禁止及び一次産品に対する輸出補助金の行使を規制する特別の制度は提案された憲章に挿入されていたし、同時並行してITO憲章に書き込まれる予定であったが、1947年1月及び2月にレイク・サクセスで開かれた準備委員会の起草委員会のために(米国代表によって)準備されたガットの最初の作業草案から外されてしまった」

「米国が方針を転換し、農産物補助金が貿易に及ぼす悪影響に対する大攻勢をかけるようになったのは、他の国々の農業補助政策が米国の農産物輸出利益に深刻な損害を及ぼすようになってからであった」

つまり、第二次大戦後、国際的な農産物の貿易についての取り決めは、アメリカの意向に左右される形で決められてきたわけです。

新興国が台頭し、アメリカの力が相対的に低下しつつある現在、農業政策の前提になっているものを見直していく必要があると思います。

2週間予報は3/7から6日間に渡り最高気温20℃以上と4月中旬並みの陽気が続くとしています。

春野菜第二波の種まきを準備した方が良さそうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?