見出し画像

「梅雨」が明けたかどうかより大事なこと?

前回、「『梅雨』のイデアは存在するか?」と言う記事の中で、いろいろな概念・・・「ネコ」なら「ネコ」のイデアと言うものは、人間が考えたものだと言うお話をしました。

もう一度、簡単にお話すると、様々な概念は「人間が考えたもの」と言ってもどんなデタラメな考えでもまかり通ると言うわけではなく、

科学は、

1)できるだけ単純な理屈で様々な物事を説明できる

2)数学的な形で法則が記述できる

と言う「ルール」に従って造られたものだ言うお話でした。

ところで、科学の法則によって、いろいろな物事を説明すると言う場合、「階層性」があります。

例えば、ボールを投げると放物線を描いて飛ぶと言う場合、ニュートンの運動方程式(古典力学)の範囲で説明できるわけです。

「気圧」は、気体分子が自由運動をしていて、分子が「器壁」にぶつかるのを我々は「圧力」として検知していると考えている・・・この場合、分子は、ニュートンの運動方程式に従う運動をしていると考えているわけです。

分子の内部のこと、例えば、O2(酸素分子)の中で2つの酸素原子がどう結合しているかみたいな事になると、

今度は、酸素の原子核の周りに2sとか2pとかと名前がつけられた電子軌道があって、2つの酸素原子がsp混成軌道を形成し、そこに両方の原子核の周りにあった電子が入ってきて・・・

みたいな説明になってきて、ある程度までは、原子核の周りを電子が回っていると言う言い方で説明できるのですが、

厳密に言おうとすると、「量子力学」的な取り扱いが必要になってきます。

他方、個々の分子の内部でもなければ、一つ一つの分子の運動についてでもなく、無数の気体分子が運動している集団については、「気体の状態方程式」・・・PV=nRTで記述されると考えるわけです。

こういう風にある法則(による記述)は、ある階層(分子の内部、一つ一つの分子、分子の集団など)についてはあてはまるが、他の階層について用いるのは不適当だと言うように考えているわけです。

こういう風に科学法則には、「有効性」の範囲が決まっているわけです。

さて、「梅雨」のような気象現象については、ある程度は、「気体分子の集団」についての法則に基づいて説明ができます。

例えば、熱の出入りがない形で「空気のかたまり」が膨らむ(断熱膨張)と、その空気のかたまりの温度(気温)が下がる、すると、飽和水蒸気圧が下がり、それまでその空気のかたまりに含まれていた水蒸気が液体の水にならざるえない、それで雨が降るみたいな説明の仕方です。

天気予報の場合には、小笠原気団とかオホーツク寒気団とか、つまり複数の空気のかたまりがあって、そのかたまりどうしの関係とか、地球の自転によって引き起こされている「偏西風」の動きとか、海流とか、そう言うものも含めて考察を行っています。

さて、「梅雨」なんですが、これは日本にいると、新暦6月とその前後2週間ぐらいの間、雨や曇の日が多く、空がドンヨリとしていて、湿気が多くジメジメとした感じの中で過ごさねばならない・・・

このドンヨリ・ジメジメ状態を「太平洋高気圧」の小笠原気団とオホーツク寒気団の接触により「梅雨前線」が形成されるせいだと説明する、

気圧ってものを気体分子の運動で説明したように、ドンヨリ・ジメジメ状態を「空気のかたまり」の動きや複数の「空気のかたまり」どうしの関係で説明しようとして、

そういう空気のかたまりの存在状態ができたら「梅雨入り」、なくなったら「梅雨明け」と言ってきたと思うわけです。

ただ、そもそも、この梅雨明け・梅雨入りの発表以前に、私達の日常の中で、6月前後の「ドンヨリ・ジメジメ」時季を「梅雨」と呼ぶと言うのがあったと思うわけです。

そして、その6月前後のドンヨリ・ジメジメ状態を梅雨前線なりなんなり、日本付近の空気のかたまりどうしの関係で説明しようとして出てきたのが「梅雨入り」、「梅雨明け」発表だったと思うわけです。

しかし、そもそも、地球の気象状態と言うのは、過去には氷河期があったとか、今は陸地になっている内陸部の埼玉県に貝塚があって、昔は海辺だったとか・・・そう言う風に変動しているわけで、

私達が「梅雨」と呼んでいる6月前後のドンヨリ・ジメジメ時季も、ある地球の気象状態の時になって出現してきたものだと思うわけです。

そして、その6月前後のドンヨリ・ジメジメ状態を「小笠原気団」と「オホーツク寒気団」の接触によって生まれる梅雨前線の運動によって説明すると言う説明方式も地球がある気象状態の時に有効だったものなわけです。

一応、今(2020年代)でも、日本付近・6月前後には、「ドンヨリ・ジメジメ」状態が出現するようです。

ただ、ここ数年をみても、年により長梅雨になったり空梅雨になったりしています。

そして、今年(2023年)は7月に38-39℃ぐらいの「酷暑」日が出現しました。

むしろ8月の方が涼しいかもしれません。

そして、7月初旬・中旬の雨について、この雨は梅雨前線によるものだとか、真夏のような日射しの日があっても、いや、まだ梅雨前線は存在しているようだからとか、そう言う事を言って「梅雨明け」はもう少し先だとかと言う・・・

それはそうかもしれませんが、元々、梅雨前線と言う考えが持ち出されてきた「趣旨」・・・6月前後のジメジメ・ドンヨリ状態の説明と言うことから考えてみると、

「梅雨前線」が存在している(小笠原高気団が日本付近で完全に優勢になって日本列島全体をほぼ覆うようになっていない)、と言うことをもって「梅雨入り」「梅雨明け」を言うことの意味は薄れているんじゃないかと思います。

はっきり言って、畑の野菜の生育状態を考える場合には、梅雨入りがいつか、梅雨明けがいつかと言うことよりも、今年は7月から酷暑になっていると言ったことの方が重要だと思います。

事によると他の業種・・・例えば、お洋服の売れ行きみたいなものでも「梅雨入り」「梅雨明け」の発表があると「心理効果」である種のお洋服が売れると言うのはあるかもしれませんが、

それよりも、「今年の7月は酷暑の予想、涼しいお洋服はコレ!」みたいなキャッチの方が売上向上に役立つかもしれません。

2回に渡って、スコラ哲学の話から始めて延々論じてきましたが、「気候変動期」には「梅雨明け」、「梅雨入り」の日付にこだわるより、ある程度、6月前後のドンヨリ・ジメジメ期はあるが、年によってかなりそのあり方に違いがあり、「今年のドンヨリ・ジメジメ期前後はこうなる」的に物事を捉えた方が、いいんじゃないかと言うことです。

最高気温・最低気温の平年値を見ると、夏土用(7/20-8/7頃)後半から立秋(8/7)明け頃が最も高く、立夏から100日目となる8/12頃からゆるやかに低下していくようです。

2週間予報は8/1まで雨の降らない日が3日しかないとしています。

どうも酷暑のピークは過ぎ、平年値より2℃-3℃高めだが、「意外と涼しい8月」になりそうな気がします。

五枚目の数字づくり、本日のお題は、「6」、「12」、「2」、「6」を使って、「10」を造るです。

頭の中で考えていないで、実際にポーカーチップを積んだり、並べたりしてやってみましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?