【人見知り悲哀】Zoom飲みしたくない理由がぼくには2つある
ぼくは極度の人見知りだ。
いまだとHSPと言われるのかな。小さい頃から過剰に敏感で、人と話すとき、特に集団の中で話すとき、それが友人たちであっても、悶々と考え、ひとりで傷つき、極端に疲れるのだ。
仕事の会話やプレゼンはなんとかできる。でも飲み会の類は社会人になっても苦手で、最近はもう、できるだけ参加しないようにしている現代の忍び。
なのにさ、日本人の可変創造力は無限だ。どえりゃーモンスターを生みやがった。
それが Zoom飲み だッ !!
会社の同僚に「やってみたら楽しかったですよ」と言われたけど、ぼくは絶対しない。理由は2つある。
1. 終わりが見えないと思ってしまう
ぼくは律儀なので、どんな人と飲むときも時計を見ない。「時計を見る」という行為が相手に与える影響(こいつ早く終わりたいって思ってるんじゃないか…)を考えてしまうからだ。
でも飲み会なら店員の「そろそろお時間です」、友人たちと飲むときも終電など、なんらかの終わりを匂わすサインがあるもので、じゃあそこにと、自分の気持ちのピークをもっていける。
でもオンライン上で繰り広げられる飲みなんて、いつ終わるのさ。
いつ終えるのがベストなのさ。
ぼくみたいなチキンハートは「そろそろお開きで」なんて言えないし、言ってもタイミング間違えそうでこわい。相手に与える影響(こいつ早く終わりたいって思ってるんじゃないか…)を結局考えてしまうのだ。
2. 会話に入りづらいと思ってしまう
閑話休題、フィリピンにいた頃、いま流行りのリモートワークを一時期していた。
Zoomも以前から業務で利用していたため、オンライン上の多人数会話の特徴に気付いている。
それは、「ひとつの部屋には、ひとつの会話しか生まれない」ということだ。
大きな渦ができて、参加者はみんなその渦の中で会話を繋いでいくのだ。その中に小さな渦がうまれることはない。大きな渦の邪魔をしてしまうためだ。
ぼくは私生活では、大人数の中で話すのが非常に苦手なので、こういったとき黙るしかなくなる。
格言では沈黙は金になるが、オンライン上での沈黙は単なる無だ。
ただその間にずっとスマホ見てられるのは気楽そうだなといま書いてて思ってしまったが、でもたまに振られる話題についていけなくなるので、やはりずっとスマホ弄りはしんどいだろうな。
それでもオンライン通話は良いものだ
Zoom飲みはしないけど、オンライン通話がこれだけ一般化したのは良いことだ。(そうなってしまった事情はさておいて…)
ぼくがフィリピンにいた頃、子どもを日本の両親に見せるためによくオンライン通話をしたものだ。いまでは妻が祖国フィリピンの親御さんに子どもを見せている。
ぼくたちは場所の制約から解放されて、いつでもどこでも人に会えるようになったのだ。こんな幸せなことはない。
だから、ぼくはZoom飲みなんてできないけど、できる方々はZoom飲みをおおいに楽しんでほしいなと思った次第だ。ラブ&ピース。
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