広場ニガテ症 革命広場@キューバ ハバナ
共産党というと、、私のなかでは、赤の広場とか、天安門広場とか、広場っていうイメージ。
そして、あの、だだっ広い広場がニガテ。
でも、ハバナの観光名所だし、やっぱり革命広場には、行っておこうと思って行ってみた。
内務省の壁にあるチェゲバラの肖像
情報通信省の壁にあるカミーロの肖像
一応写真撮って、ひとまず満足!
気候が暑いから、明るい雰囲気だけど、ハバナの旧市街と違って、この広場には均一化のエネルギーみたいなのが感じられた。
日本の学校もちょっとこの均一化のエネルギーが感じられるけど、ここ(革命広場)のはもっと強くて大人の均一化エネルギーという感じ。
水平線とか、地平線とか、自然に開けた場所は好きなのに、どうしてこういう広場だけがニガテなのかと思っていたけど、ニガテなのは、広いことじゃなくて、この均一化エネルギーなんだ!と気づいた。
ハバナの場合は旧市街との対比が大きいから、気づくことができたのかも。
ここにずっといると、個性が消えて行って、均一になってしまうような。。。(あくまで私の感覚です)
この均一化のエネルギーを浴び続けると、何とかそこに適合して出世するか、反抗してレジスタンスになるか、あきらめて個性を埋没させて生きるか、なんかそういう選択肢しか選べなくなってしまうような気がしてしまう。
そして、均一化のエネルギーに翻弄されているうちに、本当の自分と繋がれないまま人生が終わってしまう。そんな焦りも感じてしまう。(あくまで私の中で起こった感覚ですが、、、過去生になんかあったのかもしれないけど、、)
そして、革命広場にひときわ際立ってそびえたつ星形の白い建物、ホセマルティ記念博物館とホセ・マルティの大きな像。ちなみに星形は独立を意味してるそうだ。
展望台からは、ハバナ市内が見渡せる。
長く続いた植民地支配からの独立のためには、個性を抑えてでも一つになってやり抜かないといけないことがあったのかもしれないな〜とも思ったりもした。
まあ、ともかく、私は均一化のエネルギーがニガテだってこと。
そして、本当の自分(魂みたいなもの)につながれずに、時代に翻弄されたり、自分で自分をごまかさないといけなかったりして、自分の心のままに生きていけないというのは、すごく嫌だってこと。自分がそうなってしまう(自分を偽って生きなければならなくなる)のも嫌だし、周りの人がそうなってしまうのも嫌なんだと。
そんなことを、改めて気づかせてくれた、ハバナの革命広場だった。
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