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「一人前の分前」があるから「取引、交易、交換」が成り立つ
「国富論」の中でアダム・スミスは
「分業と言うものは、・・・(中略)・・・人間の本性上のある性向、すなわち、ある物を他の物と取引し、交易し、交換しようとする性向」と述べています。
そして、
「この性向はすべての人間に共通なもので、他のどんな動物にも見出されないものである」
と言っています。
例えば、
「同じ兎を追う二匹のグレイハウンド犬は一種の協同作業をしているようなかたちを取ることがある」
とは言え、
「犬どうしが一本の骨を別の骨と、公正に、しかも熟慮の上で交換するのを見た人はだれもいない」
つまり、動物は、取引、交易、交換はしないが、人間はすると言うこと、
この取引、交易、交換をすると言う性向が前提となって、「分業」が発生し、分業に基づく社会の仕組みが産まれていると言うわけです。
この性向をどう捉えるか、なかなか興味深い問題です。
「稲を伝えた民族―苗族と江南の民族文化(萩原 秀三郎 雄山閣出版)」に魂の語源となった「タマシ」と言う言葉が、もともと一人分の獲物の分前を意味していたと言う話が出てきます。
取引、交易、交換と言うものは、「一人分の分前」と言うものがあって、その分前を別な他人の分前と取り替えようとするから出てくる事です。
現代の農業が「石油漬け」になっていると言う指摘があります。石油はいつかはなくなるのでしょうし、脱石油化農業と言うことを考えていかねばならないでしょう。
たんぽぽ農法もその試みの一つだと言えるかもしれません。ただ、未来の社会、農業の構想は、おそらく、「こうすべきだ」と言う観念からではなく、現実の分析から産まれてくると思います。
そして、「一人前の分前」を他人と「取引、交易、交換する」の「人間の性向」も、その分析すべき現実の大前提となるべき、かなり重要な現実として、分析せねばならないでしょう。
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2週間予報は、1月末から立春にかけて最高気温10℃かそれ近く、最低気温0℃~5℃程度の日が増えるとしています。
その後、また最高気温5℃以下、最低気温-4℃以下の日が出てくるとか。
さて、春野菜の種まきをいつにしましょうか?
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