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「日本」をどう海外の人に説明するか、日本書紀を読みながら考えてみる
僕は30代の頃、何回か、中東に環境調査に出かけました。
まだ、あまりインターネットが発達していなかった時代、テレックスやFAX、国際郵便等が日本から現地と連絡を取り合う手段でした。
ある時、パキスタン人から、お前が日本から送ってきた手紙の切手にNIPPONって書いてあった。日本人はジャパンの事をニッポンって言うのか?それはどういう意味だと聞かれました。
それで、昔むかし、セイント・プリンスがいて、中国に使者を派遣し・・・と説明したわけです。
帰国してから、得々とその話をしたところ、またテキトーな説明をと笑われました。
もちろん、パキスタンで僕が説明したお話は、例の「日出処の天子」って遣隋使の件です。
さて、時代は21世紀です。
海外から日本に興味を持ってくる観光客も増え、日本で働く外国人も多くなってきました。
その人達から「日本」ってなんだ?と聞かれたら、どう答えますか?
それを考える手がかりとして「日本書紀」を読んでいきたいと思います。
「古(いにしえ)に天地、未だ剖れざる時」
日本書紀は、こういう風に始まっています。
この文章は、淮南子の「天地未剖」を下敷きにしていると言われています。
しかし、淮南子そのままではありません。
「天地が未だ剖れざる」と言う淮南子の文言に「古に」を付け加えています。
つまり、当時、世界帝国だった中国の文書を参照しながら、日本の成立について説明しようとしているわけです。
天地が未だ剖かれざると言うのは、元々、メソポタミア神話にあった発想らしいです。この世界が出来る前は、固体・液体・気体が分離せず、ドロドロの状態だった、そこから、天と地が分かれ、大地と海が分かれてきたとされています。
この思想が、ギリシャ神話や聖書神話、中国思想等に輸入されていったようです。現代の私達は、ビッグバンや進化論を信じていて、恐竜時代の後、哺乳類が登場し、その一部が霊長類に、更にその一部が「ヒト」に進化してきたと考えています。
同様に古代のユーラシア大陸では、「天地未剖」の状態から世界が始まったと信じられてきたわけで、いわば当時のグローバル・スタンダードです。
ですから、日本書紀の冒頭部分は、「昔むかし、天と地が分かれていなかった時代があったって、皆さん教わっていますよね?その時に、こんな出来事があって、『日本』の誕生につながっていったんです」と言うような事を言おうとしているとも読めるのです。
その試みは成功しているのかどうか?、先人達の努力の後を学んでいきたいと思います。
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