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なぜフィリピン人の英語力は日本人より高いのか

フィリピン人の妻・友人・知人・同僚をもち、フィリピン現地で4年近く過ごして得た確信がある。

大卒程度で比較した場合、フィリピン人の英語力は、日本人のそれより圧倒的に高い。

より具体的に言えば、スピーキング力・リスニング力・リーディング力はフィリピン人の圧勝だ。ライティング力もフィリピン人の方が高い。

(※ちなみに発音にはフィリピン訛りがある。英米人と接する機会がなく、コールセンターや語学学校で発音矯正を受けていない限り、強く訛っている人もいる。)

(※リーディング力を構成する語彙力はフィリピン人の方が圧倒しているが、文法は日本人の方が優れている場合が多い。フィリピンの語学学校でも、スピーキングの流暢さに惑わされるが、文法的な誤りを犯していることがまま見受けられる。)

なぜフィリピン人の方が日本人より英語力が高いのか? それは下記2つの要因によるところが大きいと思う。

タガログ語は、英語により近い

まず、第一の要因として、フィリピンで用いられている母国語(タガログ語)が、英語そのものと親和性が高い。

フィリピンは過去、スペインに占領され、300年強の統治をうけていた。彼ら独自の文字は消え去り、タガログ語の文字はアルファベット(abc)になった。

タガログ語を含む現地語は、基本語彙だけでなく、上位語彙や抽象語彙に近づけば近づくほど、スペイン語の影響を強く受けている。

(※上位語彙・抽象語彙にはタガログ語化したスペイン語の発音・綴りが使われており、結果フィリピン人はスペイン語および兄弟言語のポルトガル語をまったく学習することなく、ある程度は理解できる。)

実は、親元は違うが、スペイン語と英語は言語的な近さがある。

(※もう少し正確にいえば、スペイン語はフランス語と同じロマンス語系に属し、英語はゲルマン語系に属すが、過去ノルマン・コンクエストによる大量のフランス語語彙の流入があったため、スペイン語と英語は縁類のような関係だ。)

同じように、スペイン語の影響を強く受けるフィリピン語は、英語学習の際、非常に有利に働く。日本語と英語の言語的距離を考えると、この差は激しく大きい。

(※さらに英米圏と同じく主要宗教がキリスト教であることも大きい。大部分の国民はカソリックを信仰しており、英米圏文化の根幹を担う「聖書」を知識として血肉化していることは強みである。)

フィリピン人にとって、英語は実利の伴うステータスだ

次に、第二の要因として、その後50年近く続いたアメリカ統治がある。実質的にフィリピンが独立してからも、アメリカの文化的影響力は絶大で、英語支配が現在進行系で続いている。

具体的にいうと、受動的要因としては英語が理解できなければ、アメリカ文化およびアメリカ文化を下敷きにした自国文化を受容できないこと、能動的要因としては英語が話せなければ、所得が圧倒的に低くなることだ。

フィリピンは大小7,000強の島々からなる諸島国家だ。島をまたげばお互いに理解できない方言が話されている。そのためアメリカ統治が終わってからも、公用語としてタガログ語の他、英語を併用する状況が長く続いている。

アメリカ統治中はもちろん、公的書類でも商業でも公教育でも英語で実施されていたが、これは現在でも部分的に継続している。特にビジネス・シーンや高等教育は今でも英語が主体だ。タガログ語はおろか、現地方言は文言として使われない。

(※フィリピンでは上流階級に近づくほど、子どもを英語を母国語より優先して育てる。英語は実利を伴うステータスなのだ。)

また、高度な教育を受けたフィリピン人はタングリッシュ(タガログ語に英語を部分的に混ぜた言語で、人によってはほぼ英語の割合が強い)を普段から話す。

政治家・ビジネスマンだけでなく、フィリピンのセレブリティはタングリッシュを通して、国民に情報を発信する。

ハリウッド映画は字幕なしで公開される。ほとんどの場合、字幕は付与されない。ハリウッド映画を楽しみたければ、字幕なしの生の英語で楽しむしかない。

(※ちなみにフィリピン留学中は、絶対に映画館に行った方が良い。500円程度で、アメリカと同時公開されるハリウッド最新作を観られる。また、ジョークにしっかりと笑うフィリピン人の英語力の高さに刺激を受けるはずだ。)

英語が理解できなければ、アメリカ文化のみならず、自国の文化する完全に理解できないのだ。

フィリピンは今でも、社会的・文化的に、英語の理解を強要される社会だ。英語ができなければ、絶対に不利を被る社会なのだ。

本当に日本人の英語力を上げたいのなら

誤解を恐れず言えば、日本で英語の扱いは「おまけ」だ。なぜなら、日本では英語ができなくても生活に困らないからだ。

英語力がなくても有名大学に入学して一流企業に入社することはできるし、自国文化は当たり前のように日本語だけで享受できる。アメリカ文化含む他国の文化は翻訳される。

ここが日本人とフィリピン人の英語力を大きく分けている要因である。

もし日本政府が日本人の英語力向上を第一に考えるなら、英語を公用語化すれば良い。公的場面や公教育、ビジネス・シーンで英語しか利用できない環境が広まれば、日常言語としての日本語は残るだろうが、英語が強く深く浸透し、英語利用者は大幅に増えていくはずだ。

でもそれが日本にとって良いことなのかは、また別の問題かと思う。

(※個人的には、国家の施策として日本人「全員」の英語力向上を図る必要はないと思う。英語を必要とする層の英語力の低さを改善することが、より重要なのだと思っている。)


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